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度々紹介している僕のお気に入りの場所「沼間五霊神社」であります。ちょっと目先を変えて初めての動画であります。皆様のPCやネット環境がそれぞれでしょうから、どのように映っているのかちょっぴり心配ですが、思い切ってアップしてみました。 えっと、驚くほどこの五霊神社は小さな神社なのです。境内も狭く、600年を超す大銀杏がこんなところに・・・・といぶかるほどです。興味のない住人は、気付かないのではと時々思います。でも、由緒正しい神社で、祭事のときはお隣鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮司がちゃんと来て祝詞を奏上します。五霊神社創建の年代は明らかでありませんが、頼朝の父源義朝公が沼間の第宅の鎮守として勧請したものであると伝えられています(どうです凄いでしょ........沿革はこちら)。 ”癒し”という言葉は嫌いですが、でも、ここ五霊神社は癒されるというか、とても素直に自分と向き合える特別な場所であります。この地、沼間三丁目の住人で本当に良かったとつくづく感じるこのごろです。 |
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(逗子沼間公民館) |
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さて、先週末に町内会の会合があり、今年は本来お隣が班長なのですが、息子さんと同居が決まり急遽二世帯住宅のため改築となり、一年早く我が家に班長が回って来ました。 前回の出席は、確か4年前? 受付で自分の所属が”坂の下”だったか”宮ノ下”か分からず、お隣の名簿を睨んでいたところ会長に救われた;;; 今年はちゃんと”坂の下”の受付口に。。会合は、我が家の前の公民館なのでサンダル履きで出掛けられて助かる。 受付を済ませて「どうぞ・どうぞ」と手を差し伸べられた先は、和室の畳に敷かれた座布団ばかり。「もう定刻なのに・・・・」人がいない。。前回は満員で足の踏み場もないくらいだったのに・・・・。 ここ沼間は、未だに町内会別の運動会があるくらい地域の絆は固いところだったはず。班員は未だしも各班長の欠席が多いのに驚いた。この沼間も地域は空洞化してしまったのだろうか・・・。僕自身は、いつか役員になり地域の活性化に一役買いたいと思っている。なので、この欠席率は気に掛かる。きっと、地域に参加する切っ掛けのようなものが掴めないのでは・・・・と思っている。 |
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かみさんが市会議員で頑張っていた頃(かれこれ十五年以上前になるか・・)何とか僕なりにサポートしなければと、この町の市民委員をボランティアで幾つか引き受けた。その実績を買われて?逗子の男女共同参画会議である「ずし女性プラン推進会議」議長を役所から頼まれ引き受けた。大したことは出来なかったが、地域には、それなりに関わっていこうと、今でも変わらず考えている。 ここ逗子は、嘗て「池子米軍住宅建設問題」で市を二分する難題を抱え、その際住民投票で市長は三度もリコールを重ねるという経験も持つ。その意味で市民自治の浸透した地だ。それ以前にも戦後間もなく、お隣横須賀に吸収合併の話が出た際も、市民が一致して反対運動をしてこの話を跳ね返した実績を持つ自治意識の強い町でもある。 今年の初詣も可成りの人出だったし、ここ数年今までになく盛況に見える。ただ、若い世代は、地域にどう触手を伸ばしたらいいものか、そして、年輩の世代は新しい世帯に対しあまり出しゃばっても・・・・と控えている様にも見える。でも、日本全体の閉塞感は、家族・地域・会社と空洞化する中で生まれた状況でもあるので、そこは微妙だけれど何とか新しい”結びつき”を醸成したいのだが。。 |
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世界・国を憂う前に足下からとは理屈ですが、地域も国もどちらも大切です。 と言うわけで、昨日息子は代休を取って日本橋まで出掛け「事業仕分け」なるものをライブで見てきたようです。枝野大臣が、艶のある声でエネルギッシュに作業していたのが印象深かったと報告を受けました。僕らの若い頃に比べ、社会も政治も熱くないのが何だか気の毒ですが、いつの世も若者は、はっきりと見える目の前の敵と対峙し、それを切っ掛けに色々な意味で飛翔してゆく存在です。ちょっと失速気味の民主党ではありますが、ここはエールを送りつつ、じっくり見守りたいと思います。 今ひとつの体調でしたが、何とか風邪も治り始めています(長かった~)。昨日近所の公園にボールを蹴りに出掛けたところ、珍しく小学生が二人でボールを蹴っていました。「やぁ、何年生?・・・ゲームやろうか」と3点先取で2セットミニゲームをやった(ゴールの大きさにはハンディーを付け彼らには2倍)。1セット目は、3:2で何とか逆転。でも、2セット目は0:3で負けた;;;息が上がり足が動かん。直ぐに膝に手を当てるといった情けない有様。今回の風邪はちょっとやばかったです。でも、楽しかった~♪ 次回は、もう少し気の入ったお話が出来たらと思います。 この陽気です。みなさまもどうかご自愛下さいますよう。 |