朝のリレー    

 「朝のリレー」

 カムチャッカの若者が
 きりんの夢を見ているとき
 メキシコの娘は
 朝もやの中でバスを待っている
 ニューヨークの少女が
 ほほえみながら寝がえりをうつとき
 ローマの少年は
 柱頭を染める朝陽にウインクする
 この地球で
 いつもどこかで朝がはじまっている

 ぼくらは朝をリレーするのだ
 経度から経度へと
 そうしていわば交換で地球を守る
 眠る前のひととき耳をすますと
 どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
 それはあなたの送った朝を
 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ


(谷川俊太郎「谷川俊太郎詩集 続」思潮社 より)


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http://jp.nescafe.com/morning/

今年もそろそろCM大賞の発表のあるころだ。

コマーシャルは、今やアートになったと言っていいんじゃないだろうか。(勿論、アートとはほど遠いものも多いが)。

今日、冒頭で紹介した谷川俊太郎の「朝のリレー」のフレーズがラジオから流れてきたときは、思わず鳥肌が立った。

(※詩「朝のリレー」は、多くの学校教科書にも採用されている1982年に発表された作品です)。

以前にも触れたと思うが、現代の詩人はコピーライター(商業詩人?)だと思う。

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは靜です

・・・・・・・・・(中原中也)

というより

・・・・おいしい生活・・・・(糸井重里)

と言った方が何かすんなりと僕らの身体に染みいる。

僕は今でも中原中也の詩は大好きだ。でも、現代では詩人はまず食えないだろう。詰まり詩人の仕事は、現在の一般社会の中にリアリティーをもって息づいていないと残念ながら思える。今回紹介した谷川俊太郎氏は唯一詩人として「食える」人だと思う。

ご存じの方も多いと思うが、手塚治虫のアニメ「鉄腕アトム」の主題歌は彼の作詞だ。

谷川俊太郎氏は、旧来の「詩」と現代の「詩」(コピー)を橋渡しする感性を持つ奇異で貴重な存在だ。こういった方が「今」という時空で活躍されていることは、僕らにとっても幸運なことだ。

実は、僕の次男耕介は3歳の時、家庭画報の企画「子どもの肖像」で谷川俊太郎氏直々に「どっか」という詩を作っていただくという幸運に恵まれた。

「どっか」

ここにいるのあきたよ
どっかいきたいよ
みちにこおりがはっててね
わるものがマフラーしてるところ
わるものはね
ひかるネクタイしめている
でもね すべってころぶこともある
わるものになるには
たかいはしごにのぼれなきゃだめ
えいごもできなきゃだめ
たぶんねこもすこしけっとばす
ぼくはいっぺんわるものになる
そのあとでいいひとになる

詩:谷川俊太郎

この企画は、写真家百瀬恒彦氏の撮った一枚の子どもの写真を見て谷川俊太郎さんが詩を付けるという企画だった。何故この企画に耕介が選ばれたのか・・・・・

当時、雑誌の取材でよく我が家に編集者の方がみえた。そこで、編集者の方に息子がとてもユニークに映ったらしい。

スタジオでの撮影の日、スタッフの方と横浜高島屋の前で待ち合わせた。いつものようにかみさんの手を振りきった息子は、若い女性スタッフの目の前で走り出した途端バタッと転んでつっぷした。

あっ、とその女性スタッフは息を呑んだ・・・・・・瞬時に息子は「泳いでしまえ!」とばかりに歩道の上でクロールを始めた。

これはその若い女性スタッフにバカうけしたそうな。

それにしても谷川さんは、たった一枚の写真を見せられて、何でこんなにもピタリとその人間の内面を言い当てられるのだろう。吾が息子はこの十三行の詩のフレーズどおりのパーソナリティーの持ち主なのだ。

個展準備に追われる中、コーヒーのコマーシャルとはいえ、ほんの数行の言葉に心を動かす力をもつ「詩」の言霊に力を貰った。

今やコマーシャルの中でしか生きられなくなった「詩」ではあるが、矢張りいいものはいいな〜と感じる今日この頃です。はい。

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