Today's image index 2018
04/21  ヨーコさんの❝言葉❞ 
博士課程前期修了
修士論文完成
修士論文執筆中  
謹賀新年


  Today's image index 2017
12/31 2017年を振り返って 
第8回 がっせぇアート展
「椀と碗・その景色」 
カズオ・イシグロ
長谷川泰子
 第三回金沢卯辰山工芸工房実践講座
 修士論文中間発表
アートへの関心 
「がっせぇアート」
地域資源とはⅡ
地域資源とは 
第二回金沢卯辰山工芸工房実践講座 
蓬莱紋合鹿椀
豪雪
新年


  Today's image index 2016
金沢卯辰山工芸工房実践講座 
額田の祭
合宿
茶堂お大師祭
 とと姉ちゃん
flat化する工芸 
地元の漆 
新しい恋愛観
新学期
近況
地域の記憶
彫りと漆 
仕事始め 
元旦


Home index 

essay +column+
2009 --2018
Today's image index



top 
佐野洋子さんといえば、ご存知『100万回生きたねこ』。因みに谷川俊太郎の二番目?の奥さんでもあった。この佐野さんの『ヨーコさんの❝言葉❞ 』が深いです。語りがいいです♬ 以下↓で動画をご覧になれます。
(NHK https://www.nhk.or.jp/d-garage/program/?program=90022)

佐野さんに限らず僕が惹かれる女性性は、こういった達観しているというか一つ抜けてしまっている生き方に「受動的内発性」(これ宮台真司が最近繰り返すフレーズ)を感じるからです。

宮台曰く「女性は、たとえレイプされて孕んだとしても、時としてそれを受け入れ育てようとする」つまり理屈や感情を超えて”事実”を受け入れそれを引き受けるということ…これが内発的に受動する強さの中身です。ちょっと真似できねぇなぁと脱帽です。
小学校入学の頃から、いやその前から?僕が窮地に立たされたとき、手を差し伸べてくれたのは女の子でした。こちらに非があってもです(たとえば宿題を繰り返し忘れる、学用品を忘れる等、確か忘れ物帳にはチェックされた判が欄外にはみ出ていました;;;)。なので僕の無意識には、女性を心底リスペクトする魂のようなものが根を張っています。

たった今思い出しました。中三のある日、どういう訳か三階の教室に泥棒?が入ったのか、達摩ストーブの煙突を通すように床に開けられた穴に”度胸糞”をしたのでしょう、一階に向けての排便が快感を誘ったのか、初めてに違いありません、大幅に穴を外した大糞が遺されていたのでした.....

何を想ったのか、われ先に手柄を挙げんと「気を付けろ~クソがあるぞ~」と同級生に振れ回っているいるうちに、その爆弾を踏んづけたバカがいたんです(僕です;;)。もちろん爆笑というか嘲笑です(とほ...)。赤面して上履きを洗面所に洗いに行くと、「ほんとバカなんだから!」とマジで怒りながら黄色く染まった運動靴を洗ってくれたのも女の子でした。感謝♪(じゃね~よ)
話が逸れました;;

そして、佐野さんの『ヨーコさんの❝言葉❞ 』を観ると同じ感覚ではと思える主人公の魂に共振してしまいます。消しゴムを貸してくれた浜野さんや、宿題を手伝ってくれた山崎さん、そして何を始末してくれた?さんが佐野的なるものと重なるのです。

こういった魂の強さ(エロス+リビドー+タナトス)は、先天的に女性がもたされた所与のものとしか思えないのですが、どうなんでしょうか。。それは賢さを超えた何かです。利他性ともいえるかも知れません。

最近気づいたことに、こういった僕にない大切な”何か”をもっていない女性が極々まれに存るということ。そういった方は概ね、背負いきれない負荷で潰れそうなハンディをもっていることが大半です。なので佐野的な女性性は大概消失していて自信なさげにみえます。それをカバーするため嘘もつきます。何より自分に嘘をつきます。一般的には、こういった弱さを持つ方を女性的と称しているようですが、それは違う気がします。
いろいろ調べますと、佐野さんは、幼少時に肉親を亡くすことで死というものときっちり向き合っています。そのことが、彼女の死生観を決定づけたことは確かなようです。そして『100万回生きた(・・・)ねこ』と反転した表現になったところが命の妙というか、深く頷かされるところです。

ちょっと前に橋田寿賀子さんが、安楽死を希望するも大きな誤解から「障害者や寝たきりの人間をどう思うんだ!」といった声が多く寄せられ、そのことが面倒くさくなって安楽死については封印したと仰っていました。佐野さんの癌との向き合い方も見事ですが、橋田さんもすごい。僕もかなりの高齢になって何らかの表現ができなくなったなら、納得して自分の人生に幕を下したいと思っています。まっ、その時になってみないと分かりませんが。。

「表現」の中身はいろいろであっていい。出来れば、ものを手で工作することができたらありがたい。

小学生の頃、もし自分が事故にあって歩けなくなったら、手があるので工作は出来るので大丈夫。でも手を失ったら、筆を口でくわえて絵が描けるから大丈夫・・・といった事故後の対処法の連鎖をイメージしていた。何故そんなことをしていたのかは覚えていない。きっと家庭が不安定だったのだと推察は出来る。

金浦誌表紙イメージ
 
院を修了したことで、漸く古文書教室への復帰を果たしたのですが、恥ずかしながら、ここでも嘗て女の子だった(これってセクハラですかね?)方にいろいろ世話を焼いていただいている。小学生当時と変わらず教室の上履きを忘れているのだが.....入るなり想定内にて、草履をば買い物袋より差し出され候へども、何れかで見たる風景に在るや無しや.......です。

人間、いくつになっても素は変わりません。

前々から古文書教室の先生がお持ちの資料と、先生自体の「知」を存命のうち何とか電子化したいと思っていた。先日50Gbでレンタルサーバーと契約し「kitakinki-komonjo.com」のドメインも取得した。.....が問題はこれからである。どういった項目に分類し、HPに載せるか難儀している。

先生に相談すると、最初はざっくりとした括りでいいと仰られるのだが、途中から、ここはこうした方が、ここにはこういった注釈もいる...となりエンドレスだ。そもそも先生に文書を見せるや否や速攻そっちの世界に行ってしまう......先生に古文書は御法度??
 

裏のお宮の山椿
 
 
 
 

裏山の桜
 
 
Home index 

essay +column+
2009 --2018
Today's image index



top