小津安二郎 の世界

 「東京物語」は「距離の物語」だった。

 松たか子は、今の日本では数少ない本格派の女優だと思う。その彼女が、小津安二郎の「東京物語」を何十年か振りにリニューアルしたものに出るというので、本家本元(笠智衆主演)の「東京物語」をレンタルビデオ屋さんで借りて見てみた。 

 画面には、僕らがもう既に失ってしまった「気遣い」が、鮮烈に、そして懐かしく充溢していた。

 そして、この「気遣い」を支えているのは、多分江戸以降に根付いた、生活を形作る「距離」が生み出す日本人一般の感性ではないだろうかと思った。
つまり、物理的に狭い居住空間での生活の中で、それを構成する家族の人員それぞれが、それこそ目と鼻の先で繰り広げられる自分を含めた情景の中で、ある時は意識したり、またあるときは無意識に無視したりと、その場その場で臨機応変にお互いの存在確認を伝えたり、伝えなかったりする妙が「気遣い」の中味だと思う。

 今と違って居住空間が劣悪な状況の中、家族は多くの兄弟を抱え,ひどいときは二世帯で住むこともあったろう。そんな中、子供達の兄弟喧嘩、真夜中にむず痒ゆがり泣く赤児、夫婦喧嘩、そして、夫婦の営みも全て筒抜けになる。

 ここでは、人と人との物理的な距離が本質的な距離をなんら決定付けていない。つまり、家族が関わる「間」を、窮屈な距離の中で伸長させたり、収縮させたり、微妙な心理的操作をすることによって、妥当な精神的距離を即座に作り上げている。これが「間」の妙であり、いわゆる「気遣い」の本質だ。

 でも、作者の小津安二郎は、何故にこの「気遣い」を、「美しい」「日本的なるもの」として「表現」に値するものとしたのだろうか・・・・・・・?

 

(佃島リバーサイド pm 5:44)

 かって、今は亡き詩人の菅谷規矩夫氏が言っていた。

僕たちの現代社会は、「居間」に代わって「Living」を手に入れた。ここに、家族が己の「居場所」を失う契機がある。 

今では、こども部屋をあてがうのに躍起になっている親がほとんどだ。結果として、かって家族が集う場所であった「居間」を失い、子供達は自分にあてがわれた個室に引きこもり、そこで煩わしい「気遣い」から開放された・・・・・。

 小津安二郎は、来るべき近代家族の完成を敏感に感じ取り、それ故に人と人との間にあるデリケートで絶妙な「間」、ここで言う「距離感」を失いゆくものとして見ていたとおもえる。そして、この無常なる「喪失感」が「東京物語」で、小津が表現したかったものではないだろうか・・・・・・。

 この日曜日、小津安二郎の舞台で、僕の生まれ故郷でもある深川界隈に出掛けてみた。勿論、今のそこは小津安二郎の舞台になった当時の面影は全くなく、別の意味で理想郷となって再生している。

 月島には、今でも「もんじゃ焼き」とある店があちこちに見られる。でも、試しに入ってみようとは思わなかった。何故って、僕自身の「月島」を失いたくなかったからだ。

 今回「東京物語」を見て、よくかみさんに「何で、そんなところに、いらん気を使うの?」と言われることの意味が少し分かった。そして、「気遣ってしまうこと」.............それはそれで「良しとして」いいんだと、何か小さな自信を取り戻せたような、そんな気がした・・・・・・。

  (佃島リバーサイド pm 6:43)