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引き続き『龍馬伝』にはまっている。



そもそも歴史物は好きではないので『坂の上の雲』や『龍馬がゆく』など殆ど目を通したことがない。ある意味当然なのだが、一人のフィルターを通して作られる歴史観は、その作者の編集を支える哲学のようなものに、絶対の信頼を置かない限り嘘っぽくて聞く耳を持てない。おまけに活字を読むのが無茶遅い僕には、司馬遼太郎など数行目を通しただけで放り出す。



息子に『龍馬伝』おもしろいぞ~と伝えると「司馬遼太郎とどこが違うんだよ。。」と突っ込まれます。まっ、仰る通りなのですが、何せ司馬文学を読破していないので聞こえない振りをします;;龍馬に関しても、成る可く私情が入らないものを読みたいので史実を列挙したものを読むことにしています。それでも数ある史実の中で、何を拾うか・・・そのこと自体に私情が入るので歴史に客観性はないとも言えます。この辺はとても微妙です。

(お龍)
さて、今日のテーマは「龍馬と女性」です。「龍馬と母性」と言い換えてもいいかも知れません。



 今回、僕が龍馬を語るうえで参考にした資料は、主にNHKラジオ放送テキスト『龍馬とその時代』(NHK出版)で、これが下地になっています。あとは、十数年前、本気で大学を卒業しようと決意し、必要単位を満たすため選択した『幕末史』と『日本の歴史(開国と攘夷) 19』(中公文庫)、そして、歴史読本(幕末史の新・視点)です。歴史嫌いと言うほどでもありませんが、好んで読むこともない歴史書ですが、ここに揚げた資料は、僕にとって可成り面白く読むことが出来ました。



これらの資料を繙くと、幕末史の表舞台に出てくる人物は、西郷隆盛をはじめ、勝海舟、木戸孝允、高杉晋作、岩崎弥太郎等があげられますが、別の意味で龍馬を語る上で取りあげなければならない重要な人物に、その妻お龍の存在があります。また、龍馬は12才で母親を亡くしているので、母親代わりの姉乙女も龍馬に大きな影響を与えているとみられます。



正直を言って坂本龍馬という歴史的人物が、日本の近代化を方向付ける上で、今伝えられているように重要な人物だったのかどうか、僕には分かりません。ただ、内外とも様々な危機に瀕していた江戸幕府を開国へと向かわせ、新たな日本の未来を志向した発想(「万国公法」への理解)は、それまでにない手法で、謂わば新しいプラットホーム(基盤)の構想をもっていたことは間違いなさそうで、その点が希有な存在だと思えます。
そして、龍馬が当時の常識を超えることが可能だったのは、これは僕の直感ですが、彼の中にあった「女性性」ではないかと思えるのです。つまり、男というジェンダー(社会的役割)から離れ、まったく次元の違った”女”という立ち位置(社会的役割)で同じ事象を視たとき、それまで見えていた風景がまったく違って見えてくる・・・ということを、どこかある時点で習得したのではないかと思うのです。たぶん、この点が他の幕末史に出てくる志士とは一線を画すところだと思います。



恐らく今に比べて、当時の男尊女卑の社会風土は強固だったはずです。それにも拘わらず龍馬が、ジェンダーとしての女性を含め、”女性”を評価するに足ると理解したのは、姉乙女によるところが大きいと思います。龍馬の転機と思えるときには、彼の心根を深く、正直に乙女に吐露している手紙が残っています。そして、その心情は、男・女を超えています。決して”女”を低く視ていることはなく、その視線は”男”と等価です。



世の中には、様々なコモンセンス(常識)があり、それぞれのバリアーを張って他と峻別されています。幕末で言えば、尊皇攘夷、勤皇佐幕、開国論・攘夷論等それぞれの立場で正しいと思われる考え方で各藩対立していた訳ですが、立場を変えれば(視座を換えれば)まったく違った見解が出ます。それぞれが、それぞれ正しいようでもあります。



こういった価値観が多様化し、そのことが己の未来を決定する事態として切迫して感じられる時、己の立ち位置(視座)をどこに置くかは、どれだけニュートラルな視座を確保できるかにかかってきます。特に幕末期には、広く自由で拘りなく未来を見通せるかで各藩は勿論、日本の未来も決定づけられます。そして、そういった開国論・攘夷論といった共同幻想より更に超越した次元に対幻想=”性”(ジェンダー=性差)があると僕は思います。
人類の歴史上、綿綿と続いてきた「男女」 という社会的役割分担(ジェンダー)こそ、最も強固な常識ですから、これを超えることは、尊皇攘夷という理念を超えることより遙かに難しいはずです。



「敏感な男は女に、ある恐怖心を持っている」・・・・・そう言ったのは、小林秀雄ですが、この言葉の真意は、女性という本質に裸で対面したとき・・・・(いえ実際にベットインするという意味ではありません、お互い素の状態で向きあうという意味です)敏感な、未だ原始感覚を失っていない男は、女性の持つ原エネルギーというか原生命力のようなものを感じ、その本質的な生命力の差に、その時点で「負けました」と頭を下げるといった生態的感覚を言ったのではないでしょうか。
 これは「男は頭で考え、女は子宮で考える」などという、次元の低い男女観とは大凡違った見解です。
 
(お龍)
以前にも触れましたが、昔の人は「一姫二太郎」 といって、女の子は、男の子のような母親との分離不安もなく、免疫力等の基礎体力もあるので、未熟な若いお母さんが、最初に育てるなら、育て易い女の子が適当だという意味です。生態的に男の方が多く生まれる訳ですが、相当数の男の因子は受精前後で死んでしまい、その後受胎後、あるいは出産後の死亡率も高いことから、結果として5:5という男女比に収ることを見ても女の方が男よりも強いことは、昔から良く分かっていたと思えます。



男は、その弱さを観念で補完することでバランスを取っている生き物かも知れません。

観念的になりがちな国家構想を、龍馬は、女性性という視座へモードを変えるように、常に別次元の視座を複眼的に、そして多面的に考える術を獲得していたのではないでしょうか。

(姉・乙女)
 残念ながら、僕は龍馬にはなれませんでしたが、僕にも似たような感覚がありまして、結婚を意識したのも、この”女性なるもの”の獲得を目論んだ故でありました。



この話をすると、かみさんに叱られるのでありますが........そう、もう三十数年経つのですが、僕が未だ鎌倉彫の修行中、その現実に潰されそうになり、こりゃー作家になるっきゃない!と決意し、朝の4時まで勉強を続け、昼休みも雨が降ろうが槍が降ろうがスケッチを来る日も来る日も続けていたある日、ふと隣の塗り部屋に目をやると、おおよそ30cmも伸びたよだれを垂らしてコックリコックリ居眠りしている怪しからん輩がいるではありませんか。



それはまるで「美術だけが人生なんかじゃね~んだよ、他にも大切なものが沢山あるだろう......」・・・・その仕事中の”よだれ”は、僕にとって他の人生を暗示するメタファーだったのです(ちと大袈裟;;)



何度目かの賞もとり、順風満帆かに見えていた僕でしたが、このままじゃ何か足りない・・・・それが、かみさんの放ったヨダレ・オーラであり、僕は、その”よだれ”に女性性を見たのでした。

(お龍)
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恋愛とは大きな誤解の了解で成り立ちます。その後、かみさんの中に女性性だけでななく、ひ弱な男性性なるものも発見し落胆することにもなりましたが、僕にとって女性モードで考えるというスイッチの獲得は、作家となってものを制作する上でも、自分の中でのパラダイム転換を容易にすることにも、とても役に立っています。



坂本龍馬が、他の幕末の志士と優れて違っていた点が、正しく”女性性”の視座を得たことによる、別次元の視座の獲得であると僕は直感しました。



『龍馬伝』も、あと半年楽しめます。そして、今正に日本は維新でもあります。宮台真司ではありませんが「任せる政治から、引き受ける政治へ」、明日は参院選。難しい選択です。



W杯も残すところ三位決定戦と決勝戦の二ゲームのみです。僕は、優れた技術に裏打ちされたパスサッカーのスペインに優勝して欲しいと願っています。そして、 SAMURAI BLUE の活躍は、湿った日本に太陽のような元気を残してくれました。これで、ちょっぴり息を吹き返せたのではないでしょうか。



さて、梅雨も終盤を向かえ大分夏の気配がしてきたようです。


では、また。