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盆休みに入った。 特別のことはない。夕方、天気もいいので、久し振りに一眼カメラを担ぎ逗子から葉山へ海岸通りを自転車で飛ばした。 |
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(裕次郎灯台.................葉山柴崎からの江ノ島) |
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夏の国道134号線は、10年以上前、初めてデジカメ(CASIO QV-2000)をもって出掛けたコースだ。15年以上前には、息子達を連れてよく潜った。遠浅の岩場が続く秘密の場所は、子供達を終日放っておいても危険がなく、岩に着いた巻き貝やカニを追いかけ、大人は大人でサザエやトコブシを素潜りで捕った(今は、密漁でしょっ引かれてしまうようですが、当時はおおらかでした)。 このコースは、どこをとってもスタンプラリーで押した判のように当時の記憶が蘇ってくる.......... ...年取っちゃったな.........そう当時の自分に語り掛けながら自転車を漕ぐ力は殆ど衰えていない。結構きつい坂も苦にならないのは、未だにフットサルを続けているからだろうか(膝には水が溜まっちゃうのだが)。。 |
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(葉山港の画像を加工) |
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美術にアイデンティティーをおいて30年以上経つが、今もって自分が追いかけているテーマは変わらない。いくつかあるが、メインは「光」。まるで印象派の画家のように、ある時は木漏れ日の揺らぎを、そして、ある時は水面が反射する移ろう波紋だったりする。カメラのファインダーで狙う先には、今もそういった風景がある。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今では陳腐になってしまった問いに、抽象か具象か・・・というのがある。僕の指向性というか親和性といおうか、自分のもつ据わりのいい視座は「抽象」だ。物事を整理する際の論理展開も、抽象的に思考した方がまとまりやすい。そういったこともあってファインダー内の構図は、どうしても抽象に傾く。これは好みなのでいい悪いではないと思っている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今年の盆はいつもと違って、特別に数本太平洋戦争のドキュメンタリーを観た。どれも素晴らしく、阿部元首相のNHKに対しての口出し問題(従軍慰安婦問題の編集に変更を迫った)以来、ずっと引きずっているNHKへの不信も大分払拭されてきた。 特に「日本海軍 400時間の証言」は、えっ・・・と生唾を呑んだ。 なぜ敗戦に至ったかを検証し、二度と失敗を繰り返さないため、戦後35年が経過した昭和55年から11年間、海軍の中枢・『軍令部』のメンバーが中心となって秘密に集まっていた会合(「海軍反省会」)の記録である。 それを聞くと、国の将来を決定する機関であった当時のエリート(海軍幹部)が、デジャブの様にまったく今の官僚と変わらない構造に気付かされ唖然とする。僕らは戦後六十数年経っているのに、先の大戦から何も学んでいないのだ。大戦の総括が出来ていないことが、その後の日本にとって致命的になったことを、このドキュメンタリーは伝えている。 このドキュメンタリーに対しての宮台真司のコメントが、なかなか穿っているので御視聴あれ。↓
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NHKスペシャル 果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦 ・・・・このドキュメンタリーも凄まじいものだった。戦後60年を過ぎ、戦場に赴いた元日本兵の方々も高齢に達し、その死期も迫っている自覚からか、やっと当時の惨状を口に出せるようになったという。 他にも沖縄決戦の語り部や広島の惨状を伝えたものなど、今までにない質の高さで番組が出来上がっていた。一つ一つコメントする余裕はありませんが、再放送もあるようなので是非ご覧頂きたいと思います。 実は今日(8月16日)お墓参りに行ってきました。いつものように上野・横浜(鶴見・小机)とハシゴです。横浜のかみさんの寺には戦没者の墓石がいくつかあります。今日しっかりと確認したところ「~兵長レイテ島にて戦死」と刻まれていたのに驚きました。先日NHKで観た、あの凄惨なレイテ島の戦場で無念の死を迎えた方が、ここに眠っている・・・・つい手桶の水を墓石に注ぎ合掌してしまいました。 先日民主党が、過去の不幸を背負ってしまった靖国問題の解決策として、「新しい国立追悼施設」の設立を構想しているとの報道があった。とてもいいことだと思う。ただ、過去の倫理を超えて散っていった英霊の御霊を鎮魂する靖国神社は、例え外国から見て矛盾を抱えているとはいえ、当時の国策として招集され亡くなった方々に罪はない。宮台真司が言うように、「大戦当時靖国神社は公的な施設であり、靖国神社で会おうと死んでいった方々の魂が帰るところがなくなってしまうということはあってはならない」。僕らは、この矛盾を引き受けていく覚悟が必要だと思う。 |
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(葉山柴崎) |
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今年も既に盆を迎え、ようやく蝉の声も賑やかで夏らしくなってきた。 秋の来る前に、急いで夏を満喫したいな~と、ちょいと焦る夏です。 合掌 |
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