(18世紀キャビネットメーカーのカタログ)
9/10
理想の生活スタイルは....


戦後、僕らの生活を一変させたのは何といってもTVの登場でした。
 
特に、アメリカのホームドラマ(『パパは何でも知っている』『家のママは世界一』『ビーバーちゃん』)にみる溢んばかりの豊かさは圧巻でした。
....それは、大きな冷蔵庫を開くと中にに入っているバカデカイ牛乳瓶だったり、それを「親の断りなしに」好きな時、好きなだけ飲んでいるアメリカの子供達でした。
また、子供達にそれぞれ個室があてがわれているのにも驚き憧れました。
カタログというテキストは汲めども尽きぬほど興味深いもので、文学が言語による世界の鏡であるとすれば、カタログは非言語的な記号(したがって線型ではない)によって物を数えあげ、世界を物の体系に縮めて見せるものであった。
              (カタログの両義性....多木浩二著『眼の隠喩』より )





ところで、今の人々は、理想とする生活スタイルをどの様にして自分のものとするのでしょうか?

多木浩二さんの代表的著書『眼の隠喩』によると、18世紀のロンドンの貴族たちは、様々な業種のカタログによって、当時の最先端の情報を得ていることが紹介されています。

カタログは、今の僕らの社会でも同じ様な目的を持って多くの人々のニーズに応えています。また、多くの雑誌はカタログ化(ヴィジュアル化)して編集されているともいえます。

日本では、戦後まもなく主婦を対象とした多くの『婦人雑誌』が発刊されました。

これらの雑誌は、働き蜂のような「モーレツ社員」を夫にもつ主婦をサポートすべく、科学的な立場にたって栄養バランスを考えた料理や家事、そして育児と様々なジャンルの専門家を登場させ、孤立無援で家庭を守る主婦層に向けて『理想の生活』をオルガナイズすることになります。

ローカルな共同体を捨て都市に流入した人々のために、『主婦の友』『婦人公論』『暮らしの手帳』『婦人画報』『家庭画報』等は、高度成長期のあるべき家庭の姿を、綺麗で分かり易い写真とセットで、こぞって新しい生活スタイル(家族像)として掲載しました。
工芸の現在
はじめに
マニュファクチャーと付加価値
伝統工芸産地の今
新たな流通の確立へ
生活スタイルを決める経済
理想の生活スタイル
退潮著しい伝統工芸
<消費>について
続<消費>について

(シッベンデイルのカタログ 『眼の隠喩』より)

僕が作家になろうとした頃、公募展に入選することや、そこで受賞することは、屁の突っ張りにもならないことを既に思い知らされていました。

なので「作家」になることのイメージの象徴は婦人雑誌に紹介されること、特に『家庭画報』に紹介されれば将来は保障されるくらいに思っていました。
僕の中では、婦人雑誌に作家として掲載されることは、社会的に認知されることとはイコールでもありました。

六本木のサボア・ヴィーブルさんのプッシュもあり『家庭画報』を始め様々な雑誌にも取り上げられ「これで未来は安泰だ....」と思ってはみたものの、現実はそんな甘いものではありません。

雑誌に取り上げられることと、いいものを作る作家として社会的に認知されることとは、次元の違う話であることを知るのにさほど時間は掛かりませんでした。(この傾向は今もさほど変わっていませんが......)。
工芸に関して言うと、これらの婦人雑誌が理想の生活スタイルの一つの要素として工芸品を扱い、そこで柳宗悦の「民芸運動」や戦後に登場した工業製品やクラフト商品など、中でもグットデザイン賞に選ばれた品々を中心に掲載し、新しく登場した戦後世代に向け紹介をし続けました。

都市化の波と、そこで生活する人々は、過去において疑う余地もなく繰り返し踏襲されてきたそれまでの生活規範を失っていました。

新しく出版された婦人雑誌は、これからの理想的生活像を具体的に分かりやすく写真付きで提案することにより、所謂戦後世代にぽっかり空いたその間隙を埋める役割を担います。

しかし、大衆社会のニーズに応え続けている内は十分満足されていた婦人雑誌も、80年代に入り、日本の社会は価値観の多様化へと進み、大衆から分衆・小衆と呼ばれる新たな層の出現と共に、それらのニーズに応えることが難しくなりました。

加えて、社会の展開は益々そのスピードを上げ、必然的に活字より理解度の速いヴィジュアル化も加速し、活字離れが始まります。

バブル以後、全てのデパートが、そのフロアーを工芸からアパレルへと移行するか、縮小する方向へと向かった様に、婦人雑誌の掲載記事も工芸からアパレル、そして健康へと軸を移しています。

残念ながら、端役であった工芸は、さらにマイナーな領域へと追いやられていると考えざるを得ません。

翻って考えてみるに、日本の居住空間を考えると、人々の遊び心の多くは工芸品に、その表現の多くを投影して来たといえるのではないでしょうか。
 確かに近代化とともに、日本の居住空間も明治以前に比較すれば大分広くなったのかもしれません。しかし、欧米と比べれば雲泥の差でしょう。

そう考えると表現を支える工芸の可能性は、昔とさほど変わっていない様にも思えます。

では、何故デパートを中心とした工芸のマーケットは縮小したのでしょうか。

つづく(9/10)