・・何言ってるんですか!ファッショなんてありません!!

..........いや、いや、その・・ファッショじゃなくてファッションです。ドイツのファッションは、今どうですか・・・・?。

以前、ドイツで最も権威ある新聞社(フランクフルト・アルゲマイン社)の取材を受けた。

取材には、東洋美術を専門とする、特に日本の現代美術に関心の強かったドイツのライターがみえた。(65歳くらい?の女性で年齢を聞いて叱られた;;)。

日本には、12年ほど住んだことがあったので英語を交えた日本語で充分会話は成立した・・・・・。

・・が、当時、僕が興味のあったファッションに関しての質問を彼女に投げかけた時、事件?は起きた。

あっ;;....ファッションですか? ドイツでは日本よりファッションに対する評価はずっと高く、アートとして承認されていますよ。

僕が、日本の現代美術が好きで、1980年、東京画廊での斉藤義重さんの仕事を手伝ったことや、銀座村松画廊で個展を開いたことなどを伝えたところ、彼女の目は輝き始めた。

話は弾み、調子にのってファッションの話に行ったところでこけた。。
詰まり、ドイツではファッショ....ンと聞いただけでナチスの戦争犯罪が瞬時に想起されるくらい、ドイツの加害者としての自覚が強烈に学習されているということだ。

僕にとって、日本と他国との戦争責任に関しての認識が、大きくずれていることを知った「原体験」ともいえるほどショックな事件だった。

終戦記念日が近い。

因みに8月15日を終戦記念日にしているのは、世界でもわが国日本のみで、アメリカは9月2日、そして、中国は9月3日が、抗日勝戦記念日と定められている。

これは、日本がポツダム宣言を受諾した日時ということになる(ソビエト連邦では9月4日)。

8月15日が終戦記念日とされるようになったのは1982年4月13日閣議決定によるもので、「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」と位置づけられ、1963年以降政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区日本武道館で行われている。(日本武道館での開催は1965年から)

終戦記念日はたまたまこれがお盆にあたることから、民俗学的にいえば、両者が混交して死者の魂を追憶し、供養すべき日として言わず語らずのうちに日本人の意識のなかに根付いている。
十五年戦争(大東亜戦争)について、日本人がしばしば自国のかつての立場からのみものを見がちであり、周辺国家との協調を欠く結果におわるのは、こうした死者供養、さらに端的に言えば「死んだ兵士たちに申しわけない」という意識がつねに終戦記念日と切りはなせないかたちで毎年やってくることにもかかわりがあるといえるだろう。
(フリー百科事典ウィキペディアより)


三宅一生特集 フランクフルト・アルゲマイン社
8月15日というのがお盆と重なることで、忌まわしい過去を直截的に思い出さなくて済む・・・と結論付けたのは、当時の為政者だ。この姿勢が全てを象徴し、戦後の日本を方向付けたといってもいい。

誰も責任を取らない体制の元凶がここにあったのを知ったのは、つい先日、確か、ピストン西沢と秀島史香のグルーブラインのあとのジャム・ザ・ワールドだったと思う。

前回の「朝まで生TV」には、がっかりさせられたが、前々回の出演者(太平洋戦争に実際に従軍した方々)の発言は、今でも深く心に残っている。

多分ご覧になった方々は、同じ印象を持たれた様で、出演者の何人かの方は、J-WAVE のジャム・ザ・ワールドに出演依頼され、従軍当時の体験を話されていた。

特攻隊員として出撃するため操縦桿を握った時、胸に去来したのは「天皇陛下のために死ぬなどといった観念ではなく、愛しい家族や友人、そして故郷の人々のために死のうと思った」という下りには、窮地に追い込まれた時の日本人の正直な心境が窺い知れ、その素直で率直な発言に心癒された。

また、シベリアに抑留された方のコメントも、日本人の本質を照射していてとても参考になった。

当時、現地の収容所には、日本軍の捕虜は勿論、ナチスドイツの残党も数多く収容されており、毎朝の朝礼の出方が日本軍のそれとは全く違っていたという。

ドイツ兵は、敗戦が決まったあとでも変わらずヒトラー万歳と頑固に唱え続け全く揺ぎ無かったという。
 一方、我が日本兵はというと、すっかりソ連側に洗脳され「労働歌・インターナショナル」を全員で合唱しながら朝礼に参列したという。

腹を抱えて笑いたくなるほど寂しい現実だ。

リヒテンシュタイン特集 フランクフルト・アルゲマイン社
滑稽なほど悲しいこの事実は、一体どこから来ているのだろう....。

でも、「南京虐殺はあったが事実とは違い、実はもっと残虐な行為を大陸ではやった」と、未だに毎年遺骨収集を続けている、当時軍曹だった方の事実を正視した弁には救われた。

何故、他の従軍なさった方々が何もしていないのに、80歳を超えた今も遺骨を拾い続けるのですか?という司会者の質問に・・・・

「私の突撃命令で8割の部下が帰ってこなかった。8割の部下を死なした責任は私にあるので、その時の部下の遺骨を拾うのは、私の当然の義務だ」という下りには、他の多くの日本人には見られない、人としての責任の取り方が見て取れ、こういった方も少なからずいらっしゃるのかと胸を撫で下ろした。

でも、案外深い人間性を秘めたまともな方々は、道義的に沈黙を続け、口にするのも忌まわしい事実をあの世まで持って行かれたのかも知れない。

8月15日がまた来る。

加害者として開戦し、被害者として終戦したという経緯が、日本が戦争を仕掛けたという事実をぼかしてしまった。

僕らは、誇れる文化と共に負の遺産も背負って行かなければならない。その自覚を持ったときに、お隣韓国や中国の信頼を勝ち取れる。そして、その時に初めて英霊の御霊も救われると思う。

合掌