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生活スタイルを決める経済



高度成長期に入った1960年代、僕の家ではそれまで大切に使ってきた一枚板のしっかりと作られた古い文机を「かっこ悪い」ものとしてプラスティックのデコラ板に代えた.....。
部屋の隅に追いやられた文机は、甚く気に入った隣のおばさんに、そっと貰われて行った。
 それから何年経っただろう。ある日、隣に貰われたその文机の格調ある姿を見て、己の軽薄さを悔やんだものです。
おせーよ!
下部構造(経済)が上部構造(文化)を規定する....と言ったのは、かのマルクスです。

超資本主義社会に入った日本の風景は、経済構造の変化に連動してその姿を変えました。

バブル以後続く閉塞感の中で、気付くと僕らの周りは随分様変わりしました。
消費社会の成熟ともに、人々の消費スタイルも変わり、厳しくものをチョイスする姿勢が定着し出した様に見えます。それによって、ものを提供する側も消費者の目にかなう質を、常時安定的に保持しなくてはならなくなりました。

高度成長期の頃は、大衆社会のニーズに応えるため、大量生産大量消費型の商品で、人々はその欲求を満たすことが出来ました。

しかし、僕らは今では、多品種多品目に加え、高額商品と低額商品という二極分化した選択肢を自在に使いながら、それぞれの欲求に見合った商品を選べるようになっています。

この様な社会が成立したのも、経済的発展に並行して文化的営みも姿を変えたためといえます。そして、新たに生まれた文化が経済を刺激活性化し、さらに新たな経済を生むという循環した構造を造っていきます。

バロック様式の代表的建築


サンピエトロ大聖堂
(建築探訪プチ・ボランティア hp より)
工芸の現在
はじめに
マニュファクチャーと付加価値
伝統工芸産地の今
新たな流通の確立へ
生活スタイルを決める経済
理想の生活スタイル
退潮著しい伝統工芸
<消費>について
続<消費>について










ヴィトンやグッチなどのブランド品を漁る輩は、自分の意志で物を選ぶという幻想を放棄していて、この社会的コード(規範)に始めっから降参しているところが可愛らしくないところでしょうか
勿論、良いものは良いのですが.......。
制度化された視線

ちょっと硬いテーマになってしまいしたが、伝えたいことはこうです。

後になって分かることですが、各時代には、それぞれの空間の理想的配置(デザイン)があり、そこに生きる人々は、無意識にその理想に沿った空間演出をしています。こう指摘したのは、フランスの哲学者フーコーです。

彼は、それを空間のコード、あるいは、空間の制度と言いました。そして、人々は、このコード(制度)に沿って家や部屋の調度品を揃えることになります。
人は、様々な物を選ぶ時、自分の意思でそれらを選んでいると思っています。けれども、フーコーに言わせると、実は選ばされているということです。

詰まり、その時代が用意した一定の枠(コード=制度)の中で選択しているとしたならば、それは、構造的に選ばされていると言うことになります。

その様な意味合いで「流行」といった概念も考えられますし、逆にその流行に反発しようとする意識も、この「流行」の反作用と言う意味でコード化された選択肢の中での行為ということになります。

ロココ様式の椅子
アメリカでは、ミュージカルや映画の批評が、その興行を前にしてどう評価されていたかによって、動員される人数、つまり興行成績が決まってしまうと言われています。
人々は、自分の眼よりも、まず批評家の眼を確かなものとして考えているようです。
 これは、一概に悪いこととは言えません。目まぐるしく変わる社会の中で、効率よく(無駄なく)趣味を充足させたり、物を選んだりするには、確かな情報を先取りしてから事に当たらないと「スカ」を引いてしまうからです。
工芸の話に戻します。

社会が流動化すればするほど、人は安定した規範(コード)を欲しがります。今ブランド品の売れ行きが好調なのも、こういった時代状況を反映しているのではないでしょうか。

そして人は、これは!というお勧め品を、これは!というメディアから情報収集しようとします。

ちょこっと休憩.........8/15