明日香村で思ったこと 9月4日
先月の末、遅い夏休みをとり、かみさんと奈良及び飛鳥・斑鳩へ出掛けた。明日香村の石舞台は、周辺の整備が進み、そのせいで観光色が強まり、古代の像を結ぶのが少し難しくなったが、玄室に入ると中はひやりとし、この夏の炎天下でほてった身体に冷たい岩肌から、ずっとずっと昔のゆっくりとした鼓動が伝わってきた。
酒船石にも足を伸ばしてみた。大きく扁平な岩の表面に掘られた溝が、溜まりから溜まりへと継いでいる。一体何の目的をもって造られたものなのか今もって謎だが、しっかりとした用途があったことは確かに見て取れる。イサム・ノグチをはじめ、”もの派”と呼ばれた日本の現代美術を築いた作家達が、この石舞台や酒船石から多くの霊感を得、本来それらが持っていた目的とはまったく違った形で多くの傑作を現代に再生させた。その意味で、飛鳥に築かれた文化は形を変えて今日でも生き続けている。遠く明日香村の谷戸から立ち上る煙を眺めていると、ふっと飛鳥時代に立っているような幻覚をおこし深く静かな幸福感で満たしてくれる。
それにしても、人は何故自分のルーツを知りたがるのだろう。何処から生まれ、何処へ行こうといいではないか。「人は昔鳥だったのかも知れない」という歌詞は、人のDNAに組み込まれた過去の記憶がそうさせるのだと、ある思想家が言っていたが、同じように、鳥だった頃の記憶をさらに遡り、時間としての「存在」を間断なく埋められていることを、時としてマシンをチェックするように無意識に確認しなければならないように仕組まれているのだろうか。それとも死を忌まわしいものとして隠蔽してしまった現代を前にして、その在り方の欠損した部分を補完する意味で過去に関心を持つのだろうか。宗教を失った僕らがイメージする生と死の幅は、母胎に生を受けた時点から、息を引き取るその瞬間までと漠然と考えているが、これは科学に裏打ちされた文化の中で学習した結果作られるものに過ぎない。以前は、閉じられた「個」などなく今よりもっと厚みのある時間・空間の中で生きていたと想像される。当時の人達は、自分の出自に現代人ほど関心はなかったんじゃないのだろうか。日常から「生」だけを際だたせ、「死」を極力遠ざけようとした結果、僕たちの無意識が過去へ過去へと遡行してしまうようになったと言えないだろうか。何れにしても過去への思いは、途切れることなくこれからも続いていきそうだ。明日香の地に立つと、このような雑念から解放されて無条件に過去と同化できる錯覚が心地いい。またこの地を訪ねて新しい発見をするのが楽しみだ。