今年もこの季節がやって来ました...........



いつものように、大工牧野が銀杏を届けにやってきました。今年は、五霊神社の銀杏がお仲間入りです。ピンク色のがそれですが、あんなにも大木なのに意外にも小粒です。先日、牧野さんがトイレの壁を直しに来たとき「今年は秋が早くない?五霊神社じゃもう銀杏が落ちてたよ・・」と伝えたら、昼に散策に行き銀杏を拾ったみたいです。。



そして、今年はドングリでなくクヌギの実が添えられています。ここが大工牧野の常人でないところです。
Today's image index
2009
10/12 プチ同窓会 
オリンピック招致
 奥日光
 
Table完成  
 初秋
選挙
食あたり? 
 お盆
 徒然
夏祭り 
作るということ
 
アメリカンクラブ展示open
展覧会直前  
梅雨の晴れ間 
祝 W-Cup 出場!
アメリカンクラブDM 
忌野清志郎の詩  
SAVOIR VIVREの器
草彅報道
 花 見
(続)耳寄りなお話
耳寄りなお話
彼岸
湯飲み
確定申告の季節
「おくりびと」
別冊マーガレット
昼の月
アメリカンクラブ
正月明け
元旦
謹賀新年
さて、秋も大分深まってきました。昨日、中学時代の同級生に呼ばれ、さいたま市まで出掛けてきました。湘南新宿ラインを利用すると逗子から大宮まで直通で行き二時間かかりません。便利になりました。



40年振りに会う同級生は与野本町駅に出迎えに来てくれていましたが、階段の下で携帯を耳に当てて声を出しててくれなかったら、全く本人とは気付かなかったと思います。不思議に声だけは変わっていませんでした。多分、イントネーションは指紋のように百人十色で生涯変わらないのでしょう。



卒業した中学校や、僕の住んでいたところなどグルッと車で回遊してもらいましたが、通る道すべての道幅がむちゃくちゃ狭いのに驚きました。もちろん、当時と全く変わっちゃいないのです。僕の記憶がワイドに刷り込んでいただけです。
 

(Y・M・僕・A・・・・卒業旅行?)
 
みんなポツリポツリと記憶を掘り起こすのですが、どういう訳か僕はザクザク中学当時の記憶が湧いて出てくるのです。ちょっと異常だと思いました。必ずしも思い出深い中学時代ではなかったのですが・・・・・・。



集まったのは僕を含め四人。その一人Aのこと・・・・・。
 
卒業を間近に控えたある日、Aは親父と約束していたという12段変速の自転車を嬉しそうに披瀝。仲間の一人Maは、止せばいいのにその新車を試乗させろと迫り新車に跨りました。ここは12段の真価を確かめようと校庭で加速し、疾風のごとく僕らの前を通り過ぎ、渡り廊下を抜けようとしたとき事件は起きました・・・・・。



そこには3cm程のコンクリートで補強された段差があったのです。そこを一気に抜けた途端、前後の車輪とも瞬時にパンク;;;どのくらい待ち焦がれていたであろう12段変速の自転車の持ち主Aは、咎めもせず顔色一つ変えずにいたのを僕らは息を呑んで見守っていました。でも、その事件現場に四人ともいたにのに、覚えていたのは僕だけでした。



「今なら弁償しろ!って言うよ」とご本人の弁
(本人も覚えていませんでした;;;)。多分彼は、今でもそうは言わないと思います。外見とは違って、今でもとても面倒見の良い寛容な男でした。でないとこの時期、町のスポーツ店は成り立ちません(彼はこの地で「与野スポーツ」という店を40年近く前に株式で立ち上げました)。
Today's image index
2008
年の瀬
晩秋
志ん生と小林秀雄
個展・銀座
ネットショップ
草食系男子
タモリの弔辞
山本モナが好きだ
since 1999
結婚と人生を振り返る?
ハマヤキ
CMのこと
「つわり」のこと
消したい過去
空間の偏り
銀座の今
春の予感
息子のこと
確定申告
上方『銀花』
個展間近です
おめでたい覚悟
元 旦


三ツ星 file index
珠玉の話
大工牧野 恋するミトコンドリア?
大工牧野軍団 博士の愛した数式
中田の憤死 白川静
名  人 卒業おめでとう!
小 笑
本屋の Ben-i  玉虫
大学受験面接 続・恋するミトコンドリア
新粉筒 奥日光
エピステーメ ペット
しゃがれ声 南伊豆
 up 結婚と人生を振り返る?  
家族談
猫がきらい 自分を引き受ける
朝のリレー 涙っていいな・・・
サッカー部復帰 悪魔のヘルパー
僕の町(沼間)
恋愛(男女観)
十代の恋 チャングムの誓い
雨上がりの桜 荒井由美のリビドー(性)
風  情
物憂い秋 大犬のふぐり
平安からの風
耳掻き 吾輩は主婦である
秋は煙 東京が好きだ
曇天 立秋
つわり 夏の臭い
小津安二郎の世界 星に願いを
薫風
木の実 明日香村石舞台
得する社会評
男女共同参画社会 暴力の根元について
伊豆(地域の空洞化) 「沼」はダサイ?
宗教について 最近の子はよく寝る
介護の問題 8月15日
サービス残業0法案
時 事 ネ タ
柳沢発言 ロンドンの自爆テロ
イラク増兵 すねの傷
アート
年賀状制作中の巻 邦画『GO』と「n個の性」
石原慎太郎とのこと 東京再開発
超資本主義の中の工芸誌 中国現代美術の動向
民芸館 「厨子三様」
chain saw
手探りのキッス 「お・ばんざい!」(死について)
My favorite things
万年筆 植木等
ダイソー のCD リフティング
タモリの名言 VW TYPE Ⅱ


中原中也 file index
short essay
小林秀雄
盲目の秋
梅雨の晴れ間
春の予感
中也詩椀

工芸の現在
はじめに
マニュファクチャーと付加価値
伝統工芸産地の今
新たな流通の確立へ
生活スタイルを決める経済
理想の生活スタイル
退潮著しい伝統工芸
<消費>について
続<消費>について




Home index




(僕とY)........写真を撮ったのは多分A ?
そして、当たり前?ですが全員持病の薬を手放せなくなっていました;;;血圧・糖尿・不整脈・メタボ etc あっちが悪い、こっちが悪い・・そんな会話で話が弾む歳になっていました。



今回声を掛けてくれたYは、当時僕が唯一ビートルズの話が出来た友人でした。ある日、二人で駅前のレコード店に行き、赤い半透明のシングルレコード盤 "She Loves You" を購入したのをよく覚えています。毎週、ラジオで特集されたヒットチャート・トップ10にビートルズの曲が2 曲入ることも珍しくなく、3 曲入ったこともありました。



そんなわけで、毎週新曲が出るんじゃないか・・・と期待に胸を躍らせる毎日・・そんなある日、YはいつものようにBeatles の新曲を物色しに与野の駅前にあった小さなレコード屋に足繁く通ったのでした・・・



”おっ見つけた!”・・・・聴いたこともない新曲が記載されたレコードジャケットを見た彼は即決購入、胸を踊らせて帰宅して試聴してみて事態を把握;;;何とそれは Beatles とは似ても似つかない、おぞましい音色の”東京ビートルズ”でありました。青ざめた彼は、速攻店に!   店員に「ビートルズのボックスに入っていましたよ!」と告げて返品したそうな。。。

昭和39年
東芝ラジオ7P77S(ヤングセブン)
伝えたい、でも伝わらない・・・そんな曖昧模糊とした異性への想いと Beatles への想いを重ね合わせ僕らはBeatlesに夢中になった...........



上の画像は、当時みんなが憧れた東芝のトランジスターラジオです。Yがいち早くゲットし、受験勉強もせず月夜の晩八時近くMの家の前まで夜道をほっつき歩いていました。丁度その時にラジオから流れていた曲が・・・・Beatlesの”Mr. Moonlight”。今でもこの曲を聴くと高く澄んだジョン・レノンのイントロと、当時の不安定で過敏だった自分やYを思い出します。

(与野本町通り)
 
Today's image index
2009
10/12 プチ同窓会  
オリンピック招致
 奥日光 
 
Table完成  
 初秋
選挙
食あたり? 
 お盆
 徒然
夏祭り 
作るということ
 
アメリカンクラブ展示open
展覧会直前  
梅雨の晴れ間 
祝 W-Cup 出場!
アメリカンクラブDM 
忌野清志郎の詩  
SAVOIR VIVREの器
草彅報道
 花 見
(続)耳寄りなお話
耳寄りなお話
彼岸
湯飲み
確定申告の季節
「おくりびと」
別冊マーガレット
昼の月
アメリカンクラブ
正月明け
元旦
謹賀新年

page top 
飲み会が終わったら、四十年振りの町をぶらっと散策したかったのですが、真っ昼間から飲み始めてしまい気付いたら外は真っ暗でした。なので、現地の生の画像がありませんが、与野の歴史はネットに沢山アップされていましたので、ここは一部拝借↑。



「与野」をネットで検索すると、その沿革がぞろぞろ出てきます。それによるとこの地は、古くは石器時代より人々が住んでいたようです。そういえば高校の登下校の際、新大宮バイバス予定地から出土した縄文時代の竪穴式住居跡に寄った記憶があります。

(1967?.........当時の貴重な写真です)
 
残念ながら”与野”という地名はJRの駅名でしか残っておらず、今では、さいたま市中央区と称されています。これはとても残念なことです。この名では、この地の出自が全く辿れません。権限だけあった教養のない「埼玉」の地名にコンプレックスをもつ爺どもが付けた地名なのでしょう。いつかきっと改名するときが来て「与野」が復活することを祈ります。 



というわけで、何か不思議なプチ同窓会で、とても大切な落とし物を拾ったような心持ちです。また一年後に会おう!と駅まで見送りに来てくれたYと握手をして別れました。



四十年。ずっしりと重くて厚い時間の層でした。



では、では。
 
 
(与野西中学校)