『工芸の現在』。これは、あまりに重要なテーマ故に、本気で取り組まなければならず、仕事に追われる日々の中で、このことに触れるのを無意識に避けてきました。 しかし、嘗てないほどの危機に晒されている工芸の現状を見るにつけ「何か発言しなければ・・・・」といった思いは募るばかり。 そこで、出来るところから始めようと、徒然なるままに書き始めることにしました。 定期に更新する余裕がないので、取り敢えず順次加筆を重ね、後に共通事項ごとに編纂するといったスタイルをとりつつ、この重く深いテーマに触れていきたいと思います。 ちょっと硬い言い回しになってしまいそうですが、なるべく読み易い文体になるよう努力しますのでご辛抱を。 |
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消えたオルガナイザー(工芸評論) 工芸誌が、書店の店頭から消えて久しい。 言うまでもなく、この事態は、工芸全般の現在の状況に言及したところで、それに耳を貸す層が絶対数として少なくなったということを意味するのでしょう。 別の言い方をすると、工芸に関する事柄を活字にしたとして、それを、手にとって読む層がいなくなったものと出版社側が判断したとも言えます。 この状況をもって、工芸が、僕らの日常から消えつつあると考えるのは早計です。しかしながら、工芸の未来は明るいかというと、これはまた別問題です。 今「工芸」は、嘗てないほどに厳しい状況といっていいと思います。それは、工芸の各産地を見れば一目瞭然です。 漆で言えば、輪島を筆頭に、木曾・山中・会津・若狭・津軽等。陶器の産地では、瀬戸・信楽・九谷・常滑等、嘗て隆盛を極めた伝統工芸の産地は、軒並み退潮著しい状況です。 そこで今、何故いわゆる伝統工芸と称するものが厳しい状況におかれているのか。そして、僕ら工芸に関わる者が、この状況をどの様に乗り越え、さらに実情にあった新たな工芸品をどう再生していけるのかを模索したいと思います。 物流の変化 工芸が、こういった厳しい状況に至った原因は、いくつか考えられます。なかでも日本の社会を構造的に変容させてしまった消費社会の台頭がとても大きな要因といえるでしょう。このことによって、卸し業を核とした工芸品のそれまでの流れが、大きくその姿を変えました。 実際、僕が作家活動を始めた25・6年前には、漆工芸品を扱う大きな卸業者が五つばかりありましたが、今は一つも残っていません。 80年代に入ると、日本の経済構造は、それまでの初期資本主義から超資本主義へと大きく転換しました。そこでは、自分で自分自身の身体を食べながら生き延びる生物のごとく、生産と消費が、まるでメビウスの輪のように無限に循環し続けています。 こういった経済の変化によって、日本人の平均所得は飛躍的に伸びました。しかし、当然ながら、この現状を維持するために、そのGNPの大きさに相当するエネルギーを僕らは裂かなくてはならなくなります。 これは、容易なことではありません。そして、そのきつさ故、超資本主義社会に生きる人々は、この経済的収益を効率よく上げる方法を必死に探りました。 |