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快晴の土曜日。

ちょっと風邪気味ということもあって昼過ぎまで寝ていた(この時期免疫力を上げるには睡眠が一番)。このまま鬱屈とするのは不健康なので久し振りに一眼レフカメラをもって渡良瀬川堤まで....。

家族そろってサイクリング、ウォーキング、犬を連れて散歩と、いつもの土曜日とは比較にならないほど、人々は意識して野外に出てリラックスしようとしている(微笑ましい)
 渡良瀬川の川面は、春の日射しを細かく砕いて眩しく輝いている。いつもと何ら変わらず僕らを迎えてくれる。.......僕らの日常は大きく変わってしまったのに。

こういった時は、新型コロナウィルスの流行が収まった後のことを夢想することが大切だ。
 
ひとは、 アートが「illusion」によって成り立っていることを普段は意識しない・・・・というか、そう思っていない。いや、正しくは、僕らが見ている世界は、全てが「illusion」であると言える。「幻想=illusion」というと、何やら不確かなものと考えられて不可思議に感じられるが、僕らが「視る」世界も、網膜に映った「像」を「確かなもの」と了解する意識の構造化によるものだ。イメージも、知覚によらずに構成する illusion によって立ち上がってきたものである。
 
菜の花
春と赤ン坊

菜の花畑で眠っているのは……
菜の花畑で吹かれているのは……
赤ン坊ではないでしょうか?

いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑に眠っているのは、赤ン坊ですけど

走ってゆくのは、自転車々々々
向(むこ)うの道を、走ってゆくのは
薄桃色(うすももいろ)の、風を切って……

薄桃色の、風を切って
走ってゆくのは菜の花畑や空の白雲(しろくも)
――赤ン坊を畑に置いて
(作詩:中原中也)


 
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そう、「illusion 」とは、僕らにとって、かくも重要な営為になる。

コロナが長期化することが分かった今、全てを水に流してきた僕らの国日本は、多分、コロナが過ぎてしまえば、すっかり何もなかった様に日常を取り戻すのだろう。でも、出来れば今回のコロナ禍から、家族・地域・社会・国、そして世界がどうあったらいいのかを学んでいたい。そして、今僕らは、コロナが一時終息した後のバージョンアップした自分や社会を想起しよう。
昨日、ドラッグストアで風邪薬を買った。レジでポイントカードを要求されたので差し出したら、レジのスタッフが読取り機を指さす??「カードに触れたくないので、ご自分で操作してください」という意味。そう、この時期コロナリスクを避けたいと思った振る舞いなのだ。風邪薬の購入者が、確率的にコロナリスクが高いと判断するのは合理的だ。お店のスタッフの方々の不安軽減のため、これからは、風邪薬だけではなく、様々な商品をネットで購入しようと思う(こうすると宅配業者さんの負担が増えてしまうのですが...)。

この時期どうしても、マイナス思考になる。仕方がない。でも、繰り返すことのない大切な一瞬一瞬なので、出来ることならば成るべく前向きに過ごしたい。
 そう、この urushi-art.net も、今年で21年目になる。逗子から但馬に転居して、個展も開かなかったのでアクセス数も70%程に落ちた。ここに来て更新の頻度を上げているので閲覧してくださる方も増えつつある。そこで昨日、久し振りにアクセスログを解析してみた。

当たり前だが、しっかりと考えて書き込んだページ(「長谷川泰子 」etc)は過去のものでも閲覧者は多い。意外だったのは、アメリカ合衆国からのアクセスが多いこと。これは?なので Google でどの様に翻訳されているのかチェックすると......。
前々回のページの「僕は長男の様に茫洋としたなキャラではないので」というところを” I'm not a crazy character like my eldest son," と訳されていたので、これは拙いと、さっそく「穏やかなキャラ」に変えたところ " a gentle character " と訳された。
この時期、敢えて(意識して)ポジティブに物事を考えた方が良い。昨日も、あまりコンディションは良くなかったが、近くの公園にボールリフティングをしに出掛けた。本当は、我が家の裏の空き地でリフティングしたいのだが、必ず、話好きなお隣のご主人が話しかけてくるので、この時期は危険だし迷惑だ。

いつもなら、まあ70歳過ぎたのだから200回続けば良いんじゃないか.....と弱気でいたが、こういった考えって根拠がないなぁと自覚し、以前の様に楽しくリラックスして集中してやってみよう!と思い直したところ、何と610回以上続いた V (無意識に英訳した時のことを逆算して言葉を選んでいるのでちょっと変)

賢い方々は、既にお気付きだと思いますが、今回のコロナ禍の対応はロックダウンからコロナウィルスとの共生に移ってきているといえる。丁度、今週の VIDEONEWS.COM のテーマは.......

人類は新型コロナウイルスといかに共生すべきかを考える

山本太郎氏(長崎大学熱帯医学研究所教授)
  *マル激トーク・オン・ディマンド 第994回(2020年4月25日)

......一旦、危機的な状況を乗り越えた後は、いつまでもただ単に抑え込みを続けていればいいというわけにはいかない。抑え込みによる経済的な損害や精神的な負担も大きいことももちろんだが、同時に、医療崩壊を起こさない範囲でという条件付きながら、われわれはゆっくりと感染者を増やしていくことによって新型コロナウイルスに対する抗体を持った人口の割合を一定程度まで引き上げ、免疫の壁を作る必要がある。それができない限り、早期にワクチンの開発にでも成功しない限り、このウイルスは人類にとって常に現在と同じような脅威であり続けることになるからだ。

 『感染症と文明』などの著書があり、感染症の歴史に詳しい長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授は、望むと望まざるとにかかわらず、この地球上に新型コロナウイルスというものが登場してしまった以上、人類はそのウイルスと共存するための道を探っていくしないと語る。それと徹底的に戦い、最後にはそれを撲滅させるという手もあるではないかと思う向きもあるだろうが、そもそも撲滅させることは容易なことではないし、また必ずしもそれは得策ではないかもしれないと山本氏は指摘するのだ。

それはどういうことか。例えば人類は天然痘の撲滅に成功した。感染症を引き起こすウイルスで人類が完全に克服したのは、後にも先にも天然痘が最初で最後なので、これこそが人類の感染症医学の金字塔のように称賛されることが多い。また、確かにこれが大変な功績だったことも間違いない。しかし、天然痘のウイルスが撲滅したことによって、その後に生まれた人類は撲滅前に生まれた人類が持っている天然痘に対する抗体を持っていないことになる。もし、将来、撲滅したと思っていた天然痘が何らかの理由で復活したり、あるいはそれと似通った感染症が登場した時、どちらの人類が生き残るチャンスがより大きいか。そのような意味も含めて、人類にとってウイルスというものは、単に抑え込んだり撲滅すべき対象と受け止めるべきではないと山本氏は言うのだ。

 実際、人類にとってウイルスは、共存の方法を見つけるまではもっぱら恐ろしい存在だが、いざ共存の道を見つけることができれば、むしろ多様なウイルスや多様な感染症を抱えている状態の方が、そうしたものとは無縁の状態よりも、より安定していると考えることができるのだと山本氏は言う。

 これはスペイン人が新大陸に渡り、たった200人でアステカ帝国やインカ帝国を滅亡に追い込むことができたのは、ユーラシアには数多くの感染症があり、スペイン人はその抗体を持っていたが、北極圏の氷に阻まれてユーラシア方面からウイルスが入ってこなかった新大陸はいわば無菌状態にあったため、スペイン人が無自覚に持ち込んできた数々のウイルス感染症によって抗体を持たない新大陸の人々が一網打尽にされてしまったものと考えられていると山本氏は言う。

 
 僕は夢想する.....
現在、コロナに罹ってしまった人々は、初期のエイズ患者やハンセン病患者のように忌避されているが、ある程度の終息後、こういった抗体を持った人々は、首都圏、地方を問わず、心強い労働力として奪い合いになるのではないか。。医療機関は、罹患の有無の証明書すら発行する事態になるかもしれない....。

どの道今回のコロナ禍は、何度かの小さな終息を繰り返しながら常態化に向かうのだろう。となると、僕らの社会は、それに合わせて、その都度、停滞した経済活動を再開させるという厄介な対応策をとるしかない。

 
山本太郎教授が仰るように、ペストがなかったなら科学の進展(ルネサンス)は相当遅れていただろうし、何れ獲得するだろう高度なテクノロジーも、現在の様に利用できてはいなかったはずだ。中世の人々は、神の贖罪と解釈するしかなかったがゆえに、対ペストに無力だった教会は、その威信を失墜させ、その時点で、現在の近代国家の萌芽を生んだ・・・・高々ひとつのウィルスが、世界の歴史を一変させてしまうと解釈する山本教授の弁は、僕らに多くの学びを残してくれている。

今回のコロナ禍が、ペストがそうであったように、次に来るべき社会の時間軸を早めるよう背中を押した.....

恐らく、今回のコロナ禍も、その影響が甚大なるが故、人類にとって大きな気付きを残すだろう。何れ人類もこの宇宙から居なくなる日が来る。その日までは、すべての生き物に配慮しつつ、人類の可能性を最大化するよう尽力したいものだ。 
 
コロナ禍の進展も早く、今日27日(月) 朝、イギリスでは、新型コロナウィルスの抗体を持った罹患者に向けた証明書の発行を検討しているという。全てに日本は遅れている。さらに、 WHO は、抗体を持たものも(生まれつき or 罹患者)免疫をもつとは限らないということ。恐らく、そういった事例を確認しているのだろう。今回のコロナは、僕らのポジティブな夢も打ち砕く、まったく厄介で手強い感染症だ。僕らは、いろいろな意味で試されている。