五霊神社縁起


*御祭神 天手力男命(あめのたじからおのみこと)

五霊神社創建の年代は明らかでありませんが、源義朝公(源頼朝の父)が沼間(逗子で一番古い地)の第宅の鎮守として勧請したものであると伝えられています。それは義朝公が下野守在任中のことであろうと推察されますので、恐らく今から八百余年の昔でありましょう。

因みに天手力男神は、天岩戸隠れのときに天岩戸の扉を開けて天照大神を引き出す役目で活躍した神として知られる。名前の通りに手の力(腕力)の象徴、つまり人間の筋力に宿る霊を神格化した神である。

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気に入ったコップやぐい吞み、そして、茶わんの95%は全て落として割ってしまったので手元にない。今日「ギャラリーもみの木」さんに紹介された「足利乾ギャラリー」にご挨拶に寄った際、徳田吉美さんという作家の茶わん(カップ)を求めた。色味が好いのと金線が気に入っている。

本当は今頃、銀座「石川画廊」と足利の「ギャラリーもみの木」で個展の予定だった。東京へのインバウンド99%減という今の状況では銀座は×。なので保留としている。「ギャラリーもみの木」さんは、もう高齢で僕の様な飛んでる?作品はモダンすぎて売る自信がないということで「足利乾ギャラリー」を紹介された。僕自身は、もみの木さんで個展をしたら好評なのは請け合うところだが、コロナもあって気落ちしているオーナーに無理強いするのも気の毒なので諦めた。
 
「足利乾ギャラリー」
 兵庫から足利へと拠点を移したものの、このコロナで、個展をはじめ従来の対面でのコミュニケーションは非常に難しい状況になった。とはいえ、地元にもしっかり根を下ろしたい。

「乾ギャラリー」さんに伺い、ご主人ともお話をしてみて、galleryの空間も含め、僕の今までやって来た表現スタイルとの親和性は高いと感じた。工芸の展開が、コロナ禍でなくても難しい状況は続くだろう。それはgalleryも作り手も同じ。

金沢クラフト特別講座でも繰り返し述べたが、それぞれの地域で制作をする立場としては、その立ち位置というか「何故金沢なのか」という基本的な問いは明確にしておかなければならない。それは、ここ足利でも同じ。
 
 「足利とは何か」ということを知るには、僕の場合、先ずその地の歴史というか縁起というか、沿革を押さえることが早道だと思っている。足利で江戸明治と活躍した絵師田崎早雲の遺した日記(古文書)を読むことも、歴史講座で文化財や遺跡の発掘資料を知ることもその一環。

足利に今「居る」ということは、自分で選んだということより、何かに導かれて来たといった方が当たっていると思う。それは自分の持つシックスセンスでもある。

逗子に住んでいた時、毎日のように通った五霊神社だが、この地が刀鍛冶の拠点だったこと。そして、この社に祀られているのが「天手力男命」であること。そして、現在僕の住む足利市小俣町は、嘗て土師と呼ばれる埴輪の製造拠点。県内で最多を誇る古墳の数1300基を確認する足利で、古代の埴輪や窯跡、製鉄跡が数多く遺る小俣に今自分が「居る」ということも必然という名の偶然「縁」になる。
 
 厳しい状況は当分続くけれども、「足利乾ギャラリー」さんを始め、地域のgalleryや行政も含めて協働していけたらと思う。「ギャラリーもみの木」さんでの個展が縁で、この地に移り住んだが、三十年以上前の「縁」も大事にしていきたい。

30年経った布着せ椀
30年程前に「もみの木」さんで個展をもった時にお求め頂いた椀が、そろそろ塗り替えの時期に来たので預かったものの、余りにも好い感じに使い込まれていたので、塗り替えはもったいないなぁと現物を記念に頂き、新規に椀を制作して交換とさせて頂いた。
30年前に根来を狙ったわけではないが(実は根来大好きです♪)時を経て、こんなにも良い風合いになるんだと自分ながら感心している。さすがに高台部が経年劣化で木地が出てきているので継続して使うのは気が引ける。ならばということで記念に頂いた。次の個展の際にお披露目したいと密かに目論んでいる。






この椀を作った頃のコンセプトは「漆芸とは何か」、「陶芸等他の素材との違いは何か」をしっかり強調すること......だった。

布を貼る(着せる)事の意味は、木胎の素材がネックとして持つ割れ等を避けるための補強工作になる。ただ、それだけでは勿体ないし能がない。そこで「貼る」という行為をデザイン化した。そして、当時は、「布着せ」ということを表に出す表現は、ほとんど見られなかった。それは、「錆仕上げ」、「錫研き」も同じで、今では特段珍しい表現にはなっていない。そして、ここまで普及したことには誇りを持っている。

次回は、「天気の子」、「鬼滅の刃」等アニメに触れられたらと思っています。

では、では。

新規に制作した布着せ椀
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