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早いもので春分も過ぎてしまった。今年も時の経つのが早い。 一昨日は彼岸の中日。お墓参りに出掛けるはずだったが、あいにくの雨で出鼻をくじかれ昨日に変更。最近は、昔と違ってお墓参りが面倒くさく感じなくなった。おまけに、線香の香りも「いいもんだな~」なんて感じる。まあ、自分自身が彼岸に行くのも、そんなに遠い先ではないということなのだろう。 |
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(上野....................pm 0:58) |
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「お彼岸」という響きはなかなかだ。特に春の彼岸は、ぽかぽか陽気のなか、なんだか正体不明の小さなエネルギーが、身体の芯のところで宿っているのを感じながら、ふらふらっと街に繰り出すのがいい。 「彼岸」・・・・・・ここへ来て、その風景も大分違ってきている。 高度成長、そしてグローバル社会と経過し、結果地域は空洞化してしまった。終身雇用もなくなり最近の葬儀では、会社の社員の動員もなくなっているそうだ。ご近所という共同体も、会社という疑似共同体もなくなった今、密葬が増えていることは頷ける。少しずつ形を変えながらも、人は新しい彼岸の形を模索していくのだろう。 |
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(上野 叔父の寺にて....................pm 0:58) |
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そして、快晴のなか墓参りの梯子です(合計4件)。 僕の両親が眠る上野のお寺(西光寺)さんの斜向かいの寺に、叔父の眠る寺もあるので、ついでと言っちゃ何ですが、毎年お花とお線香をあげに寄っています。上の画像は、叔父のお寺に咲いていた椿です。ちょっと珍しい種だったのでカメラに納めました。ほんと、椿は、花の中でも花らしい花だな~と思います。 鶴見の、かみさんの叔父にもお世話になったのでお詣りを済ませ、最後に、かみさんの実家の寺の墓参りを済ませると計4件、すでに4時近くなる。以前は、真っ暗ななかでお参りをしたこともあったが、流石にこの歳になるとそれは出来ない。 |
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(小机 泉谷寺) |
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あまり意識したことはないのだが、かみさんの実家の寺(泉谷寺)は、戦没者を慰霊する墓碑が多く目に付く。**曹長/**兵長の墓・・と刻まれた墓石は、僕の寺にはない。上野は空襲で殆どの寺が焼失してしまい、後に行政が区画整理し、今のところに寺町のように集結させたため敷地はみな狭い。そういった事情から、慰霊碑等を祀るスペースはないのだろう。 この歳になると、何が刻まれているか墓碑の刻字を一つ一つ確認してしまう。ビルマにて戦死・・・・ボルネオにて病死とか、かなり具体的に刻まれている。こういった方々の犠牲の上に、今の日本があるんだな~と素直に感謝できるのも歳のせいということか・・・・。 そして、いつものようにかみさんの実家に寄った。正月以来だったので、夕飯をご馳走になったが、かみさんのお姉さんは、しゃぶしゃぶに松阪牛といつものように太っ腹だ。三家族半(+姪の子)も揃ったのでお陰で、久し振りに、お互いの声が聞き取れないほど賑やかな食事になった。主婦は大変だが、大家族もいいもんだ。 |
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(椿....................pm 0:58) |
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松阪牛といえば、昨日墓参りをした叔父に、40年以上前「神田万世」で腹一杯すき焼きをご馳走になった。それも一回や二回じゃなかった。。当時の自分は、松阪牛が何たるかを知るよしもなく、ただただほおばっていたが、今考えると「松阪牛」ばかりでなく叔父には随分と世話になった。そう、浪人が決まった年「ダメ元で受けてみろ」と駿河台予備校の受験料を二回分出してくれた。今も存続しているのでしょうか・・・・確か東大を目指す予備校で、入校するには選抜学力テストがありました。 そんな叔父からは、結構いろいろ教わった。当時、叔父は東急大井町線沿線の緑が丘で小さな薬局を開いていて、僕は時々遊びに寄った。とにかくせっかちで、一緒に銭湯に行ったときも着替えは2秒くらい。叔父の脱衣籠には、蓑虫の抜け殻のように、上着とズボンが脱ぎ捨てられていました;;; 「日出夫、遅いぞ!」と檄を飛ばされ続けていたので、中学の頃だったでしょうか、いつものように銭湯に出掛ける前、学生服の僕は、道々ワイシャツのボタンをそ~っと、叔父さんに気付かれないよう全て外しながら開戦に備えました。。でも、あえなく撃沈;; 叔父の籠には、いつものように二つの抜け殻が、勝ち誇った姿を残しているのでありました。。。 そんな叔父も、3年、いや4年前に心筋梗塞で急逝してしまいました。子供もなく幸の薄い人でしたが、血の繋がったものは僕一人なので、元気な内は、寺も近いことですので、お参りは欠かさずにしたいと思っています。(合掌) さて、季節は、性急に桜を準備しているようです。 今年の桜は僕らの目にどう映るのでしょうか。。。 |
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(am 11:39) |