この後、どんなにつまらない毎日が続いて今年が終わったとしても、この小説に出会ったことが、2006年を特別素敵な年だったと振り返ることができそうです。

その小説とは............
個展の疲れからか、風邪でダウンし生気を失っている小説嫌いの僕に、かみさんが、いつになく眼光鋭く『これは絶対日出夫ちゃん向けの本だから読むといい』と言ってきた。

彼女としてはめずらしく強要するので、重い腰をあげ仕方なく真新しい文庫に目を落とす・・・・・・

本当に胸を打つ小説に出会うと、次の行が目に入って来ないように左手で活字を押さえたり、昂揚感から気持ちがひどく混乱しスムースに読み進むことが出来なくなる困った癖が僕にはある。

『博士の愛した数式』も、ラスト数頁に至った段階で、物語の幕が下りるのが惜しく、まったくスジを追えなくなる.........
eπi+1=0
この小説は、大分前に評判をとったらしく、その意味でメジャーすぎて、かみさんも少し距離を置いていたようだ。

一見、無機的で非文学的に思える数や数式が、実は純粋に観念的であるが故に、人間臭い世界を表わしているだろうということは以前から気付いていました。

そういえば大昔初めて大学に滑った時、自信と目標を失って三月でも未だ受験できる三流大学の中に数学科があるのを見つけ「こうなったら大学のランクは無視してサッカーでもやりに行こうか....」と真剣に受験を考えたこともあるくらい結構数学は好きだった。っん?、サッカーが好きだということか。。。。

申し訳ないが、『かたち』通信の画像を編集している時も、作者の主旨に反してついつい自分が好きな美しい数式を選んでいました(ごめんなさい;;)。

  
(ローレンツやアインシュタインの主張する質量が増加すると考えた場合の電位と速度の関係

現在、若干低迷期に入っているサッカーの中田英寿だが、彼はサッカーの名門で進学校でもある韮崎高校で、今でも語り継がれている数学にまつわる逸話を持っている。

それは、彼の記した積分の解答が、あまりにも理にかなった正当性と美しさをもっていたため、いまでも母校ではお手本として後輩らに先生から伝えられているという。


数学に出てくる点や直線は、実際に手で触れることが出来ない極めて純粋な観念であり、その意味で超越的存在だ。
勿論、これらはあくまで観念だから実態として「ある」わけではないが、この神にも近い超越的存在としての点や直線、そして数式を駆使して人間は地球以外の天体に出掛け、帰還することをもう37年前にやってのけた。

人はパンのみでは生きられない。

生きるうえで、それぞれの個人がロマン派的であろうが、ロマン主義的であろうが、そんなことどっちでもいい。人が観念で描き出す表現全て(アート・文学・学問・コミック・スポーツ・芸能・・・・∞)が人間にとって生きる力を与えてくれるという事実が重要だ。
博士の愛した数式
さて、こんな素晴らしい小説に出会ってしまったという事態をどう解釈すればいいのか...............

まずは、年の初頭ということでもありますので、次の言葉が一番適当でしょうか..........



感謝