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あけましておめでとうございます。

年の暮れに一年を振り返る余裕がなく、本年平成三十一年新春を無事迎え、のんびりと昨年を振り返っています。お陰様で、昨年は、近年になく納得できる年となりました。一昨年がクソみたいな年だったので尚更そう感じます。特に後半が公私ともども充実したものとなりました。

今年は来月2月に、金沢クラフトビジネス機構(KCBC)の特別講座の成果発表が「銀座の金沢」であります。翌3月には『工芸×霊性』の東京展。そして、6月に第三回厨子展と続きます。

 暮に探しものがありPCを新調したこともあって旧PC、旧旧PCのデータをごそごそ漁っていたら、2005年に既に厨子屋さんとのお付き合いが始まっていたことに気付き驚きました。もう15年近くなる訳ですが、果たして15年後に自分が現役で作品を作り続けているか断言できない年であることを、捜し物をしている中で悟りました。そうなると尚更その日、その日の重みが実感できて、瞬間瞬間を密度高く生きようと心身が自然とその意志に沿うようになります。
自分が健康体でいたならば、恐らく息絶えるまで仕事を続けていると思う。なので、ここ最近は、「健康」というより仕事やスポーツ(特にテニスやフットサル)を一日でも多く続けて楽しみたい、そのための健康ということになります。

ちょっと前まで、質の良い睡眠とか、ストレスのない毎日を!といったマスコミやネット情報をみて「それができりゃ~苦労はねーよ!」って突っ込んでました。意味のないこと言ってんなぁです。現代人の公傷が精神疾患であることを生前吉本隆明さんが繰り返し触れていました。いろいろな意味できつい世の中であることは分かりきったことです。それ故、みなさん質の悪い睡眠とストレスフルな毎日を送っているわけです。

でも、確率的に言って自分の残された余命が然程長くはないという真理を前にして、ストレスとか質の悪い睡眠とかをとっていると「もったいない」と素直に思えてくるから不思議です。何か浪人中に人生に開眼し、思想書や哲学書、そして文学に目覚めて毎日を真剣に生きるようになった頃が思い出されます。

金比羅山
そう去年のこと、ほとんどTVは観ないのですが、たまたま食事をしながらぼんやり観ていたら一茂(長嶋の息子)が出てきて面白いことを言うのです。「僕は毎朝早起きして散歩し、その時毎回死にます」・・・?? つまり、公園のベンチで座禅を組み瞑想して自分は今死んだ。そして瞑想後、今蘇った。とバーチャルな死を体験し、生きていることの重みと感謝から毎日が始まる・・・と語っているのを聴き、こいつ馬鹿じゃないなぁと感心しました(彼も家族のことで苦労していますから)。僕の浪人中の毎日と重なります。

人間素直になると、今まで目を背けてきた無意識にも無理なく向き合うようになります。昨年後半は、吉本隆明183講演の中から『ヨブ記』を繰り返し聴いていた。「善行をしても悪行を働いても神の前では皆等しい」とする話ですが、やはりキリスト教は深いなぁと。

吉本さんは、いつものように親鸞の〈善人なおもて往生をとぐ,いはんや悪人をや〉と重ねて語るわけです。つまり、キリスト教で言う「神」は、アジア、そして日本で言う「自然」と同義だと。例えて言うと(講演の前年に阪神淡路大震災があったので)、自然は、いくら善行を積んだ人間でも、そうでない人間でも等しく自然災害を容赦なく負わせる。善人ヨブの受けた試練もそういった意味で、キリスト教でいう神とはアジアにとっての「自然」と同じ意味になるということ・・・沈黙です。
大晦日も、正月元旦も力みなく仕事を楽しんでいました。仕事が出来る内にやっとこう・・・です。今更ですが、仕事が出来る喜びを噛み締めています。こういうことって自分が背負わされた DNA なのかなぁと頷いたりしています。僕の親父は、一介のサラリーマンでしたが、長男だったということもあって絵描きになることを諦めたと聞いていました。ある意味家族の犠牲になったとも言えます(昔は皆そうだったようですが)。

気の毒にも、会社まで二時間も掛けて通勤していましたが、帰宅後(8時は回っていたはずです)自宅の増改築を日曜大工ではなく平日大工?でやっていました。それくらいものを作ることが好きだったようで道具にも凝っていました。その大事な道具を親父の目を盗んでは使ってよく叱られました。刃毀れするようなデリケートな道具ほど見て呉れも格好がいいので、いくら親父が策を凝らして隠しても小さな家だったので、小学校低学年の僕でも訳無く見つけ出して使っていました。曲尺はもちろんのこと、カジキマグロのような鋸や、名刀の肌を持つ鑿は、流石に子供の手に余り刃毀れして使ったことがバレます;;その度に鋸の柄でコツンと殴られました。思い返すと、その時親父はマジで怒っていましたが、その目は結構嬉しそうだったように記憶しています。
その親父の道具、今も現役で使えています(今気付きました....)
そういえば、ハンダごてや、電気器具や車の配線用の備品が入っているトランクは、海軍に所属していた親父の戦利品?で、今も現役です。「昭十五製」とありますから、今から79年前のもので、しっかりと圧搾した厚手の紙?に塗装を掛けたものです。以前息子が見つけて「格好いい!父ちゃんくれよ」と懇願されましたが「駄目。親父の形見だから」と断った一品です。

↑上の鉋も大きすぎて余り活躍する機会はないのですが現役です。

最近よく思うのですが、僕がものづくりの作家になったのも、大学院の修士を取ったのも、みな親父の叶えられなかった(選択できなかった)人生を追体験しているのでは…ということ。あれほど反発していたのに。。

「常ちゃん(親父の名は常雄です)は頭がいいから受験勉強しなくても受かるよ」と近所の四高生(今の金沢大学)の兄さんに勧められて受けてみたものの、そう甘くはなく落ちたことや、その時出題された問題(「貴方にとって『山』とは何ですか」)にどう答えたかを今も思い出せる。その時点で、親父の悔しさが僕に刷り込まれたのかも知れない。生きる意味の一部とは、こんな単純な人生の一齣でもあるのでしょう。
特段正月気分もなく、でも落ち着いたのんびりとした日を送っている。だからでしょうか、こうして書くということがHP開設当時(1998年)の様に自分を解放していってくれるのを感じます。もうこうして二十年も書き続けてきたことに今改めて気付きました。あっという間でしたね。

高校を卒業するまで小説など読んだこともなかった・・・が、浪人が決まって直ぐ❝ながら族❞(これ死語ですね)になって深夜放送を聴くようになった。特に当時早稲田の教授だった加藤諦三がパーソナリティーだった文化放送セイヤングは、何があっても聴き逃すことはなかった。

今思い返すと、吉本隆明なる巨匠も、ハイデッガーの『存在と時間』が原書の方が分かりやすいこと、そして、エーリッヒ・フロムや小林秀雄、三島由紀夫など、大きな影響を受けた思想や文芸は、ほぼ全て加藤諦三から教わったことになる。いま考えると大きな存在でした。
浪人中は、日記を含めジャンル別読書感想や、自分分析を含めて七冊以上のノートを付けていた。そう考えると「書くこと」が結構好きかもしれません。修論の執筆中も、担当教官から出された課題の提出で「東さんは書くのが早いですねぇ」と言われたことがあったが、それは書くことが然程負担ではなかったから。


ちょっとあちこち野暮用で出歩いていましてフリーズしていました。

今年の但馬の雪は、然程でもなく三日ほど降り積もって今は解けています。でも曇天つづきは相変わらずで、昨日久方振りにお陽様が出たのを見計らって壁打ちに行ってきました。気温が低くて汗は出ませんが、気持ちのいい事には変わりありません。流石に筋肉痛が残ります;;。

雪が降ると運転も怖いので、どうしても4WDの軽トラに頼ります。MINIに限らず車は放って置くと調子悪くなるので隣町まで壁打ちを兼ねてドライブ。帰りに給油し燃費を測ったら、な何と18km/Lという低燃費。エコドライブを心掛けていますが、走りは抜群で、このデータは誇れるのでは。。

ということで、来月「銀座の金沢」に向けてのコラボ作品は着々と仕上がっていっています。初めての試みにしては、そこそこいい感じのものになりそうです。

先日、残雪を掻いていたら土が見えたので、もしやと凝視すると、縮こまっているオオイヌノフグリの花を見つけました。ほんの僅かですが春も近づいて来ているようです。

風邪などひかれませんよう!
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