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2月1日 享年89歳で石原慎太郎が亡くなった。膵臓癌を患っていたと報道されるが年齢から言って老衰ともいえる。

実は、慎太郎さんには僕の作品をお買い上げ頂いていることもあり、そのことを含め彼には特別な思いがある。それと、浪人中親父と確執があったことで、何となく欠乏感があった父性を彼の強い父権に惹かれ、彼のエッセイをしっかり読んだ記憶がある。

彼は、生涯を通して、いつも少年の様な無邪気さと、良い悪いは別として熱い思いがあった様に思う。そして、幾つかの顔があった。政治家・文人・冒険家etc。生意気な言い方だが、正直どれも中途半端な印象がある。

それと、海外の報道にもある様に、国粋主義でもあった。東日本大震災と、それによる原発事故も重なり、あっけなく既得権益を死守しようとした官僚に潰された民主党政権の末期(最も愚かな政治家であった野田政権時)、当時都知事となっていた慎太郎は、尖閣列島を都が買い上げるという提案をし、それを受けた野田元首相は日本が買い上げるという愚挙に出た。
彼は、今で言ったらポピリズムの走りでもあり、日本版トランプでもあった。流行作家として文壇にデビューした彼は、そういった世界の空気を読むことに長けているし巧みだった。定例記者会見で、ペットボトルの中に入れた排気ガスの煤を振って見せたパフォーマンスも 、CO2削減を謳う世界の環境問題の潮流に沿ったものだった。その意味で、一部の大衆の無意識を拾う振舞いでもあった。

ここのところマスコミは、日本維新の会の橋本徹と共同代表を務めた慎太郎との関係を報じる報道が多い。被るのはポピュリズムだ。二人に共通するのは、彼らが大きなハラスメントを受けているということ。橋本は被差別部落出身で父親が組員だったという報道。そして、慎太郎は戦前の軍国主義教育になる。どちらもハラスメントの「犠牲者」。
ロッキード事件が発覚した後、慎太郎は与謝野晶子の『君死にたもうことなかれ』...... を受けて、『君 国売り給うことなかれ−金権の虚妄を排す− 』というタイトルで確か文芸春秋に田中角栄批判を繰り返していた。

振り返ると、これもポピリズムの走り。以前、橋本徹の差別的な言動を「 絶対的座標 」で触れたが、慎太郎の田中批判もよく似た言動だ。つまり、全方位を塞がれた逃げ場のない状態にある人間をボコボコにする卑劣な振る舞いだ。
 40年を経て世論が田中角栄天才説に変遷すると、「この歳になって田中角栄の凄さが骨身にしみた」という反省文を出すところも微妙だ。

ただ、僕自身は、「一人の人間としての慎太郎」は好きだ。というのは、もう二十年ほど前になるが、田園調布にあった『ギャラリー仲摩』さんでの個展にひょっこり顔を出した時一時間以上話したことがあった。
 彼が進学校湘南高校当時、サッカー部に所属しサウスポーの彼が11番を付けて左ウイングだったこと。そして、「日本初の引き籠りだ」と口外する彼が、その間ずっと絵を描き続けていたことなど全て反芻するかのように僕は知っていたので、そのこともあって逗子の別邸にかみさんと食事に招かれた......。

逗子別邸(デイリー新潮)
その時、彼から聞いたことが、彼の生涯の方向を決定付けた重要な”事件”だったことを知った。それは、敗戦直後、彼が思春期を過ごしていた逗子には、横須賀港にあった日本海軍をアメリカ軍が管理するということで駐留していた。
 逗子には弾薬庫があったので米軍はそこに駐屯していて、中学生だった慎太郎は、毎朝そのゲート前を通り通学していたのだが、敗戦もあって市民は米軍さんに遭うと卑屈に深々とお辞儀するのが慣例になっていたそうだ。多感な慎太郎は、そのことが我慢ならず、ゲート前の衛兵を無視して通り過ぎようとしたとき呼び止められ「お前はなぜお辞儀をしないのか」と頬を殴られたという。しかし、彼が言うには「誰が米兵なんかにお辞儀なんかするものか!」と黙って通り過ぎたという。

恐らく、彼の表現の原点は、ここにあったと思う。ハラスメントは連鎖することの典型例だ。この一点で、彼が国粋主義的な言動を吐く理由を説明できるのではないかと思う。そして、僕自身が、彼にシンパシーを感じ続ける理由も実はそこにある。
 
「彼は薄っぺらだ」と慎太郎を評した三島由紀夫だが、察するに、その薄っぺらの中身は、全ての判断基準が”自己幻想”にしかなかったことにあったと思う。当時の思潮で言えば実存主義に偏っていたことと、今で言う「構造主義」的な視座が皆無だったことが致命的ではなかったか。つまり、マルクスの思想の影響が痕跡すらないこと。そこが、三島に薄っぺらだと言わせた所以だ。

三島が“ホンモノ”であったのは、“個”の外側に”個”を規定するシステム(世界構造)があることに自覚的であったこと。でなければ、吉本隆明に新作の帯のコメントを依頼する訳がないし、そして東大全共闘と論戦を交わそうとなど思い付かない。つまり、「個は全体の変数でしかないが、個の集積である関数としての社会も、変数である個の変動を受けつつ変化するシステムとして相互関連する存在であること」という構造を、全体を俯瞰した視座で捉えらえなければ、能天気に個にすがるしかなくなる。

三島が慎太郎に近付いたのは、ひとえに、三島に欠けていた“体育会系”の軽薄さを無自覚に持っていた慎太郎への“憧憬”だろう。知性と教養が邪魔をして、三島には、到底無邪気に、そして無防備に“慎太郎”にはなれず、精々トレーニングジムに通ってマッチョな身体を作り、居合抜きや剣道に打ち込むことで代替することしかなかった。
 
ミッシェル・フーコー
 
  そもそもポピュリズムとは、構造主義的な視点がなく素朴に「自己」や「国家」が無条件に“在る”と信じて疑わない信条をいう。自己というものが、属性を持ち自己幻想というイリュージョンに支えられる仮想的な存在であるということや、マルクスが言ったように「国家は一つの幻想である」といった視座を持ちえないのがポピュリズムの最大の特徴でもある。

「アメリカ・ファースト」のトランプ、中国を「支那」と蔑視する呼称を敢えて使う慎太郎も同じポジションにいる。これは、こういった言い方で喜ぶ国民がいることを織り込み済みで発言しているため。
 
 
「三島由紀夫対東大全共闘」
 
  もし、軍国主義教育などがなかったなら慎太郎は慎太郎になっていなかったかも知れない。そして、どうしても引っかかるのは、吉本隆明の様に、軍国少年が「転向」してマルクスに学ぶという姿勢は、無意識のレベルでは「裏切り」でしかない。その意味で慎太郎は、思春期に受けた教育をナーバスに、そしてピュアに、自身の信条として守り通したと言える。当に軍国教育の堕とし子であり犠牲者だった。

おしまいに、もう少し早くに慎太郎に出会って、シニアチームで一緒にボールを追いかけたかったなぁと。。

お疲れ様でした。

合掌
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