Today's image index 2019
 10/10 アート&足利(2)
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常滑レポートとの13年
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謹賀新年


  Today's image index 2017
2017年を振り返って 
第8回 がっせぇアート展
「椀と碗・その景色」 
カズオ・イシグロ
長谷川泰子
 第三回金沢卯辰山工芸工房実践講座
 修士論文中間発表
アートへの関心 
「がっせぇアート」
地域資源とはⅡ
地域資源とは 
第二回金沢卯辰山工芸工房実践講座 
蓬莱紋合鹿椀
豪雪
新年
「浅川コレクション」は素晴らしかったが、市内にはこの7月にオープンした artspace& cafeがあり、今の9/29日まで市内の樺崎町にある知的障害者施設ルンビニー園の美術班のメンバーによる展覧会があった。
 期待通りの作品に出会えた。各地で催されるボーダレスアートは、最早そのレベルにバラツキはないのではないかと思わせる。但馬の「がっせいアート」然り。環境さえ整えば、知的障害のあるなしに関わらず優れた表現をするアーティストが一定数どこの地にも生まれるということ。極当たり前のことが、当たり前に社会の表に出るということは喜ばしい。
オーナーの岩本圭司さんは2011年~2017年、静岡県三島市にあった「大岡信ことば館」の館長を務めた経験を持つ。2018年の1年間は、足利市立美術館でも開催された、詩人・吉増剛造さんの展示会で展示デザインを担当していた。岩本さんは「足利市へ通ううち、『何か面白いことがしたい』と考えるようになり、協力してくれる人たちが現れてくれたので、今年5月に移住した」と話す。(足利経済新聞HPより)

今回の企画『ルンビニー園の8人』は、先立つこと数年前、栃木県那須郡那珂町にある知的障害者と呼ばれる方々の作品を常設する「もうひとつの美術館」での出会によるとのこと。ネットを検索してみると、その作品群はどれも素晴らしい。オーナーによると足利と那須との交換展もあるとのこと。「ルンビニー園」の方々の作品も素晴らしいが、「もうひとつの美術館」の収蔵作品(以下↓)も素晴らしい!
昨年、足利市立美術館で開催された「涯テノ詩聲(ハテノウタゴエ)詩人 吉増剛造展」の評判は聞いていたが、まさかこの地で、その展示デザインをしたご本人に出会えるとは幸運だし、人生捨てたもんじゃないなぁと。。何より、ボーダレスアートについて語れる方には、そう会えるものではないし、また彼らの表現に触れることで中原中也の「名辞以前」とのアナロジーに繋がる話も出来ることは、どこかで「どうせ口外できないテーマだな…」と諦めていた自分を取り戻し大袈裟じゃなく実存に触れ無意識で共振出来たような気がする。

そう、現代詩人・吉増剛造の話をしたのは十数年振り。銀座厨子屋さんにいらした若いスタッフの方が現代詩に造詣が深く(多分詩を書いていたと思います)彼女と交わした詩と文芸批評の話題は無茶苦茶面白かった。「日本の古本屋」という古書を扱うサイトがあることも彼女から教えて頂き重宝しています。お辞めになったことを聞いたときはショックでした。

「涯テノ詩聲(ハテノウタゴエ)詩人 吉増剛造展」(足利市立美術館HPより)
今週の12日土曜日 artspace & cafe で足利市美術館学芸員の篠原誠司写真展「ひかりのおと」のトークイベントがあり吉増剛造氏がいらっしゃる。今から楽しみで前売り券も購入した。折角なので吉増さんの著書を遅ればせながら目を通している。ご自分のことを「我が詩的自伝」のなかで受動的統合失調症と自認しておられるところにシンパシーをもった。御年80歳という年齢にも関わらず、というかこれだけ高名な詩人にもかかわらず2年以上かけて吉本隆明さんの詩集「日時計篇」と評論「マチウ書試論」を筆写しているというから凄い、それも二回目は片仮名表記で始めているとのこと。僕も触発されて「心的現象論序説」を筆写している。

繰り返し筆写するということで鮮烈に記憶している絵がある。僕が院のころ通った研究フィールド養父市大屋町の琴引の丘にある 知的障害者施設の川島さんの作品だ。九十歳近かった彼は文盲で且つ聾唖でもあった。「人」と「川島文字」を執拗に繰り返し書くこの絵も、言ってみればイメージの筆写とも言える。吉本さん曰く、手でもって繰り返し書くという行為で何が得られるか、あるいはそのことが何を意味するのかというと、それは「了解」だと。吉増さんにしても川島さんにしても、繰り返し書くことで自分あるいは世界を「濃く」感じようとしていたのだと思う。それは始原的な身体性をもって獲得できる確かな方法なのだろう。現に川島さんは、真っ白だった髪が「書き続ける」ことで黒髪に戻ったのだから。
 
 
作:川島 清一
 
表現とはひとつの疎外である…と言ったのは吉本さんだが、その意味で障害も ひとつの表現あるいは表現の亜種だと僕は思う。創造性を帯びた限りなくアーティスティックな表現に重なる(同じではないが)という意味で亜種だ。  
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