白川 静氏が亡くなった。享年96才。

氏をどの様に紹介したらいいのか難しい。氏を形容する適当な分野が見つからないのだ。

いつものようにインターネットで検索をしてみたがピッタリとくるものが見つからない。僕自身は、漢字人類学者と理解している。

一般的には、中国文学者と呼ぶのが適当だが、単なる漢字の研究者ではなく、漢字の元になった殷墟文字(甲骨文字/金文)から、人類の生活や精神世界の深層まで辿り着こうとするその雄大な構想と信念は、学者としての責任感と人類愛に満ち溢れていた。

(白川静文字講話Tより)
僕自身が作家を目指し、多くのインスピレーションを得た『殷墟文字』に出会ってもう30年近くなる。

下の画像は25年以上も前の作品で、当時は「文字」そのものの面白さもさることながら、発掘された甲骨片全体が持つフォルムや古びのもつ時間の厚みに心を奪われていた。なので正直、巨人白川 静氏の著作に正面から向き合ったのはここ数年のことだ(個展に来てくれた知人から教わりました)。

(1979年頃?の作品です)

漢字に至る文字の起源が、実は神事にあったとする白川氏の一貫した説。

殷墟文字(殷の廃墟から見つかった漢字の原型となった文字)が亀の甲羅や動物の骨に甲骨文字として刻まれ、火にくべることで政の方針や農作物の収穫量を左右する天候、そして、出産の危険などを神に問いかけ、灼いた甲羅の裂け目にその兆候を見て取ったとされています。

たかが漢字ですが、たった一つの漢字を取り上げただけでもその背後には、人類の無限の生活と精神世界が横たわっています。それはもう言葉では言い尽くせません。

(殷墟文字....「目」)
丁度今、息子の大学で芸祭が開催されている。大分前、息子に白川静氏の監修による『神さまがくれた漢字たち』(山本史也著)をプレゼントした。その中の「目」に関わる文字「民」「童」の出自に痛く感動したらしく、その文字を使って芸祭に出品してみるから殷墟文字を書いてくれないかと頼まれた。

もともと殷墟文字は、線刻文字なので毛筆による柔らかい筆跡を持たない。なので、お気に入りのモンブランの万年筆で一気に書き上げデジカメに納めたものをメールで送った。

(殷墟文字....「民」)
「民」とは、民主主義の民でもなければ「公民」の民でもなく、奴隷にするために矢か針で目を突き刺したところを表記したもの。「童」は、童心とは遠く離れ「目」の上に入れ墨がほどこされた象形で刑罰の法を示すものとされる。

(殷墟文字....「童」)
驚くほど現在のイメージとかけ離れた漢字の始原。今回、意表を突かれたこの事実からインスピレーションを得、初めての作品発表にこぎつけたことは息子にとって意義深い。

残念ながら画像データーをうっかり消去してしまった(信じられない)らしく、教授による必死の復旧策も実らず、ここでは紹介できません。試し刷りに出力した画像が数点あり、なんとか展示に漕ぎ着けたそうです。アホ。

予想を超えて密度の高い迫力のあるいい写真でした。

(2006芸祭 作品)
「孔子は巫女の私生児だった」と言明し、中国の歴史家を驚嘆させた白川氏の勇気もさることながら、60年代に吹き荒れた学園紛争の最中、氏の研究室だけは、毎晩11時まで明かりが点いていたというから本物です。

今後出ることはないだろうと言われ、最も学者らしい学者だった白川静氏の業績は、日本だけに留まらず、世界の人々の財産として末永く受け継がれていくものと思います。

白川静氏の冥福を深く祈ります。

合掌