昨年の『吾輩は主婦である』につづき、「お・ばんざい!」(TBS系TV昼1:30〜)がはじまったことを、いつものように、かみさんから知らされた。

そうなんです、実は僕、隠れ斉藤由貴ファンなんです(前も言ったかな........)。

「お・ばんざい!」の筋書きはこちら→obanzai file
昼ドラ「お・ばんざい!」は、洋画『ゴースト』と同じ設定で、亡き夫が、現世に遺った妻や子らを幽霊となって幸せに導くというもの。

どう高く見積もっても『ゴースト』はB級映画だが、でもふか〜いところまでこの映画は届いてしまう。同じように「お・ばんざい!」も笑いながら涙してしまう。。。くっだらない、どうでもいい設定なのにだ!

歳はとったとはいえ、僕はあまり涙もろい方ではない。かみさんの様に黒沢の『赤ひげ』を観ては、毎回同じところで泣くことはない。

でも、「お・ばんざい!」では、お約束で幽霊役とのからみが出たところでウルウルしてしまう;;;

40年程前、まだ三島由紀夫が生きていた頃、当時の文学のテーマのひとつに『登場人物を死なせないで、小説が成立するか』があった。

小説のクライマックスやその他の節目で、主人公や主要な登場人物を死なせるのは、作者に力がないからじゃないのか..........などといった事を当時活躍していた小説家達が雑誌の企画で熱く語っていた。これは、今も変わらず大きなテーマだと思う。

(Office KITANO HP より)
先日も、ケーブルTVで北野 武の「あの夏、いちばん静かな海。」を観た。とてもいい作品だと思う。久しぶりに観たので筋を忘れていたが、フィナーレに近づくにつれ、北野 武は、内面に愛の裏側としての凄まじい暴力を秘めているので、きっと主人公を海から帰さないだろうな〜と思っていたら図星。
「おめー反則だよ。。。」っと、ついつぶやいてしまった。

その点、『ゴースト』も『お・ばんざい!』も、物語りが主要な登場人物の死から始まるので大分『死』のニュアンスが違う。


『千の風になって』が、CD売り上げ100万部を越したそうだ。携帯やインターネットの普及で、邦楽・洋楽問わず音楽CDの売り上げは、軒並みダウンし続けている中、この成績はすごい。

だいたい『お墓』とか『死んでなんかいません』などという、縁起くそ悪いフレーズを歌詞にすること自体、御法度だったと思う。けれどもヒットした。

『千の風になって』は、9.11の鎮魂歌として紹介されたが、元々は「読み人知らず」のアメリカの古い詩だという。これを訳して日本に紹介した新井 満さん曰く、『千の風になって』は死者からの視線(死者からのメッセージ)だ、というのはうなずける。

形振り構わず必死に近代化を目指す中で、僕らは、ふくよかで自然な有り様を忘れてしまったようだ。生に偏った人間観に、死を正当に取り戻すこと、そんな願いが『千の風になって』や『お・ばんざい!』から伝わってくる。

(pm 1:41)
Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
I am the gentle showers of rain,
I am the fields of ripening grain.
I am in the morning hush,
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight,
I am the starshine of the night.
I am in the flowers that bloom,
I am in a quiet room.
I am in the birds that sing,
I am in each lovely thing.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there. I do not die.

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