(昼の月) |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
青い空に、白雲のように浮かぶ月。 昔から、この「昼の月」をどう呼ぶのか知りたかった。 「残月」という言葉の響きが美しいので、同じように、昼の月は、もっといい呼び方があっていいと思うのだが・・・・。 長男が未だ三歳頃だったと思う、この昼の月を見て「あっ、雲!」と空を指さした。 そう、薄紙のようにぽっかりと青空に浮かぶ昼の月は、まるで雲のようだ。 昼でもなく、かといって夜とも言えない黄昏時の月を、何とか画像で残せないか・・・・・。 この昼の月を、眼に見えるままに撮影するのは、カメラの特性上とても難しい。月にフォーカスするとその明るさから周辺の景色は真っ暗に写り、刻々と変わりゆく黄昏時のデリケートな空にフォーカスすると月は露出オーバーでハレーションを起こす。 人の眼は、瞬時に月と黄昏時の淡い色の空を視点移動できる。また、自律神経系の眼という感覚器官の構造上、、それを、意識しないで出来る。従って、カメラだと二工程ある場面を、人の眼は一工程として認識し、それが、得も言われぬ黄昏時の空と月を、味わい深いものに感じさせている。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(pm 6:35) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
太陽と違って、間接照明となる月の明かりは、静かに眺めながら、もの思いに耽るのに相応しい光度だと思う。怪しげでもあり、神々しくもある。そして、古今東西、月は概ね女性に喩えられてきた。恐らく、その昔、僕らの祖先の祖先の、そのまた祖先が未だ海に生息していた頃、海は母体そのもの、そして、その海の潮の満ち引きを操るのが月であったこと・・・・その記憶が月を母性として感じる無意識を作ったのではないだろうか。 「寂しいときは、月を見なさい.........」 確か、むかし聞いたラジオの人生相談でのサジェスチョンだったような。。今の自分の有り様を、その時その時で、どうしても説明できないことが人にはよくある。何かに悩んでいるとき、その出自や因果が辿れないことがよくある。逆に辿ったところでどうにもならないことも多い。もうその時は、ただただ月をじっと眺めるしかない・・・・。それは、ずっとずっと昔へと時を遡行することで「確かな今」に繋がる時間軸に乗れる.........そんな気がする。 心というものが、自然の中にあって、身体というものを介して生まれるということを月は教えてくれる。そういう訳で、月は僕らの無意識に働きかけて、いろいろな心のスイッチをオンする。 出産が潮の満ち引きに深く関係していることはよく知られている。そればかりではない、心筋梗塞は早朝に起きやすいという。つまり、自律神経系のスイッチは、体内時計の働きでオンオフが繰り返される。このバランスが崩れたときに、人は病む。 |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(pm 6:36) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
太陽は、読んで字のごとく「陽」で、月は「陰」。従って、陽は「意識」、陰は「無意識」に喩えられてきた。月は、普段僕らが気付かないでいる「こと」を操っている・・・それも、かなり重要な。月との直接的な関わりが、あまりにも遠い過去にまで遡らなければならないので、僕らはつい月の存在を忘れてしまう。それ故、月を見上げ眺めるということは、消えかかった大切な記憶を上書きすることそのものなのだろう。 月夜の晩、何かが起こる・・・・・ 月に吠える・・・・ ・・・・ |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(pm 6:37) (pm 6:42) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
人の心は、身体、そして自然という外界と織りなす軌跡ともとれる。そしてまた、身体そのものも自然で出来ている、あるいは自然が入り込んでいるともいえる。月は、そういった人の心のメタファーなのだ。 自然科学的にみても月は不思議に満ちている。 月は、僕らの住む地球に裏側は決して見せない。常に表の一面しか向けずに自転している。一見、何でもないように見えるこの宇宙の公理だが、実は地球も自転をしている。そして、その周りを月は公転しながら自転を繰り返し、尚かつ地球に裏は見せないという慎み深さをもつ。つまり、地球の自転と月の公転がぴったりと重なっている。まるでお漏らしをした子が、お母さんに悟られないよう、その周りを自転・公転するかのように(はずしたかな;;;)。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(pm 6:51) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さて、満月をみると、ついカメラを向けてしまう自分がいます。うつろいゆく時を一時止めてみたいと思うのでしょうか・・・・、それとも、遠い過去に遡行し、忘れてきたものを取り戻したいと思っているのでしょうか・・・・・。そういえば、星と違って、月を見て未来に思いを馳せることは、あまりないようです。月を見上げるのは、やはり遠いむかし、つまり僕らの原意識と対話することなのでしょう。 .......ぼんやりと月に思いを馳せる立春過ぎの如月です。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(pm 6:54) |
page top |