(上野公園 pm 1:17)
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久し振りの上野公園です。



定期購読している東博からのメールマガジンでも見ていたのですが、TVCMで『土偶展』が現在開催されていることを再確認したところでした。そんなところに、鎌倉にお住まいの洋画家の方から年賀状の返信代わりのDMが届きました.............「事始めはおいしいお雑煮を東さんの合鹿椀で頂きました・・・・、お正月に国立博物館『土偶展』を見てとても嬉しくなりました。表現は3千年前より進歩した様には思えません。。」

ごもっとも。

今週木曜日、出不精な僕ですが意を決して一路上野へ...........



JR上野公園口から、ぴーんと張り詰めた冬を掻き分け快晴の中、博物館目指して歩く。 園内は広々としていて、いつ来ても気持ちいい。
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先史美術は、この世界に入って以来ずっと追いかけている世界だ。そして、ここ数年、特に”縄文”への関心は強まっている。



館内に入る。 会場は思いの外狭い。



今回、国宝が三点。何故これらの土偶が国宝に指定されたのか、ちょっと正直解せなかった。他にも素晴らしいものが沢山あったので、国宝に指定した輩を事業仕分けしたいところだが、それはそれとして、先史美術を前にすると表現の原点と言おうか、萌芽といおうか、僕らの表現が生まれ出る元始に立ち会っている様に思えるのが嬉しい(この辺のことは、今年から essay としてアップしたいと思っていますので、そちらに譲ります)。



川又さん(DMを下さった洋画家)の仰るよう、会場の土偶達に比べて”今の表現が、3千年前より進歩した様には思えません”.........実はもっと前(約10,000年も前~)のものもあります。もの凄い生命力をもって迫ってきます。



今回一つ気付いたことがあります。それは、ある意味趣味の悪いキッチュな生命力に満ち溢れた縄文から弥生に移った段階で、表現が洗練されてすっきりするところと、ギトギトに装飾の施された日光東照宮と桂離宮の対比のアナロジーです。つまり、過剰とも思える装飾とミニマリズムとしての侘び寂びという二つの表現の極のことです。これは、 essay として語った方が適切かと思いますので、そちらに回すことにします。

 ちょっとだけ触れると・・・・・それは、”死について抜け落ちているところが、弥生の洗練さにある”ということ。つまり、「死」を縄文のように背負ってない、その分身軽で綺麗事で済ませられる・・・といった僕の直感です。別の言い方をすると、「死」というものを別の軸に移して別口で処理することで身軽になったということです。



縄文時代の狩猟採集から弥生時代の水稲農耕の獲得により、「食」への安定度が増すことに反比例して「死」への距離が遠のいたのでは・・・・と僕は推測します。
事実、縄文時代に見られた環状集落の中央に置かれた墓地が、弥生時代になると集落の外れに移っていきます。

おっと、また長くなってしまった;;;




































































(pm 4:24)
と言うわけで、館を出ると日も落ちかけて上野の森も黄昏れていました。冬の欅が薄紫に透けて見える中コートの襟を立て早足に。。



稲荷町まで足を伸ばし『宮川刷毛ブラシ店』に寄り、面相筆と漆刷毛を買いました。髪が真っ白になった高齢の店主や、ご一緒に作業をなさっている夫人(昨年都から伝統工芸師として表彰されました)に近況を伺う。漆刷毛の制作は、受注が落ち込み生活が成り立たないので、制作者の奥さんはパートに出ているとのこと。子供がいないので継ぐ人もないと言うことでした。

面相筆に関しても状況は変わらず、制作者の息子さんは後を継がないということで「面相も、漆刷毛も作り手がいなくなっちゃったら油絵の筆で漆を塗るようになるのかな。。」という問いかけに返事がなかったのがとても寂しかったです。
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昔も今も、上野は僕らの大切な過去に出会える大好きな町です。   
 
  というわけで以前 column(薬研彫りについて) で紹介しました民芸館所蔵の石偶にも会えました。 『土偶展』 お勧めです。


では、では。
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