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地域を知るには、「古いもの」を知ることから始めることが早道なので、昨年夏足利に移ってから直ぐに市の企画する歴史講座を受講した。期待通りの内容だったので今年も受講してみた。

『発掘調査で解明される足利の歴史』と銘打った講座の講師は、昨年に続き足利学校学芸員の大澤伸啓氏。縄文から始まり江戸までだが、講師が足利学校に所属することもあって中世の中身が濃かったように思う。

8年近く兵庫に住んでいた時に知ったのだが、古墳が全国一多い地ということに驚いた。鉱山が多いということがその訳だと思うが、僕が住んでいた山東町には、嘗て700基あったとされる。何と足利は、栃木県内で最も古墳の多い地ということ。その数1300基というから、その辺は、古墳だらけだろう。その証拠に、月一で僕の通う足利史探会(絵師田崎早雲日記の古文書を読む会)のメンバーの方が、小さい頃よく遊んだ横穴が、実は古墳の玄室だったと笑って仰っていた。
 
吉増さんとビール片手に談笑する大澤講師
その足利史探会の講師を長く務めている先生が、心臓の人工弁が不具合で入院された。そして、僕の町(小俣町)の郷土史家の新井さんが、数日前に癌で他界された。一月ほど前、ご連絡を頂き、ご自宅にお邪魔して地域のことを伺ったばかり。大分お痩せになっていたので心配していたのだが、公民館での小俣歴史講座をキャンセルなさった時点で覚悟はしていた。栄養ドリンクを2本用意し、始まりと終わりに差し入れすれば講座も乗り切れるのではという思惑も外れてしまった。

僕自身もそれなりの歳になっているので、明日は我が身。毎日を充実させようと誓う。

合掌。

小俣新田稲荷神社
足利にも大分馴染んできた。郷土史家新井さん亡きあとは、僕が一番小俣の歴史に詳しいかも知れないので、単なる郷土史としてではなく、民族史、社会科学史としてのスタンスをもって、更に深く地域にコミットメントしていこうと思う。

このところ「Today's image」をサボって来たのには訳があって、今の世相というか、日本の政治がコロナ対策を含め狂っているとしか思えないほどの無策なので、あぁ~国は、逆ピラミッド型の人口構成を、新型コロナウィルスの力を借りて健全な形にしようと決断敢行したな....と察しがついたからだ。これで、年金問題も高齢化問題も一掃できる。

そう考えないと、国の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長が「感染が広がって来たので褌を締めなおして...」なんて言わないだろう。副座長尾身 茂がそう言うのだからこの国は終わっている。国は助けるつもりはないので、特にハンディーをもつ人は、各人が、これは「令和インパール作戦」と弁えて自分で自分を守らなければならず、もうサバイバルだ....... って「物言えば唇寒し秋の風」状態だったのです。はい。
urushi-art.net も院生時は、更新も儘ならずアクセス数も減ってしまったが、ここに来て元あった数に戻りつつある。ただ、世の中に blog などというものがない頃に始めた「Today's image」だったが、二十年以上続けてくると世の中も大分変って来て、個人的で軽い日常の様子より、しっかりした論点をもった言説の方が関心を持たれていることがアクセスデータの解析で分かってきた。恐らくネット検索のリテラシーが上がって来たのだと思う。

なので、多少重いテーマであっても拘りをもって「essay」として論述した方が、読む方は読んで下さっていることを受け「発語と吃音」も同時並行で論述している。恐らく何方かがリンクを貼ってくださっているのかも知れない。「漆の考古学」は分かるとして、どういう訳か「昼の月」「長谷川泰子」「朝のリレー」 etc が上位をキープしている。ならばと、 back file をチェックし直し、しっかり論述しているものを逐次あげていこうと思う。

「足利銘仙灯り」......鑁阿寺
この11月22日、鑁阿寺で影絵があると歴史講座の講師から伺い出掛けてみた。コロナ籠りの疲れもあるのか人出も多かった。無理もないかなぁ。。

「闇と灯り」は、深層心理として「不安と安堵」が同居している状況なので何とも幻想的で、エロス的なスイッチもオンになるような。おまけに上弦の月まで演出効果をあげていたので、コロナがなかったなら、もっと人出は多かったと思うと色々な意味で残念だし、これだけのイベントなので勿体ないなと。







足利には、古墳が県下一多い1300基あると言われる。ひとつずつ潰していくには残された時間がなさ過ぎるので、足利を代表する史跡から踏破することにしている。

先週『鬼滅の刃』を足利シアターで観た帰り、確か樺埼八幡宮が近かったはず......天気も良かったので足を延ばした。

樺埼八幡宮
鑁阿寺の開基足利義兼が身内の菩提のために創建した樺崎寺跡(国史跡)のなかにあります。3代目義氏がお堂を建て、八幡を勧請して義兼を合祀したことが八幡宮のはじまりと言われています。
 
左回り二度、右回り一度。。だったかな....で厄祓い
 
 こうコロナが酷くなってきて、医療崩壊も起きてくると、呑気に地域の話題に触れている場合か、と筆が鈍るところですが、ここは、菅総理が新型コロナの感染力を借りて、年金問題と高齢化問題を整理することを進めているんだなぁと理解しつつ筆を執りたいと思います。

というのも、経済をコントロールできない人間が、コロナをコントロールできる訳ないので、ここは、それぞれの人が、共助として、地域と如何に密に繋がるかを探り実践すること。その方が理に適っていると腹を括ることが得策。


そう樺埼八幡宮でした。この地は、元は足利義兼が即身仏(生き仏)となった樺埼寺があった。源頼朝に加勢し源平の争乱の際、多くの手柄を上げた義兼は、頼朝が鎌倉幕府を開府するにあたって、多くの戦で功績のあった実弟義経の処遇をみて、自分も身の危険を感じ出家したと言われる。

動乱期にあって、即身仏も自然死といえば言えなくもない。逆に凄惨な死ともいえる。そういった歴史を背負った武将の霊が祭られたのがこの地にあたる。
 
 














復元された浄土庭園
 
 樺埼八幡宮の社屋は、パッと見て一般的な神道の神社とは違っていて、どちらかというと仏寺の雰囲気を持っている。樺埼寺の縁起は「義兼が奥州合戦の戦勝を祈願して土地を寄進し、伊豆走湯山の理真朗安を開山として創建されたという。義兼は建久6年(1195年)に出家し、正治元年(1199年)に没した。樺崎寺には義兼の廟所が作られ、赤御堂と称された。以後、当寺は足利氏の菩提寺となっている」とあるから仏教に軸足を置いていることにより、そのデザインも必然的に仏教色が強いものになっているのだろう。

折衷的と言えばそれまでだが、僕自身は、とても新鮮で期待以上のものだったのでiPadの背景として設定し、その都度眺めている。
 
 
御神木(樹齢500年)
 
樺埼寺を深堀すると、ページがいくらあっても足りないので追々触れていきたいと思います。足利市は、知名度はそれなりに高いのですが、基幹産業だった繊維業の凋落は大きく、市の予算も少ないので様々な史跡の整備も儘ならず残念。

幕府がこの地にあったならまた話は別なのですが.....ただ物語は沢山ある。僕の住む小俣も含め紹介していくつもりです。

師走、それも大晦日が迫ってくると、コロナも関係なく、長年の習慣で漆に携わるものとして何だか忙しなくなるのは仕方ないですね(昨日も、ほぼ徹夜でした)。

では、では。
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