(それは、極楽浄土であったり、天国であったり) 僕らは、いつ他界を失ってしまったんだろう・・・・・ こんなにも彼岸を忌諱するのは、何故なんだろう・・・・・ 僕らは、やがて失った半身(彼岸)を正当に取り戻し、等身大の 自然でふくよかな有り様を思い出す
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AXIS |
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充実した個展だった。 予想していた通り、六本木という”虚”の空間に、すんなりと僕の厨子は収っていた。 |
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(永 坂) (名もない坂) |
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東京は坂が多い。この地六本木も、ちょっとした路地を曲がると、そこには名だたる坂が待っている。「暗闇坂」「芋洗い坂」「永坂」・・・・ その路地の向こうに見えるのが六本木ヒルズだったりするが、フッと都市の中で希薄になった他界が見えるようなクラックがある。瞬間、江戸の大名屋敷が立ち現れる様な気がする。 今僕らの眼に見えている風景の遙か向こうに、昭和、大正、明治、江戸、安土桃山、室町、鎌倉、・・・弥生・縄文と堆積した時空の層がある。その時空を遡れば遡るほど人間にとって他界は身近にあった。現代ほど他界から遠ざかった時は他にないんじゃないだろうか。。 |
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(名もない坂) |
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今回、何人かの方から「どうして厨子を作るようになったんですか?」という質問を受けた・・・・・ そう、僕の修行した鎌倉彫の出自は仏師だ。 この世界に入って最初に叩き込まれたのが、古典の笈(修行僧が行脚のため背負った厨子)の文様の模刻だった。 |
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160年前、欧米列強の圧力により鎖国を解き、僕らの国は明治維新を迎えた。天皇を中心に据え、国家をまとめ近代化に向かった。その時仏教は、神道一本で日本が一丸となるためノイズと見なされ、廃仏毀釈によって破棄される運命を持つ。 当然、仏師達の多くは職を失ったが、幾つかの工房では仏師としてのプライドを捨て、それまでのリソース(知的・物的・人的資産)を日常使いの工芸(主に盆皿etc)に転用して延命を図った。 結局、上手くいったとは思えない。特に戦後は危機的状況に陥り、超裏技で思いついたのが「お教室」というサロン化されたお稽古として生き残る道だった。当時は、鎌倉文士と呼ばれた川端康成・小林秀雄・中村光夫などの著名な文化人が住み、鎌倉は一種独特の知的な空気が流れていて、彼らの内何人かが株主となってこの「お教室」を盛立ててくれたと聞く(僕も小林秀雄宅に特注の盆を届けにあがったことがありました)。 |
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(蓬莱紋笈) |
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いまの 日本で、仏事が未だに色濃く残るにも拘わらず、表向き廃仏毀釈が解かれたといった話は聞かない。今も表と裏の顔をもって僕らは生きている。それは、社会が無機的に整備された現代でも同じだ。 現代人が、限りなく死から遠ざかったように振る舞っても、人は必ず死を迎える。そして、現代医学は「生」しか目に映っていない。まるで「死」が悪であるかのようだ。こういった姿勢は、偏った人間観しか生み出さないと危惧するのは僕だけだろうか。 |
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「蓬莱紋厨子」 |
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僕は、このところ縄文に惹かれている。もちろん美術に関わるものとして、縄文時代が遺した土偶や土器などの美術品に魅了されていることもあるが、何より”死”への距離の取り方に惹かれてしまう。”死”を隠蔽したり抹殺したり、無視したりせず、きっちり見据えているところが凄い。なので、最近試みている乾漆のモデルも縄文型へと流れていく。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(TITLE:「B.C.17th」 乾漆ぐい呑み) |
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縄文の、あの一見稚拙な線刻やそれを支えるフォルムは、きっと彼らが持っていた死生観そのものが形になったものと思える。なので試作している乾漆は、縄文やそれ以前の時代のフォルムを積極的に取り入れている。何とか彼らの精神に近付けないかと、せっせと乾漆を作り続けている。 デザイン、そしてフォルムは、決して単なる形ではない。そこには、”形”を超えたある”もの”を含んでいる。僕らの「眼」は、そこを見逃さない。その”もの”こそが、ふくよかな「死」をも含んだ豊かな縄文や古代の精神なのだと思う。 |
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(Title:「B.C.17th」乾漆片口) |
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「死」を含んでいない人間観は不幸です。同じ意味で”虚”を含まない人間観も不十分です。こういったことを”もの”そして、工芸を通して語れることを、僕は幸運に思っている。鎌倉彫の道に入って暫くすると、僕は「盆皿を作る工芸」ではなく、もっと人の生き死にに関わることのできる表現領域はないものだろうかと、ずっと考えるようになった。それは丁度、文学や哲学が人の生き死にに関わるように、工芸も同じ精神領域で成立できないか・・・・ずっとそう思い続けていた。 そんな僕に「新しい厨子を作ってみない・・・」と厨子の制作を勧めて下さった東京生活研究所の山田節子さんの一言が、今の流れを作ってくれていると思う。感謝。 そして、難しい僕の厨子の図面を工作して下さる会津若松のALTE MEISTERさん、そして陰日向で黒衣のようにサポートして下さる銀座厨子屋さんにも深く感謝します。 |
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(2010年 SAVOIR VIVRE) |
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六本木という街が、どこか”虚”としてあることを無意識に感じて、SAVOIR VIVREのオーナーや店長は、今まで誰も企画したことのなかった”六本木での厨子展”を今回提案したのではと思う。そして、その直感は間違っていなかった。 六本木や銀座のような都会でこそ”今の厨子”を必要としている・・・・今回の『厨子と酒器(乾漆)展』は、そんな都市のクラックを突く試みだった。これからも、そんな都会の”欠けた”場を埋める試みとして厨子を提案し続けていけたらと願っています。 さて、ちょっと根を詰めて仕事を続けたものですから芯が疲れまして、先程草津で温泉に浸かり帰宅したところです。大分疲れも取れた様です。 秋には第二回目の「厨子展」を、銀座厨子屋さんで開きます。第一回展より更に深めた表現が出来るよう精進して参りますので期待して下さい。 では、盛りの桜をたっぷりと満喫して下さい。 |
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