1月24日                       涙っていいな・・

昨晩、何やら二階が喧しいので、かみさんに「何があったんだ?」と聞いたところ、どうやら次男の耕介と大学受験のことでぶつかっていたらしい。

大学受験のことでは、あまり大きなことを言えないのだが、親子でぶつかるほど煮詰まってきたなら、そろそろ本気で話し合う時期かな?という結論から、さしで息子と話し合うことにした。

僕自身、耕介がつい二ヶ月前まで全国大会を目指してサッカーに明け暮れていたことを「良し」としていたことから、今年は度胸試しで受けるくらいで好いと思っていた。だいいち、人間そう簡単に、ころころ切り替われる訳がないし、息子は融通がきくほうだとはいえ、それはちょっと無理だろう・・・・・。そう考えるのも、そう外れていないと思った。

本当のところ、昨年の夏、やっとレギュラーがとれて、本人がノリノリのとき複雑骨折で入院、そして手術。そして、パラ(部員間では怪我で休んでいる部員をそう呼ぶらしい)になり、結局県予選ではベンチ入りのメンバーには入ったものの選手権出場はならず、無念だったと思う。

そんな経緯のなか、そうハッパをかけても仕方がないと思ってきた。でも、、かみさんの話だと、ダメもとで受ける大学に複数回受験をするつもりだったようで、かみさんも今年は「経験」のつもりで結構と考えていたので、そのノリには「NO-OOOW」と厳しく言ったところでぶつかったらしい。

でも、将来を決める上で大学受験は、その先に待つ職業選択の幅を決定する結構シビアな事態だ。

今の世の中、超有名校にでも入らなければそう有利な未来は約束されない。たとえ、超有名校に入学をはたしたところで、余裕を持って入れていなければダメだと思う。つまり、息も絶え絶えやっとこさ入学を果たして、後の人生「廃人」という手合いは結構いる。

東大といえども、とことん頑張れば凡人でも合格は果たせると思う。でも、それだけだ。それなりに頑張ったら合格した・・・・といった具合に余裕がなかったなら、その後の人生は悲惨だし、そんなにいい仕事と生活を獲得できないだろう。それでも素晴らしい人生が保証されることは、ここのところの日本を見ていると厳しいかも知れない。

息子にとっては、初めて自分にとって大学とは・・・適正とは・・・性格とは・・・能力とは・・・パーソナリティーとは・・・、といったマジで自分と向き合う事態に遭遇することとなり、とても戸惑っている様子だった。

僕がマジで話せば話すほど混乱して、涙を流し続けるので「何でこんなに重要な話をしているときに、涙なんか流すんだ・」と聞いたところ・・・・

「自分でも分からないんだけど、流れちゃうんだから仕方がないだろう」と言って鼻をかみつづけていた。お陰でテーブルの上はティッシュの山だ。

僕は、真剣に自分に向き合って涙を流すといった経験がないので「うらやましいな〜」と本気で感じてしまった。

自分は、こんなナイーブな感受性を、いつどの様に失ってしまったのだろう・・・・・。(僕は遠い昔に、涙を流すという大切な表現を何処かに忘れてきてしまった)。

息子によると、涙は自分でも知らない内に流れているらしい。

つい先だっても、一緒にボールと泥と涙にまみれた仲間と「Dom Dom 」でハンバーガーをぱくつきながら選手権の敗戦直後、監督が何も選手に告げずにその場を去っていったことを、とても不本意に感じたことを、普段通りに話していたら「アズチャン涙流してるぞ!」と仲間に言われハッとしたという。

本人は、全く涙していることに気づかなかったらしい・・・・・・。

うらやましい,,,,,,,,,,

てな具合で、真摯に自分と向き合おうとしている我が息子に、遠い遠い昔、そんな自分がいたような・・・・そんな懐かしい空気を感受でき、とても爽やかな心地になれました。

涙っていいな〜と感じました・・・・・・はい。

ガンバレ!耕介!!

2007年現在、耕介は大学4年生(写真学科)になり、相変わらず元気にサッカーを続けています(一応キャプテンです♪)。