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ようやく日常が帰ってきた。



終えてみると、やはり個展は非日常なんだな~とつくづく思う。デジタルになっていた神経のモードが、ここに来てゆったりとしたアナログに戻り、雑多な日常の風景の機微が心に映り始める。この落差が心地よくて、この稼業を続けて来れたのかも知れない。。























自転車 pm 0:33
この季節、自転車が気持ちいい。。
 
中原中也「在りし日の歌」


   
  春と赤ン坊


 
 菜の花畑で眠つてゐるのは……
 
 菜の花畑で吹かれてゐるのは……
 
 赤ン坊ではないでせうか?
 

 
 いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
 
 ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
 
 菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど
 

 
 走つてゆくのは、自転車々々々
 
 向ふの道を、走つてゆくのは
 
 薄桃色の、風を切つて……
 

 
 薄桃色の、風を切つて
                                
 走つてゆくのは菜の花畑や空の白雲
 
 ――赤ン坊を畑に置いて


桜も満開が過ぎて、眼は新緑へと移っていく。

今年の桜は、曇天の下での開花がつづき、青空とのコントラストが少なく、まるで偏頭痛の中での花見のような心持ちで過ぎていった。



そういえば、中也の詩に桜の秀作はなかったような・・・・・

彼にとって桜は、あまりにもメジャー過ぎて意識的に避けたのだろうか・・・・・ 

それとも、桜の持つ魔性に取り込まれるのを避けたのだろうか・・・・・


恐らく己の狂気と桜の狂気が同調し、収拾が付かなくなることを恐れていたのでは。。


このところ、桜に因んだ流行歌があまりにも多いので、正直少し食傷気味だが、曲とは別に桜を目の前にすると、素直に好いな~と感じてしまう。
今年の春は、ある意味春らしい春で、とても不安定に推移した。花冷えがつづくので、未だに葉と花が名残惜しそうに同居している。今年のように、三月下旬に個展をもつと、桜の開花のドラマを見過ごしてしまうので、何だか損をしたように思う。



こんな風に、桜の話ばかりでいると銀杏にすねられてしまうかも知れないので、大銀杏の画像も撮ってきました
(根ばかりですが・・・・)
木材としての桜は、木口の目が詰んでいて硬いので、昔から版木として使われてきた。銀杏は、鎌倉彫でも使われてきたらしいが、需要と供給のバランスがとれず市場から消えている。僕も修行当時、先輩の伝統工芸士取得用の作品の彫りを手伝ったが、その木地が銀杏だった。色は黄ばんでいて、とても素直で粘っこい材だった記憶がある。新米の僕によく彫らせてくれたな~と今になって社長に感謝。



お隣の鎌倉で先日倒れた鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏は、どうやら植え替えた根の周りから新芽が出てきたと報道で伝えられている。よかった。でも、あの巨木になるには、後800年近く掛かるのだから気長な話になる。
僕ら人間様の寿命は80年ほどだが、銀杏などは希に八百年、千年位の寿命があったりする。僕らの10倍も下界を見下ろしていることにになるわけだ。銀杏に比べ僕ら人間の寿命は僅かなものだ。それだけでも頭が下がる。



桜が済むと、毎年のことだが花冷えの四月を抜け、一気に風薫る五月をむかえる。梅雨を挟んで夏に至るまでの、この季節は、意外に変化に富んでいる。僕の場合、自分の無意識に流れている時間は、世間の流れと比べると随分とノンビリしたものなので、この季節は、何となく気忙しく追い立てられているようで落ち着かない。



若い頃は、そんな気の狂れた気分をスリリングに楽しんでいたが、この歳になると、ちょっと億劫な気後れした心持ちになる。


春とは、そんな風に常軌を逸して過ぎてゆく。

『かさこそと、そして百済に寄り添ふ』
 
この日曜日、今回の個展でお求め頂いた『蓬莱厨子』を、横浜は本牧までお届けにあがった。
超モダンな住まいの玄関に入った壁に、僕のオブジェ(
『かさこそと、そして百済に寄り添ふ』)が飾られていた。それは、ず~と昔から、そこにあるように馴染んでいて、作者としてはとてもうれしい。



『かさこそと、そして百済に寄り添ふ』は、タイトルを含め僕としては最上級の出来だと自負できる作品。同じように『蓬莱厨子』も殷墟文字を配した,僕にとっては集大成のような厨子なので思い入れも一際高い。この厨子をお求め頂いたと言うことは、僕自身の制作の主旨も十分に理解して頂いたと思えるので、この点も僕にとって幸運だと感謝する次第です。



以前、オブジェをお届けした際、亡くなられたご主人のお話をお聞きしました。過労からでしょうか、心筋梗塞で50代の若さで亡くなられたそうです。生前よくお二人でガーデニングを楽しまれたそうですが、そんなご主人を亡くして暫くしたある日、お一人で庭いじりをしていたところ、山側につづく木戸の向こうからご主人が歩いて近付いて見えたそうです。それも百人位のご主人が・・・。



こういったお話を聞くと、僕は人間を信頼するに足るものだと深く感じます。人は、今まで”居た”ものが”居なくなってしまう”ということを、そんなに簡単に受け入れられるはずがありません。13年経って、やっとご主人のお母さんが亡くなったことを契機に、昨年ご主人をお母様の下に帰す意味で、改めてご主人の戒名を整え、お位牌を作られたそうです。

物理的に存在するという意味以上に、人が”居る”ということ、そして”居なくなる”ということのの意味するものは重いものです。



今回、改めて厨子というものを作る重さと意義を感じました。そして、こういった仕事に関われることを誇りに感じています。



秋の厨子展は、更に今以上に深く豊かな表現が出来たらと思います。


では、また。
 

(五霊神社 大銀杏)
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