『泉からの引き水』 (アンドリュ-・ワイエス)
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 ずっと探していた絵があった.......。

以前は、いくら検索してもヒットしなかった画像が、先日漸く見つかった。
 僕の記憶では、もうちょっと部屋が暗く重い感じで、水槽ももっと大きく右側に大きな蛇口があったはず。。この絵『泉からの引き水』 (アンドリュ-・ワイエス)が収録されている書籍は、美術手帳だったはず(これも記憶が曖昧)。

そこで20年程前に美術手帳のバックナンバー専門店だった『art-blue』さんに問い合わせてみた。実は、数年前に今でもお店を運営なさっているのかなぁ....と検索したところ、扱う美術書の範囲を広げて健在しているのを知っていた。

メールで問い合わせたところ、無茶苦茶丁寧なコメントと一緒に、僕の不確かな記憶から意中の絵が『引き水』というタイトルではないかとのご案内。そこで改めて検索をかけ遂にヒットしたという訳です。 
 
『海からの風』
残念ながら僕の記憶は極めていい加減で、折角1988年度の美術手帳ではというご指摘を頂いたもののヤフオクで競り落とした現物には掲載はなかった。で、『art-blue』さんに頂いたキーワード「1988年度」でさらに検索すると、世田谷美術館でこの年『アンドリュ-・ワイエス』の企画展があったことを突き止めた。重ねて検索をかけてこの企画展のカタログの中に意中の絵『泉からの引き水』を見つけた♬

以前、『』でワイエスに触れたことがあったが、その時も僕の持つ作品のイメージは、実際の作品とは凡そ違っていて「記憶の錬金術」(安富歩東大教授の言葉)とは言い得て妙だなぁと。art-blue さんが仰っていたように、「もしかすると、似たシチュエーションで別の作品があるのかも知れませんよ」.....の可能性大。

僕のワイエスの作風イメージは、重く・深く、どちらかというと暗い。今回の『引き水』にしても記憶では、薄暗い納屋に、ずっしりと重い大きな水槽が横たわっていて、満々と満たされた水が、今まさに溢れ出す瞬間を切り取ったような絵のはず。。
 
『薄 氷』
』でも触れたように、↑↑『薄氷』は、単なる枯れ葉ではなく色鮮やかな紅葉として記憶していた。「像」としての記憶は、時間の経過とともに自分の中での理想形へと加工され続ける動的なものなのだと再確認。その意味で、イメージの記憶とは、静的で固定されたものではなく、現在進行系でベクトル変容し続けるものなのだと。

そう、僕の記憶だとワイエスの作風は ↓↓『屋根裏部屋』の様な、物理的にも社会的にも、あまり日の当たらない、意識しないと視野に入ってこない情景を鋭く切り取るスタイルになる。なので、記憶の中の『泉からの引き水』も重厚な絵だったことになっている。

有名になればなるほど、その人物のイメージは、分かり易い方へ引きずられるものだ。40年以上前のワイエス像は、生まれ故郷のペンシルベニア州フィラデルフィア郊外のチャッズ・フォードからほとんど出ず、人種差別の酷い田舎に住みながら、幼少時から黒人への差別をすることもなく、ハンディーをもつひとびとを題材に選び描き続けた作家というものだった。

Garret Room (屋根裏部屋)
初めてワイエスを知った40年前と、今のワイエス像は、僕の中では大分違っている。カール・マルクスがそうであった様に、ワイエスも、生涯たった一人の女性(妻)を愛し続けたといった触れ込みだった。でも、実際のマルクスは、家政婦だった女性を妊娠させていたことは今では周知の事実で、同じ様に流布されたワイエス像も実像とは違っている。

ただ、ワイエスの場合、ドイツ系の農婦ヘルガ・テストーフという女性を1971年からモデルに選び1985年までにその画は240点にものぼったが、いっさい公表はされず、ヘルガとの関係は「世紀の密会」としてスキャンダラスに報道されが、二人の関係が不倫かどうかなど無化するぐらいモデルヘルガを描いた作品は深く秀逸だ。
 
一応、モデルヘルガは、容姿もスタイルも特別美しくはないということになっているが、ワイエスにとって一般的な意味での美しく整った顔立ちのモデルなど全く価値がないはず。誰もが気付かない万象に美を見出すことが彼の真骨頂だし、その自信もあったはず。事実、描かれたヘルガは、写実的な描写と並んで、内面も写実的に表出され美しい。

ここまで真に迫って描かれたという事実を前にして、モデルヘルガは、ワイエスを敬愛しただろうし、15年間モデルを務めたという誇りも彼女にはあったであろう。そして、何より描かれた内容も目の当たりにしている。だとしたならば、男女の関係があっても不思議ではないし、あったほうが自然。
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40年という月日は、同じ題材や作家も全く違った見え方にする。以前は、純朴で抒情的な自然作家としてワイエスを捉えていたが、今は全く違っている。男の作家が、何故女体を描くかということの中身は、エロスであろうし、リビドーでもある。そこには当たり前の様に性が被る。 ワイエスも、「それ」を描きたかったであろうし、そこにもう一つの写実=真実を見たのだと思う。

やはり僕も歳をとったのだと思う。エロスもリビドーも減衰している実感はないが、生々しい衝動の様なものは明らかに衰微している。そのことが違ったワイエスに気付くことになったのかなと。これはこれで悪くない。