猫がきらい

 猫が嫌いだ。

 何故って、僕より賢そうな顔をしているのがいけない。と言うより人生を達観出来ているのが悔しい。

 その猫と、最近折り合いを付けつつある自分がいる。

 そう、我が家にも瀕死の重傷を負って拾われてきた猫(メイ)がいる。今年で5才になる。

 彼(メイ)は、生後3週目ほどで、当時中学生だった次男に拾われてきた。

 なんてことのない日ならば、「だめだめ!」っと、アイフルよろしく一蹴したはずだが、たまたまその日はかみさんの誕生日(5月21日)だったので、「これは何かの縁かも・・・・・?」ということで我が家で飼うことになった。

 五月に拾われてきたのと、我が家が「となりのトトロ」のファンだったことに掛けて「メイ」と名付けた。そう「メイちゃ〜ん」・・・「メイのばか!」・・・・のメイだ。

 とはいっても、このメイが拾われて来たとき「かわいい〜」なんて言葉が出るような呈じゃ〜なかった。
というのは、野良猫やらカラスやらに虐められ、両後ろ足の付け根から足首まで酷い傷を負っていた。その程度は、もはや化膿といった状態を過ぎ、大きく裂けた傷口から筋肉組織を食い破ってウジ虫が這い出ていた。

翌日、急いで犬猫病院へ連れていったが、これがまずかった。後日わかったことだが、その病院は、捨て猫や捨て犬を役所から委託されて「処分」する病院だったのだ。

なんで、ちゃんと消毒とかやってくれないんだろう・・・・?といった疑念が家族のなかに湧いたのはいうまでもない。そこで以前犬を飼っていた時お世話になった「里親の会」の方に電話で聞いたところ、びっくりされて例の病院が先程触れた様な事情だということを聞かされ、そして別の「好い病院」を紹介してもらった。

「そうだよな〜」どう見ても必要ないことをやってるといった風だったもん。紹介された病院では、あたりまえのように洗浄をし、ここではその光景を伝えるのを逡巡する様な、痛そうではあるが丁寧な処置をほどこしてくれた。

その間メイは、ウンでもなければ、スンでもなくただジッと人間様のなせるがままだった。つまり、痛みを越えて最早声すら出なかったのだった。そのメイが「にゃー」となくまでに二月ほどかかっただろうか。その間メイの主治医は僕となった。
昼夜を問わず注射器によるジキニンでの消毒や、軟膏の塗布、同じく注射器でのミルクの摂取そして、糞尿の処理に至るまで大方名医の僕がやった。かみさんは「医学部に行けば好かったじゃん」とよいしょするだけだ。

「猫が好き」というフレーズは、別段お笑いの三人娘にだけ言えることではなく、なんとなく文士の風情が漂う。

かの漱石や敬愛する吉本隆明氏も、折に触れ猫を身近な生き物と位置づけている。
 僕としても「あなたは猫派ですか?それとも犬派?」という問いに対して・・・・ちょっと間を創った後で、おもむろに「猫派です」と低い声で答えたら格好いいと思うのだが、実は犬派だ。

「猫派」のスタンスは、個が自立していて、自分は自分でありたいから、あまり他者に干渉せず、その点が冷たく一人勝手といった風に映るところだろう。

そう言えばカントク(山本信也)が「猫派になるということは、甘えから脱皮して大人になるということだ・・・・・てなことをいっていた。

当たっていると思う・・・・・・けど、犬が好きだ。

小さい頃は、よく捨て猫を拾ってきてお袋を困らせた。猫だけじゃないぞ、捨てネズミ(?)なるものを学校帰りの橋の下で見つけ、野球帽に子ネズミを入るだけ入れて家に持ち帰ったところ、お袋は気絶した(←ウソです(^^))。勿論、泣く泣く元へと戻しました。

未熟で寂しがりやの僕としては、文学の香りなどより、相手に隙を見せてまでも、つい相手のご機嫌を伺ってしまう「太鼓持ち的キャラクター」、そして、常に表層の主役の座にいたがるエンタテナーの犬が自分にあっている。クッキー一つで、人に気を許してしまう間抜けなところもネ。

でも最近その猫も、案外間抜けなことを知って、けっこう可愛いとこあんじゃん・・・とおもうことがある。

外出から帰ってきた僕に気づきガレージの屋根裏からおもむろに、そして淑やかに這い出てきて、「ひらり」っと僕の足下に舞い降りる・・・・筈だったが中間地点の手すりへの着地に失敗し、「ドスン」と目の前にその醜態を曝した後に、尻尾をツンと上げて悠然とご主人様の前を歩く姿は、案外微笑ましい。

・・・・・犬なら「キャン!」と泣いた後で、尾っぽを振って寄って来るんだけど、猫はどこまでも孤高だ。でも、友人の「はかせ」がいう「大鷹」ほど厳しく腹は据わっていないところが中途半端で可愛いところか?(まっ、にんげんさまに飼われてしまったことで、その自尊心は偽物になってしまたのかもね)。

銀座ソニービルのまえの通りを横断し、歩道に仕切られたチェーンを「ひらり」と飛び越えたつもりがつま先が引っかかり、歩道にすってんとばかり転がった後、何もなかったかのようにズボンのポケットに手を入れて立ち去った三島由紀夫よろしく、あるいは、青山のブティックのウィンドウをジッとの覗き込もうとしたら、あまりに綺麗に磨かれていたそのガラスに気付かず、しこたまおでこをぶつけた矢沢永吉が、そのあと店内に入ってくるなり「よろしくっ!」っと言った風なところが「猫的」な可愛さなのかも知れない。

弱みを見せないキャラを許せないところが、ちょっと大人になりきっていないわたくしです。

今の時代は「猫的」だ、といった友人の徳助(寿司屋)のあきちゃんは、なかなか冴えている。

ということで、階段からずり落ちて鼻血を出す猫もいることを知ったわたくしめは、少しずつ猫との距離を縮めつつある今日この頃であります。

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