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先日触れた認知行動療法で伊藤絵美氏(臨床心理士)が一番にあげたストレス解消法は「書くこと」だった。

今年で21年目になる urushi-art.net だが、このサイトを立ち上げたきっかけも「書くこと」にあった。それは、僕の所属する伝統工芸を積極的に取り上げていた雑誌が、急速に購買数を落としていったことがあった。つまり、雑誌というメディアが読者のニーズをすくい上げるための、経済的な要素を含めた総合的な構造を保持できなくなったと僕は判断した。

丁度、時を同じくして、革新的なメディアであるインターネットの台頭があった。この事実は、僕らが、情報をただで手に入れられる時代に突入したことを意味している。
 僕が urushi-art.net を立ち上げたことの根底には、時代が変わったという認識と、そのことによって生まれた不安があったと思う。同時に、新しい時代に向けた可能性も感じ、不安と希望からエネルギーを得て「書くこと」を始めた。このことは精神の安定を保つことに大きく貢献したように思う(知らずに認知行動療法を採用していたことになる

コロナ禍の中、今僕は urushi-art.net の21年間を振り返っている。それは、ポストコロナに向けた構想を確かなものにするために、今という状況をしっかり分析しておきたいということだ。

今日もアクセスログを解析してみた。新しく気付いたことは、アメリカからのアクセスが多いということだけではなく、意外にもスイスやドイツからのアクセスが多いということだ(もし、スイスの Daniel Mishele and Peater が閲覧していたら以下↓まで連絡をください)
 

 スペインインフルエンザ(1918-1919)

 第一次世界大戦中の1918年に始まったスペインインフルエンザのパンデミック(俗に「スペインかぜ」と呼ばれる)は、被害の大きさできわだっています。世界的な患者数、死亡者数についての推定は難しいのですが、患者数は世界人口の25-30%(WHO)、あるいは、世界人口の3分の1(Frost WH,1920)、約5億人(Clark E.1942.)で、致死率(感染して病気になった場合に死亡する確率)は2.5%以上(Marks G, Beatty WK, 1976; Rosenau MJ, Last JM, 1980.)、死亡者数は全世界で4,000万人(WHO)、5,000万人(Crosby A, 1989; Patterson KD, Pyle GF, 1991; Johnson NPAS, Mueller J, 2002.)、一説には1億人(Johnson NPAS, Mueller J, 2002.)ともいわれています。日本の内務省統計では日本で約2300万人の患者と約38万人の死亡者が出たと報告されていますが、歴史人口学的手法を用いた死亡45万人(速水、2006.)という推計もあります。

 スペインフルの第一波は1918年の3月に米国とヨーロッパにて始まりますが、この(北半球の)春と夏に発生した第一波は感染性は高かったものの、特に致死性ではなかったとされています。しかしながら、(北半球の)晩秋からフランス、シエラレオネ、米国で同時に始まった第二波は10倍の致死率となり、しかも15~35歳の健康な若年者層においてもっとも多くの死がみられ、死亡例の99%が65歳以下の若い年齢層に発生したという、過去にも、またそれ以降にも例のみられない現象が確認されています。また、これに引き続いて、(北半球の)冬である1919年の始めに第三波が起こっており、一年のタイムスパンで3回の流行がみられたことになります。これらの原因については多くの議論がありますが、これらの原因については残念ながらよくわかっていません。

 1918年の多くの死亡は細菌の二次感染による肺炎によるものであったとされていますが、一方、スペインフルは、広範な出血を伴う一次性のウイルス性肺炎を引き起こしていたこともわかっています。非常に重症でかつ短期間に死に至ったため、最初の例が出た際にはインフルエンザとは考えられず、脳脊髄膜炎あるいは黒死病の再来かと疑われたくらいです。

 もちろん当時は抗生物質は発見されていなかったし、有効なワクチンなどは論外であり、インフルエンザウイルスが始めて分離されるのは、1933年まで待たねばならなかったわけです。このような医学的な手段がなかったため、対策は、患者の隔離、接触者の行動制限、個人衛生、消毒と集会の延期といったありきたりの方法に頼るしかありませんでした。多くの人は人が集まる場所では、自発的にあるいは法律によりマスクを着用し、一部の国では、公共の場所で咳やくしゃみをした人は罰金刑になったり投獄されたりしましたし、学校を含む公共施設はしばしば閉鎖され、集会は禁止されました。患者隔離と接触者の行動制限は広く適用されました。感染伝播をある程度遅らせることはできましたが、患者数を減らすことはできませんでした。このなかでオーストラリアは特筆すべき例外事例でした。厳密な海港における検疫、すなわち国境を事実上閉鎖することによりスペインフルの国内侵入を約6ヶ月遅らせることに成功し、そしてこのころには、ウイルスはその病原性をいくらかでも失っており、そのおかげで、オーストラリアでは、期間は長かったものの、より軽度の流行ですんだとされています。その他、西太平洋の小さな島では同様の国境閉鎖を行って侵入を食い止めたところがありましたが、これらのほんの一握りの例外を除けば、世界中でこのスペインフルから逃れられた場所はなかったのです。

(IDSC 国立感染症研究所)

このところスーパーへの買い出しを控えている。どこのストアのレジも、客との間は分厚いビニールのシートで遮断されている。飛沫感染を避けることが最も有効な手立てなので、こういった対処は理解できる。同時に、レジのスタッフが、想像を超えてナーバスになっていることもビニールシート越しに伝わってくる。

公的に外出を控えるようアナウンスされている今、人々はスーパーならば日用品の購入という免罪符を持って外出できる。従って、大方どこのスーパーも混雑している。このことが自粛を続けている他の業種とは大きく違った点だ。ほんと「ご苦労様です!」と声を掛けたい。
 
新型コロナウィルスが引き起こしている社会変動は、もう秒単位で進展している。今日の僕は、三か月後に来るであろう多くの企業の倒産によって、二割から三割の人々が失業し、あらゆる世界が縮小することがかなりリアルに予想できる。

恐らく、現在のコロナ禍は夏頃に一旦やや収まり、しかし、(よく言われるように)秋を過ぎた頃からアフリカを中心に再燃し第二波を迎え、更に2021年に掛けて第三波も視野に入れなければならなくなると予想される。
バブル崩壊後もそうであったように、経済が縮小した時に人々が最初に削るのは、生活必需品以外の「遊び」=「文化」になる。他人事ではない。僕自身、六本木、銀座を中心に活動してきたので、いわば「遊びの世界」の中で生きてきた。元々、サラリーマンという、いわゆる宮使いに向かないだろうということで工芸の世界に入った訳だが、そのことは実業にも虚業にも入れない(=はみ出す)自分を了解したことによる。でも、僕自身バブルの厳しさを身に染みていない。

世の中が非常時になれば、広告や宝飾、高級ブランド品や海外旅行などが縮小する。一客数万円する椀を購入できる層も激減するので、僕が所属する伝統工芸界もピンチだ。バブル崩壊後の時も、相当厳しかったはずだが、僕は、若かったということもあって痛みの記憶が残っていない。でも今回のコロナ禍は、歳を重ねたということに加え、グローバル化の波及もあり相当厳しいことをリアルに感ずる。
とても厳しい時代がやってくる訳だが、ただ戦時中もそうであったように、人って「実」だけで生きていける存在ではない。先回も触れたように、この世は「 illusion 」としてしか了解できない。人間である以上、幻想、あるいは虚像を持たないと生きていけない。

アートや宗教、そして文学や芸能、スポーツ、これらは折口信夫が指摘したように源は同じだったのだろう。コロナ禍で人々の不安が増大することは目に見えている。そうなると「実」を追いかける反動で「虚」の必要性は高まる。その時、僕らの様なパーソナリティは、人々を真に元気付ける「illusion =夢」を生み出せるか否かが試される。
 
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アフターコロナ禍(多分二年半から三年かかるのだろう)の夢を語っても、その時点で何とか生き残っていなければ意味がない。1930年代猛威を奮ったスペイン風邪から学ぶとすると、転職や自分の仕事のバージョンアップで成功した人々は5%という事実がある。つまり、95%の人々が失職や企業倒産となり転職を余儀なくされた。ということは、ほぼ全員が何らかの大きなダメージを受けるということだ。

この先、政府がいくらケチっても、財務官僚が幾ら渋ってもベーシックインカムを採用する社会へ移行しないと国はもたない。放置すれば医療崩壊は起きるし、家族や地域も壊れ、それ故に自殺者も増え、社会の治安は最悪な状況になる。だから、何としてもこの危機を乗り越えてアフターコロナのアップグレードした社会で新たな人生を歩まなければ損だ。それを踏まえて、この時期、是非以下 ↓ の動画をご覧になってエネルギーを蓄えて頂きたい。
僕自身、今の仕事(鎌倉彫/漆工芸家)は天職だと思っている。でも、首都がロックダウンを繰り返したならば、ただでさえ利の少ないgalleryは耐えられずにクローズせざるを得ない。結果として、僕らの様な作り手は失職する。もちろん、オンラインショップで凌ぐ方法も模索するが、作家物は非常時に必要とされる頻度は極端に落ちるだろう。そうなったならば、折角先日仕上がったばかりの工房も、その使用が三年後になるかも知れない。

さすがに、若くはないので作家になる前のアルバイトだった、土方やタンカーの船底のヘドロ救いは無理かも知れない。けれども、こうなったら好き嫌い、得手不得手を言ってられない。何でもやろうと思う。そして、コロナ禍で新たに生まれるオンラインの仕事も模索したい(三年後元気で創作するために)。

塗り部屋にリニューアルした和室
そう「 illusion = 夢」と一緒に持たなければならないマインド、それは「共生=協働」だ。僕らは人が喜ぶ顔をイメージすることで創造的になれるし、想像を超えたエネルギーも湧き出る。僕自身がそうしてきたので確かだ。
 正直に言うと、新しい作品を生み出すとき、あるいは新しいアイデアを創案するとき、抽象的な人類一般をイメージすることは先ずない。必ず具体的な誰かをイメージする。

この作品は、きっとMさんが見たら腰を抜かすほど感動するんじゃないか・・・とか、A さんが見たら微笑むんじゃないかとか、必ず具体的な誰かをイメージしている。
 具体的には、僕の場合、亡くなったsavoir vivreオーナーの宮坂さんが新作を見たらどのくらい喜ぶだろうかを良くイメージした。彼は子供のように素直に反応してくれたので。もちろん意に沿わないこともあった。「殷墟文字はもう飽きたから」とか、僕が「アクリル板で折敷を作ったらば面白いものができそうだ」といった途端「絶対そういうことはしちゃだめだ!」ってマジで注意したりした。そういうこともあったけれども、宮坂さんを喜ばせたいといつも思っていた。

もちろん、最初に喜ばせたい相手は自分だが。。

そして、何かアクションを起こすとき、それが他人にとってプラスになる選択を優先したい。それは、類としての人間に必ずプラスに働くはずだ。そう、それは必須の生存戦略になる。

世界を見渡すと、コロナ対策に成功している国の頭首は女性が目立つ。ドイツのメルケル、台湾の蔡 英文、ニュージーランドのジャシンダ・ケイト・ローレル・アーダーンと、それぞれ心に染み入るメッセージをいち早く発信している。

触れたくないが、我が国の首相はどうだろう?憂鬱になるが選んだのは僕らだ(もちろん僕は推していませんが)。そして僕らには、女性首長を選ぶだけのジェンダー理解と、その見識もない。
 上の動画は歴史に残る傑作で、安倍首相を国民が選んだ根拠を鋭く指摘する名作だ。そう、僕らは、消去法で、もっとも被害が少なく済む人材を選んだわけだが、そのことは平常時なら構わない。でも、残念ながら今は非常時だ。援助するための補助金の支給も遅いし、額も少なく、まるで安倍のマスクの様に陳腐だ。そして、今僕らはその反動で大きなダメージを受けている。そして、その痛みは、これから指数関数的に増大する。

『愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり』(福沢諭吉)

この情けない実態が、僕ら自身の現在だ。