いつものお気に入りの場所です。

先日、かみさんに「ひでおちゃんは、身びいき強いから」と言われました。

家から五分の我が町逗子市沼間の五霊神社に通い、境内の大銀杏をどのくらい見上げたでしょうか.....?多分、千枚近い画像が僕のPCには保存されていると思います。

それでも、ぜんぜん飽きません。

そんな僕の町も、ここ十年で大分変わってしまいました。その変わり様は激変と言ってもいい位の変わり様です。いや、気付いたら変わっていたと言った方がいいかも知れません。
僕もかみさんも”沼間”好きなのには訳があります。それは、この地がとてもゆるいというか、おおらかというかキャパが大きいというか所謂人に優しい土地だからだと思います。

市の中心地である逗子地区や久木・新宿地区は、元横須賀海軍の軍人さんや文人の別荘として、いわば階層の高い人々に好まれた地です。有名どころでは、古くは徳富蘆花や石原慎太郎、最近では詩人の高橋睦郎の様な文人が住んでいます。

これに比べてここ沼間は、未だに縄文式土器が出るくらい市内では一番古くから人が生活していたところで、区割りも複雑多岐に渡っていて階層もバラバラです。そして、あっさり言うと貧乏人も多く住んでいます。

そんな土地柄なので、弱い人々が肩寄せ会ってお互い助け合い、丁度東京の下町のような雰囲気を持っています。そして、今でも町内会の運動会があるくらい強固な共同体が残っています。そんな具合なので、葉山あたりの地の人には、沼間地区は東逗子にあたるので「トン逗子」と揶揄され逗子市内と厳しく区別されています。
 
僕ら家族はそんな沼間が大好きです。

(葉山芝崎 pm 5:12)
以前、沼間に犬爺(いぬじい)と子供らに呼ばれていたおじさんが住んでいました。
 真っ昼間から焼酎の匂いをプンプンさせて、3・4匹の犬を引き連れ、訳の分からないことを大声で叫びながら散歩をしていました。

「スカートおじさん」なんて呼ばれている、オカマなんだか趣味なんだか見当が付かない、いつもチェックのロングスカートにスカーフをかぶり、濃いすね毛を出して歩いているオジサンも住んでいました。

明らかに70近いおばさんに見えるのに、茶髪にして濃い目張りを入れ、いつもニコニコしながら自転車に乗っているおばさんもいました(今もいるかな?)。

みなさん沼間の住人です。

彼らは絶対に中央の逗子地区には住まないと思います。というより住めません。ハイソな方々がお住みになる逗子や久木ハイランド、そして新宿地区に、こんなオジサンやオバサンがいたら即通報されてしまいます。そう、かれらは階層的によそ者なのです。

十年程前、拳銃を所持した不審者が市内(逗子地区)に出没するという事件がありました。事件の顛末は忘れましたが、逗子地区の事後処理が凄かった。逗子小学校のフェンスに高さ7〜8m程のネットを張り巡らし、いくつかある出入り口には、チェーン付きの鍵を付けるという犯罪防御策に出たのです。それを決めたのは、地域の住民なので、この地域が今の日本の空気を象徴しているのは明白です。

その点我が沼間は、何でも御座れ。変な奴だと思ってもどういった種の「変」か、みなさん柔軟な眼力(リテラシー)をお持ちで、それゆえ未だ事件という事件は聞きません。それでも残念ながらここへ来て少しずつ変わってきている様です。
先日も、いつものように五霊神社境内の大銀杏にカメラを向けていると灯籠に落書きを見つけました。後日、市販のシンナーでワイヤーブラシを使ってゴシゴシやりましたが全く効果なし。20年通っていますが、こんなことはありませんでした。

ご近所の皆さまは「そんなこともあるよ。。。」くらいのノリでいるようなのでちょっぴり安心です。

今年のお正月は、例年になく初詣に若い家族が目立っていました(おかげで初詣限定のお箸を貰いそこねた;;;)。

監視社会が、ひたひたと近づいて来ているようですが、地域の共同体の強度が、そのまま監視社会化の程度を決めて行くでしょうから、ここ沼間地区は最後の最後まで地域の眼で安全を確保し続けると思います。そして、僕らもそう願っています。

(初めて発見!社屋の軒裏にあった獅子頭 外から全く見えない)