幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました・・・・

この茶色い戦争の「茶色」とは、一体何を指すのか?・・・・というテーマの記事が、先日朝日新聞に載った。
そんなこと、どうでもいいじゃん只のメタファーなんだから。。。。。っと突っ込みを入れたいところだが、吉田秀和が中原中也本人から直に、中国大陸で勃発した満州事変の日本軍の侵攻を指すと聞いたというから、間違いなく中国大地のことなのだろう。そこまで言われちゃな。。。

いや今日は、歴史教科書問題の話題ではありません。純粋に中也のお話です。

直に会ったことがある・・・と自慢するなら、僕だって中也の最大の理解者であり、尚且つその中也からから恋人・長谷川泰子を奪った小林秀雄に、鎌倉彫の修行時代、毎朝会ってたぞ〜。それに、小林秀雄の家に鎌倉彫の注文を届けたことがあるぞ〜っと自慢したい....けど、あまり自慢なんないかな。。。
  
実は、僕の入門した博古堂は、当時の鎌倉文士の川端康成や小林秀雄らが、その博古堂の株を持ち、戦後消えかかった鎌倉彫の火を、何とか今日まで繋ぎ止めてくれていたという曰く付きの店だ。

そう言った事情から、好青年だった?僕は、社長から贈答用にと承った鎌倉彫を届けるよう命を受け、小林邸へと、いそいそと出掛けたのであります。いやいや、ドキドキものでした。。。。

総檜張りの、あえて節を見せた純和風の家で、垣根からほんの少し出た枝には、粒立ちの好い真っ赤な椿が、ビロードの様な深みをもって咲いていた。
 どこをとっても、まったく隙のない趣味の好いお宅。確か、その時着物に割烹着姿で奥さんは玄関に立った。凛として如何にも明治の女といった芯の強そうな方でした。

......泰子とのことは、承知して一緒になったとしたら.....さぞ、気丈な方なのでは.....

何か大人の世界の深遠に触れたような、凡人には、窺い知ることが出来ない遠い遠い世界の出来事のなかにぽつんと置いてきぼりにあった様な不思議な心もちでした。
小林秀雄と泰子の写真を中也抜きで載せてしまって、何か済まないような........。


サーカス

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
  汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)
夜は刧々(こふこふ)と更けまする
落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん