ほんと、気持ち好いほど美人だ。

いえいえ、毎週土曜日NHK総合「宮廷女官・チャングムの誓い 」のチャングムのことです。

スーパーサッカーの直前に放映されているので、携帯でテトリスをやりながら不真面目に見ているかみさんに付き合わされるかたちで、見るともなしに見ている。

今の日本に、チャングムの様な「純心で美人」という主人公の設定は、恐らくそぐわないのだろう。ドラマの内容も、つい「韓国の人ってみんなあんなに意地悪なのか?」と思ってしまうほど、勧善懲悪で水戸黄門以上に分かり易い。

そして、出てくる悪役側も主人公側も皆美人なので、時々「これ善玉・悪玉?」と聞きたくなる。


日本から、ああいった美人が消えたのは(評価されなくなったのは)いつ頃からだろう..................多分、戦後アメリカナイズが進み、丁度オードリー・ヘップバーンの登場あたりだろうか・・・・。当時、彼女は、口がでかくて目が離れているファニーフェイス(へんてこりんな顔)と言われていた。

そして、日本でもこの美人の尺度が定着していったようにおもう。
古くは若林映子や加賀まりこ、そして、この尺度を限りなく通俗化して登場したのが研ナオコだと勝手に解釈している。最近では、ファニーフェイス的美人の筆頭にあげられるのが伊東美咲かな。
ヘップバーンには、切ない思い出が張り付いている........。

高三の時、隣のクラスのヘップバーン似の娘に告ったことがあった。
 秋の球技大会の練習の後に、友人オカと夕暮れの中、走って彼女を追いかけて、確か「付き合ってくれますか」と伝えたところ......「ハイ」とすんなりOKだった。満天の星を見上げて「幸せだな〜」と青春ドラマ気取りで悦に入っていた。

その後、会話らしい会話もないまま、彼女とは何の進展もなく別れてしまった。それはもう、一方的なこちらの思いこみなのだが、直感として年齢差が20位あるように感じ、話の糸口をまったく掴めず、幼い自分と自爆したようなもんだった。
 実際、この年代の男女の精神年齢差は、かなり大きいと思う。
まっ、ただの獲得欲だけで、中身は何もなかったのだが。

異性と心が通じ合うようになるのは、相手が美人とか、ブスとかは関係なく、性格のいい美人もいれば悪い美人もいるし、性格のいいブスもいるし悪いブスもいる。こんな単純なことが分かるのに、その後結構掛かったような.........。
最近、僕が「美人だな〜」と思える女優はというと・・・・宮沢りえ。ちょっと痩せすぎているのが気になるけど、どうやら深く負った心の傷も癒え、やっと自分を取り戻したようで女優としてやっていく覚悟も決めたようにみえる。ことがことだったから、ちょっと同情が入ってしまうが、ここはもう幸せになって欲しいと念じてしまいます。

美人の尺度も時代によって随分と違って来るんだな〜と思う。

そう言えば、6月の銀座の個展の際、ギャラリーのスタッフの人に「東先生のファンの方って、みなさん綺麗な方ですね〜」と言われた。「いえいえ、みなさん心が綺麗なんですよ」と答えたが、言われてみれば納得。

多分、僕のような作品を好いと思うのは、権威にのるのではなく、ハッキリとした自分の価値基準を持っていることが必須だと思うので、そういった姿勢が美しく感じさせるのだと思う。僕の作品は、さんざん陶器などの器を使い込んで行き着いた、工芸界の外れも外れ冥王星のような存在だから・・・・・。

(空 pm 6:12)
何故だか美人ネタになってしまった。

「美」ではなく「美人」となると解釈が複雑になってしまうのは、対象が異性だからでしょうか。

「敏感な男は女に、ある恐怖心をもっている」と言ったのは、小林秀雄でした。
僕はその典型だったようです。けっこう人間を長くやってきたので、最近は、ほとんど性別や容姿とは関係なく会話できるようになりました。これはとても楽ですし、おまけに人生の幅を広げます。

だいぶ、ゆるい話に終始してしまいました。

空を見上げると、いつの間にやら秋の気配.......森高千里のSWEET CANDYがリフレインする夏のおわりです。。。

南風が街を通り抜けていく
今年の夏もあぁ何もしなかったわ

午後の街を歩くいつもよりも急ぎ足で
ギンガムのシャツの襟が風に涼しい
街路樹の緑が風にそよぐ音を聞いて
ふと見上げると空には白い三日月
.......................