「しゃがれ声」

 キックボード片手に、今日もリハビリだ。

 25mプール(ある程度、浅くないと腿に負荷が掛からない)2往復で1セットを20セット。つまり、行ったり来たりを80回こなすわけだが、まあハツカネズミでも飽きるかも。

「1のファースト、1のラスト、2のファースト、2の・・・・・・・」てな具合に数えながらやらないと勘定を間違えてしまう。それでも、芋洗いに近い夏休み中の市民プールの光景は目に映っている。

(葉山町の県道沿いにて)

 やはり女の子の方が元気だ。

 昔は、しゃがれた声で、はしゃぐ男の子の方が圧倒的に多かったと思うが・・・・・・。

 そう言えば最近この「しゃがれ声」の子供が少ないように思うのだが、気のせいだろうか?

 僕の小さかった頃聞いた話だが、下町の足立区(そう言えばタケシも足立区だったような・・・)あたりで大きな声を出して元気に遊ぶ子供達は、殆どが声が潰れて「しゃがれ声」になり、当時盛んだった合唱団が結成できなかったという。

 実は僕、小学校当時、川口少年少女合唱団でソプラノをやってました。「南アルプスの天然水」のように清く澄んだ美声でした、はい(^^;)
 まっ、人見知りの激しい僕が、人前に出ることに慣れるようにと、おふくろが企んだことでしたが。

 案外楽しく、毎日曜日隣町の公民館まで練習のため通った。

 練習の成果は、ある時は老人ホーム、そしてある時は刑務所の慰問といった具合に殆ど公の施設で試された。
その刑務所では、何人もの受刑者が声を出して涙を流していたのを記憶している。

 そんなことの繰り返しの中から、何を思ったか団長の今泉先生が、「レコードを出そう!」などと物騒なことを言い出した。

僕らは「いいのかな〜」と思っていたが、今泉先生は本気だった。

それからの日曜日は、毎週徹底して特訓だ。

 かなり「力」を入れてノルマをこなし続けたある日..........「よっし!」と今泉先生のお墨付きが出て、後日「日本ビクター」まで何人もの母親同伴で意気揚々と出掛けた。

 録音スタジオに入り、僕らは、日頃の成果を遺憾なく発揮した。

 録音が済んで控え室に休んでいると、ビクターの録音担当者が静かに入ってきて、喉に詰まらせたティッシュを飲み込むように切り出した.........

「あの〜〜ちょっと、レコードにするには、まだ........」

「もう少し練習を積んで、再挑戦してみては.........」

 その時、今泉先生は、忘れていた靴下の穴を指摘されたような、瞬時にゲルになってしまうんじゃないか.......といった風な顔をして頭をかき続けていた,,,,,,,,,,,,,

スタジオの外は、もうとっぷりと日が暮れていて連れ添ってきたお母さん方も肩を落とし、駅まで口を利くものは一人も居なかった。

 なんか悲しい話だったので、今は亡き親父が一番好きだったお噺を一つ・・・・・・

 レコード会社に見捨てられるほどの力量だったが、別段落胆するでもなく、僕ら川口少年少女合唱団はパブリックな会場で発表?を続けた。
 そんなある日、例によって、とある古い公民館で発表の場をもった。 

 いつものノリで「気合い」を入れて熱唱したが、何曲目かの『荒城の月』も歌い終わって落ち着いた頃会場を見渡すと、最前列に二人のおじいちゃんが長椅子にまたがって縁台将棋。横には孫の坊やが、ふやけるほどしっかり握った拳からスーとすまして伸びた白糸の先に赤い風船をポカンと浮かばせていた。

 おまけに、小さな会場の隅を縫って二三人の子供が、キャッキャ言いながら走り回っている.........という有様だ。

 もちろん、観客はそれで全員です。

それでも、一曲終わる度におじいちゃんは、顔だけこちらに向け「パチパチ」と拍手して即「パチン」と駒をさしていた。

 この噺を何度もリクエストしては、親父は涙を流して笑い転げていた...........。

 炭酸水の泡のように、幼かった頃の記憶が、滅多に見せなかった親父の笑顔とダブりながら浮かんでは消える猛暑の夏です。

 ご自愛のほど。