2001年11月3日                                   手探りのキッス 

 先月の半ば、知り合いから頂いたチケットで東京都写真美術館・「手探りのキッス 日本の現代写真」に出かけてみた。

 予想通り、選出された7名のアーティストのうち4人が女性だ。相変わらず美術界は、女性が元気だ。

 選ばれた7名の作品全てが、「写真でしか出来ないもの」を表現していて、写真とは何か?という本質的テーマに素直に応えていたのが印象に残った。 

 なかでも僕の眼に付いたのが、米田知子だ。
 彼女の素材選びは、「ちょっと反則じゃねーか」とツッコミを入れたくはなるが、かなりメジャーな歴史上の人物の持ち物を登場させ、そこに同じ様な背景を持つものを絡ませるという手法をとり見事に成功していた。
 かって「もの派」と言われた美術集団が、「ものに頼りすぎている」と言う批判を受けた。米田知子のずっしりと重い歴史を引っさげている人物を、一つの物化された情報として選ぶその姿勢は、確かに「もの派」に向けられた批判と同じ次元の構造を持つが、でも「もの派」の作品同様、トリッキーな惹きつけられ方がそのスタイルとして確立されている。

 「もの」の背景にある歴史的な物語を総動員させるその手法は、反則と言えば反則だが、イメージの持つ自立性と連鎖性は、どこまでも自由で、かつ節操なく続いていくことを憎いくらいに、そして見事に手の内に納めている。

   

   米田知子 「フロイトの眼鏡 ユングのテキストを見る」 1998年 Copyright (C) Yoneda Tomoko

 写真機の歴史は、遠く中世まで遡る。そして、近代に入り印画紙とその定着剤の発明により、写真機は「写真」という特定の「時間と空間」をオブジェとして定着させることを可能にした。このことによって、僕らはいつでもどこでも歴史的なある一点をリファインする術を手に入れた。このことは、大きい。

 最近は,もっぱらデジカメばっかりで、僕の35ミリカメラ(MINOLTA-α507)にはカビが生えてしまったかも ^^;;

 久しぶりに二眼レフカメラを手にして、じっくりと自然やものと向き合ってみたくなった。デジカメ購入のため手放したYASHIKA-Gマット124やMAMIYA-RZは,今頃どうしているだろう・・・・・。

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