フォルクスワーゲンタイプUのこと 3月5日
何度も繰り返し夢に出て来る車がある、VW
TIPE Uだ。
七年前、息子が所属していたこともあり、地域の小学生のサッカーコーチをしていた。毎週練習場や試合会場に、僕の愛車VW
TIPE U(フォルクスワーゲン)は、子供たちの搬送に活躍した。しかし、この愛車は「貨物」登録だったため三人しか乗車出来ず、遠方での試合など会場には法規を無視して5、6人の子供を乗せ走り回っていたが、後方の見通しが悪いのが不安で五人乗りのバンに乗り換えVW
TIPE Uを手放した。
化石燃料を燃焼させて動力として使う「ガソリン自動車」は、その機能、運用、環境、道路状況などを統合したシステムから考察して、’70年代をピークとして完成していると言える。これが車に関しての僕の持論である。見方を変えると、内燃機関という化石を爆発させて、そのエネルギーをシリンダーに閉じこめピストンによって上下運動を回転運動に変え、さらにその小さな動力をデリケイトなクラッチを介し幾つものギヤーによって徐々に回転を早めつつ、複雑な機構を持つクランクシャフトによってやっとタイヤに辿り着く・・・・・・・・と言う気の遠くなるほど効率の悪いエネルギーの伝達機構を持つ今のガソリン自動車を素直にデザインすると、もっとも自然で美しいスタイルは’70年代までに出尽くしていると言い切れる。ジャガーにしてもポルシェにしてもワーゲンにしてもシトロエン、フィアット・・・・・・・挙げたら切りがない。愛車VW
TIPE Uもその中の一台だ。この車は、全てがシンプルで運転席など’50年代を彷彿とさせる。大型バスのそれのようにシフトレバーは床からすーっと延びているし、ハンドルは大きいし何とも言えないくらいゆったりとした空気が流れていた。徹底した整備故に、最高時速は発売当時VW社が提示していた110kmを超え115kmまでOKだった(ちょっとかったるいか)。この車に乗ると、単に「移動」のためのものを超えてとても豊かな「乗り物」を実感できた。
この先、僕らの胸を打つデザインは内燃機関に頼る限り出てこないと断言できる。僕たちが驚くような斬新なデザインは、エネルギーそのものを変えた、例えば電気自動車などの出現により、車を動かすという自動車文化体系全体を変換する状況が出揃ったとき間違いなく生まれ出てくる。それまで、’50,’60,’70年代をコピーしたレトロな味を出して凌ぐしかない。
話は飛ぶが先日、遅い昼食をとっていた際テレビをつけたら「徹子の部屋」に松本サリン事件の最大の被害者だった河野さんが出ていた。依然として最愛の奥さんは重度の後遺症で寝たきりだった。回復を信じてご主人は、献身的な介護を続け少しだけ声が出せるようになったようだ。大脳を刺激するというリハビリを兼ね、かって犬の散歩をした場所へ久しぶりに出掛ける様子を伝えていた。奥さんが横になったまま移動ができるよう室内を改造した車は、なんとVW TIPE Uだった。なるほどとうなずいた。警察、マスコミ、世間の疑惑の目にさらされ、じっと耐えた後も直接の被害者である自分の妻と、同じように傷ついた子供たち。家族の中にニヒルとも虚無とも言えない殺伐とした空気がながれていたことが予想できるが、必死に心の潤いを失わないよう抵抗し工夫している様に頭が下がった。勿論、河野さん自身の心のリハビリも兼ねていただろう。それにVW TIPE Uが使われたのはもっともだし、恐らく充分に彼自身をも癒してくれたことだろう、この車はそういう車だ。先回コラムで紹介したCASIOのデジカメだが、デザインの悪さは如何ともしがたく、HPを通して「デザインは単なるものの表層ではなく思想そのもので、手を抜いてしまっては困る」とメールしておいたが、カメラに限らず車を含むあらゆる形あるものは、全てその存在理由をその表層にあるデザインに宿していると言える。デザインとはそのくらい人の内面に深く届くものだし又、内面を規定するものだ。・・・・・・・この次またVW TIPE Uの夢を見るのはいつだろうか・・・・・・・・・・。