唐招提寺 |
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長引く風邪の完治を待っていられず、概ね良好ということで、先週暖かな清水と奈良斑鳩に行ってきました。思えば但馬に移ってから仕事以外に他県に行ったことがなかった。まぁ半分以上が学生だったので仕方がなかったのですが、そういった気分にもなれなかったというのが本当のところです。 最近気づいたことですが、歳をとったら成るべく楽しいことをするようにモードを変えないと、毎日が暗くなる一方です。そのことは極めて自然なことで、日頃の生活面でも、以前何でもなかったことが強く意識しないと満足にできないということに沢山出っくわすのです。そのことにばかり拘ると落ちるばかりです。 大分以前から気づいていましたが、特に先輩の女性たちの振る舞いを見ていて「こりゃぁ見習わなければ先は暗いぞ」と、そう思います。楽しい生き方が、無茶苦茶上手です。そう意味なく上手なのです。ここが大事です。 |
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薬師寺金堂 |
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さて10年振りの斑鳩です。何故だか「帰ってきた」といった心持ちです。最初に訪れたのは中学校の修学旅行ですから五十年以上前になります、って驚きですねぇ。なので、薬師寺金堂や東塔なども改修前のきんきら☆きんじゃなかった頃を知っています(以下↓)。時間の厚みが刷り込まれていて断然いいです。でも、改修しなければ虫食いや経年劣化で、倒壊は免れないので仕方がないことですが。。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
薬師寺を訪れていつもおもうことがあります。それは、この寺が国宝に指定されていることもあって自前の修理工房をもっていること。「あぁー❝14歳のハローワーク❞を十代の頃に読めていたら、ここの門を叩いて入門していたのになぁ」です。そうしたら安定した生活をしながら宮大工を誇りを持ってやれたのに.....。お金のことを考えずに工作が出来るなんて、こんな幸せなことはありません。ただ・・・自分は、クリエイティブな創作性がないと続かないだろうから、結局今の状況しかないのかなぁとも感じます。もちろん、今の自分とその仕事には誇りを持っていますが。。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
薬師寺修理工房(お隣に見えるのが東塔の修復棟) |
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鎌倉彫の修行当時、一番ハマっていたのが薬師三尊。このブロンズ像がもつ質感と色味が何とも言えずに魅了するわけだが、よくよく資料に目を通すと、この薬師寺金堂が焼けた際、像がブロンズ製だったため消失は免れたが全面金箔で覆われていた故、その箔が本胎に焼き付けられ得も言われぬ質感を生んだとあった。 セピア色のようなその色味は、漆でいうと「うるみ」に近く、黒い呂色漆に朱を混ぜることで調合できる。 |
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僕はこの世界に入ったのが遅く、25歳の9月という半端な時期に鎌倉彫宗家「博古堂」に入門した。一週間早く入った先輩というか同僚が高校を中退して入門してきたので僕より十歳ほど若かったはず。他にも年齢の近い先輩や同僚が7~8人程いたので遅れて入った僕は相当な気合を入れて毎日仕事に励んでいたと思う。その二ヶ月後の11月には、業界の創作展がありたったの三ヶ月足らずで出品した。その時の作品(処女作)が「琴爪入れ」以下↓になります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
いろいろ引かれて手元に残る給料は二万程だったので、若い頃に放蕩を尽くした材木座の爺さんが、たまに売りに来る木場で仕入れた(=多分貰ってきた)銘木の端材を安く買い、それで小物を作った。この爪入れも楓で不定形だったが質はよく、シコシコ粘りがある目の詰んだ銘木だった。 一心不乱に工作をしているのを感心したのか親父(=社長)が寄ってきて「君は本当に物を作るのが好きなんだなぁ」と声をかけていった。「あんたは嫌いなのか?」と正直思ったが、社長は家督を継ぐために養子に入った身だったので、まっ、それを言っちゃおしめーよですね。 という流れで、11月の創作展ではあっさり受賞しました。漆の技術はからっきし無かったのでセピア色に着色し、その上から摺漆で薬師三尊のあの肌合いを必死で出しました。実はこのフォルム、当時才能ある先輩がエロチックな壁面彫刻を作っていて(女性の局所を抽象化したもの)その先輩の影響を受けたものです。と言っても分からないと思いますが、ギリシャ彫刻「キレネのアフロディティ」の恥骨からそのインスピレーションを受けています。 あの美しい彫像の画像が、ネットを検索しても全くヒットしないとは残念でなりません。ミロのビーナスより遥かにパーフェクトな女性美でした。息子二人の教科書に目を通したことがありますが、今の美術教育ってほぼ現代美術だけのようで無理からぬことかなぁと。。 |
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薬師三尊台座 |
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上↑ の画像は、薬師三尊の台座です。修行当時、ここに描かれた遠くペルシャの香りのする葡萄柄はテキストになっていました。残念ながら仕事で彫ることはありませんでしたが。。 薬師寺には、この他世界で最も美しいブロンズ像とされる「聖観音立像」があります。今回は雲行きが怪しくなってきたので先を急ぎ過ぎ、受付の方に「東院堂行かれました?」と声を掛けられ「あっ」とうっかり忘れるところでした。唐招提寺のように解説用のアプリがあったらいいのになぁと。時代は確実に便利になっています。 |
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斑鳩に足を踏み入れると、そこはもう修行当時の題材そのものです。工房にあった美術全集を食い入るように視ていたのですが、その形相が尋常じゃなかったのでしょう、ある日親父(社長)は、その全集を自宅に持ち帰ってしまいました;;けちっ!と思いましたが、穴が開くのじゃ・・・というくらい四六時中凝視していたので無理もありませんね、補足や備考欄までも隈なく目を通していましたから。。 さて、雨も降り始めましたので、無意識のレベルでは一つ格が上の法隆寺に急ぎました。 |
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法隆寺回廊 |
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そう、ここに来ると百済観音像や玉虫厨子に出会えるのです。門外不出の百済観音が、数年前パリで公開されたとき、会場ではあちこちで溜め息が漏れたと伝えられましたが納得です。 この年になると、白鳳や飛鳥が若い頃のような遥か遠い昔には映らず、ほんの僅か前の時代に感じます。当時も極東のこのちっぽけな国が、必死で最先端の文化を外から取り入れようとしていたことは今と変わらない。でも、何となく当時と比べて精神の気高さというか品格というか、その精神の質とでも言ったらいいのでしょうか、そういったものが劣化しているように感じてなりません。過去を美化したいといった無意識も働いているのだとも思うのですが。。 実は、その白鳳に僕の理想とする女性の顔立ちをもった観音像があるのでした。それは以下↓。小学校低学年のときの同級生が原イメージです。名前は忘れました。高校時代、偶然車中で僕の目の前の席に据わっていたことがありました。昔とちっとも変わらない姿で。声を掛けられませんでしたね。大体僕がこの人は美人だなぁと思う女性は、何故だか洋の東西を問わず大抵一重瞼です(若くに亡くなったモネの奥さんも然り)。 どうでもいい話でした。斑鳩は、色んな意味での原イメージの眠っているところということになります。 |
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明日香・斑鳩を語り始めると、もうスペースがいくらあっても足りません。薬師三尊の背面の内側に鋳造された当時の工人の名が、朝鮮半島から渡ってきた高貴な渡来人であったこと。つまりこの時代の文化をプロデュースした人達の中心に日本人ではない半島からの人達が大きく関わっていたということ等。 こういった言い方をすると、嫌韓ブームを支えるネトウヨから「お前は在日か!」と突っ込まれそうですが、僕は在日ではありません。よく疑われるのです、トップページに English と並んでkorean の訳もリンクしているので。その訳は、だいぶ以前に『奈良(nara)』という発音が朝鮮語の国=nara =祖国から来ていると、このurushi-art.netで触れたところ、一週間で何万件というアクセスが韓国からあったことがサバーの履歴から分かったので、ならばと、それからはサーバーの履歴のリソースをそのまま貼り付けてkorean の訳としているというのが本当のところです。結構詮索されますが、強いて「在日ではありません」と断ることも朝鮮の方々に失礼なので放っています。 |
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僕の新しい愛車 MINI CLUBMAN |
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師走も押し迫った年の暮れに愛車 MINI での遠出は最高に楽しかったです。こちらに移った頃は、逗子にいたころから乗っていた CLASSIC MINI
でしたが、ここ雪国では冬、ヒーターが効かずウィンドウが曇って前が見えず危険なので泣く泣く手放しました。そして、新しい MINI は、全くの別物で、デザインも含め古い車が好きだった僕の車のイメージを根底から変えました。フロントガラスにあたった雨滴を感じてワイパーが作動したり、カーブの曲線に合わせて後輪を振らせないよう走行する
DSC 。雪道や深雪の中走り固められた雪道の上を安全に走行する DTC システムなど全てコンピュータ制御でコントロールされています。 そう、一昨年の師走(修論執筆中)に僕は生まれて初めて雪道の峠の下りでスリップ事故を起こしました(自損事故でした)。奇跡的に過擦り傷ひとつなかったのですが愛車のミラジーノは大破。車検を通し証書を待つばかりだったのに全損でした。2日前にキャンパスに街灯がなかったことで事故り左足を骨折していたというのもあったかも知れません。でも、今のMINIだったら先ず事故はなかったと思います。 |
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VW TYPE Ⅱ |
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昔好きだった愛車 VW TYPE Ⅱは、整備を含め全て車のことは自分で管理しなさい・・・というドイツならではの思想が底流に流れていました。なので僕は20年間、身体を壊すまでユーザー車検を続けました。惚れるということはそういうことだと思います。 デザインとは思想です。表層の美意識ではありません。僕が MINI が好きなのもそこです。今の車はみな、ヘッドライトも目がヒステリックに釣り合っがっていて時代を象徴しています。そんな車に乗りたくはありません。 CLASSIC MINI は、カタログでは9.8km/Lの燃費のところ、僕は 14km/L の走りでした。これも整備のなせる技。今度の MINI は、カタログ 14.8km/L のところ17.5km/L 走ります。これ自慢です。 あっ、斑鳩の話から遠~く愛車遍歴になってしまいました。僕にとって車とは・・・恋人であり思想でもあります。ちょっと気持ちの中で遠かった奈良も、安全基準が格段に上がった愛車だとこんなにも近いのかと意外でした。たかが車ですが、僕にとって毎日を一変させる道具でもあります。仕事も楽しくてしょうがありません。今年は2月3月、そして6月と銀座での展覧会・個展が目白押しです。今から楽しみでもあります。 ということで年を跨いでしまいました。今年一年が皆様にとって良い年でありますよう! では、では。 |