(「おくりびと」..........hpより)
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邦画「おくりびと」を観た。



............9.11 以降のアメリカが、いかに病んだものだったのか理解できたような気がした。



恐らく、「おくりびと」が 9.11 以前にアメリカで公開されたとしたら..........受賞は、なかったと思う。



「おくりびと」にしろ「つみきのいえ」にしろ、『死』をテーマにした作品が、受賞対象になっている。これは、アメリカの総意が「死」を積極的に受け入れたことを意味している。そして、このことは、もう一つの事実を象徴している。つまり、超資本主義の死だ。



虚業としての金融ゲームを先行した結果、実業を降りたアメリカが一人勝ちしたように見えていたが、バブルは弾けるべくして弾けた。。。そして、残ったのが「虚」。「祭り」が終わってしまえば、そうなるのは分かっていた・・・・。 そうはいっても、「お金」「資本」というイリュージョン(幻想)で回ってきた資本主義は、この先どう変移してゆくのだろう・・・・・・。
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(「つみきのいえ」...........ROBOT hpより)
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実業(製造業)としてスタートした資本主義だが、「利」を目的意識化した故、金融を始めとする虚業が社会を牽引することになった。その間、「生産」(=「消費」)が生きることの主軸となって社会は回ってきたわけだが、その結果「生産」からの距離が、その社会の価値基準となった。象徴的に言えば「生産」から最も遠い位置は「老い」といえ、その先に「死」がある。別の言い方をすれば、資本主義社会において、最も価値がないものは(=「生産」から最も遠いものは)、「老い」そして、「死だ」。



「生産」=「消費」の基軸から外れる「老い」と「死」は、資本主義社会では、最も価値のないものになる。果たしてそうだろうか・・・・。その問いの一つの答えが、「おくりびと」や「つみきのいえ」にあった・・・・・そのようにアメリカ社会は、アカデミー賞をもって判定したのではないだろうか。



仏教は「死の哲学」といわれている。そして、仏教理念の核に死は据えられる。僕ら日本人の精神性の古層には、「死」が自然性として、しっかりと地続きの居場所としてあった。新宗教として伝来した仏教以前には、神道があり、さらに遡ると縄文時代の宗教が、そこにはあった。縄文時代では、環状集落の中心に墓地があることから推測して、「死」は日常としてあり、現代のように、人の一生から「死」を削除した残余が「生」といった構図はなかったと思える。「生」と「死」は分離不能な、それぞれ一体として存在するもの・・・・そう考えられていた。

(「つみきのいえ」...........ROBOT hpより)
「もの」を作り出すこと=実業(製造業)から発展した資本主義が、資本を金(貨幣)に替え、さらに金(貨幣)が金(貨幣)を生む構造へと進化し、現在の高次資本主義に至った。そして、生産にたずさわる生産力(消費力と言ってもいい)としての人間・・・・という世界観。その帰結として、生産力(消費力)を失ったものは、役立たず、つまり「老い」や「死」は、この社会では、無意味なもの、あるいは無価値なものになってしまった。。。



金融バブルがはじけ、実質も精神も負債を抱えてしまったアメリカ・・・・・そんな「虚」としてある乾いたアメリカの、ささくれ立った心の隙間に「おくりびと」と「つみきのひと」は染みていった。



現地では、「おくりびと」の受賞は、一様にサプライズだと言われているが、僕自身、これには前振りがあったと密かに思っている。その前振りとは、熟慮し逡巡した後、村上春樹が「イスラエル文学賞」の受賞挨拶にイスラエル現地に赴いたという事実だ。
 実は、アカデミー賞の審査委員には、多くのユダヤ系アメリカ人がいたとされている。そして、今回のアカデミー賞外国語映画賞の受賞予想では、イスラエルから出品された「戦場でワルツを」が本命とされていた。だが、彼らの無意識に、村上春樹のメッセージが届いていないはずがない。加えて、ユダヤ教の葬儀の一様式に、死者を弔う際、その遺体を洗い清める儀式があるという。そういった様々な要因が重なって、邦画「おくりびと」は、今回の受賞となったのだろう。

(「おくりびと」..........hpより)
意外と思われるかも知れないが、僕自身、邦画「おくりびと」のなかで、涙を流したシーンはなかった。確かに、納棺師の所作は美しかったが、死にまつわる様々な風景は、今の僕にとって特別新鮮なものでもなく、最早自明のことになっている(今の僕・・・・とは、厨子に関わるようになった自分という意味です)。実際、涙を流して笑ったシーンの方が断然多かった。



僕が一番胸を打たれたシーンは・・・・・・河原にある一つの石に想いを託して、愛しい人に手渡す場面。



信濃なる筑摩の川のさゞれ石も君し踏みてば玉と拾はむ

                     万葉集・東歌



古来から、日本人は、何気なく一見無造作に転がっている自然石に想いを託し「祈る」ことをしてきた。上の詩は、万葉集で詠われているもので、河畔に住む女性が、対岸の男性に呼びかけた相聞歌です。「あなたが河原の石を踏んで私の所まで来て下さるなら、私はその石を愛として拾い受け容れましょう」という意味です。



「もの」が単なるものでなくなる瞬間が、見事に詠まれている素晴らしい歌です。



石もお金も単なるものに過ぎません。ただ、人間はそれらのものに、メタファーとして、あるイリュージョンを持たせます。それは、愛であるときもあり、富という豊かさであったりもします。それらがある限度を超えて踏み外すと、人は不幸へと転がり落ちてしまいます。
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(「つみきのいえ」...........ROBOT hpより)
アカデミー賞からも、確かにアメリカは「チェンジ」しようとしていることが伝わってきます。「老い」と「死」は、高度資本主義社会では、弱者のメタファーです。新たな段階に入った超資本主義では、「生」は「死」をも含む、ふくよかで鷹揚な姿になることを願わずにはいられません。



アメリカの新大統領オバマ氏は、今までアメリカにはなかった、新しい保健医療制度の導入に動き出しています。格差社会の是正と、セーフティーネットの充実。これは、アメリカも日本も失職→即ホームレスという底の抜けた社会から脱し、社会主義も出来なかったキャパシティーの大きい新たな資本主義の段階を必要としていることでもあります。そういった新しい社会を構想する上で、どうしても必要なキーワードが「死」です。



「死」を日常の視野に入れること。それが、真に人に優しい社会を構築する上で大切な姿勢だと思います。





「おくりびと」 ・・・・祝 アカデミー賞 
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