『ヨブ記』
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但馬の頃、よく『エホバの証人』の方が訪ねてみえた。仕事がたて込んでいるときはお断りしたが、大方お話はよく聞いていた。大体が僕の聖書解釈に屈服して「この次まで勉強してきます!」と言って帰られるのが常だった。ご夫婦でみえられることも多かったように思う。とてもいい方だった。

以前200篇ほど youtubu で繰り返し聴いたテレフォン人生相談の加藤諦三早大名誉教授が言っていたが、「目に見えないものを信じれる人は強い」。正にクリスチャンの方々はそういった風だ。話し込んだ後味も決して悪くない。まっ、僕自身高校へ行かずに牧師になる!といって親を泣かせたこともあったりして、今でもキリスト教に限らず、宗教全般には関心を持っていることもあるのですが。
 
ここ最近では、『ヨブ記』や『ヨハネの黙示録』が気に掛かり youtubu 等で講義を仕事をしながら聴いている。というのも、「吉本隆明講演183」の中にこの題目があり、とても興味深い内容であることを知った事が大きい。また、183講演の中でも深く鋭い質疑応答になるのは宗教関係、特にキリスト教に関係する団体から招かれた講演であることが際立つ。これは注目に値すると思う。

一応日本は仏教国ということになっているが、吉本さんも仏教界から招かれて「親鸞」や「良寛」に関しての講演も多いが、質疑応答の際の受講者からの質問は、さして深くなく、キリスト教のそれと比べると劣ることが多い。恐らくその訳は、吉本さん曰く「聖書には嫌な事ばっかり書いてある」..... つまり、解決の難しい「人類が最後まで残すだろう問題」の物語がそこには記されているという意味だろう。
さて『ヨブ記』だが、その内容は概略以下↓になる。

ヨブは神を恐れ悪を避けた義なる男でした。彼は神の祝福を多く授かりました。彼には膨大な所有物があっただけでなく、立派な子供たちもいました。しかし、彼が年老いた時、神はサタンがヨブを攻撃することをお許しになられたのです。サタンはヨブの所有物全てと子供たちを奪い、その後、ヨブの体に対しても容赦なしに足の裏から頭のてっぺんまでを腫物で覆い尽くしてしまったのです(聖書の部屋HPより)

簡単に言うと『ヨブ記』は「正しい人に悪いことが起き、何も悪いことをしていないのに苦しまねばならない」というテーマを扱った文献となる。僕らの身近な事例でいうと「3.11 東日本大震災」の際被災された多くの方々は善人で、何ら悪行を働いたこともなく真面目に生きていらっしゃった方々だった。にもかかわらず「何故.....」という問は関係者の方々は皆抱いたはず。
 これは癌を宣告された人が持つ心境と同じで、何故私が.....といった怒りを含む不本意な問を惹起させる。

クリスチャンは「神の試練」といった理解になるが、僕ら日本人は全く受け入れられない。何なんだよ、その試練って!ってなる。了解できないのだ。
 ところがである、吉本さんは、こう説明する....キリスト教圏で「神」といわれているのは、アジアでいうと、それは「自然」と同義であり、僕ら日本人もどんなに大きな災害であろうとも、それが自然の驚異ならば仕方がないこととして時間を経てやがて諦める....と。加えて「私だけに起きたことじゃない」といった言い訳もたつ。
 ただ、これが身の回りで起きた事件・事故となると事情が違ってくる。「何故」の了解が難しくなるのだ。何でこの自分が、この私が....となる。
 
   
 そう、『ヨブ記』を気になると言っておられたご近所の方は、僕と同じ男やもめで歳も二つほど上の同世代。副自治会長をしておられ、顔を合わせると「今度一杯やりましょう」と誘ってくれる気のいい方だ。『ヨブ記』が気になられるということだから、いろいろあった方なのは察しが付くが、いろいろどころじゃなく結構辛い思いをなさっていたことを、先日自治会長から伺った。

三年ほど前に、奥様が自治会費を会長のお宅まで自転車で届ける際、僕の家の前に通る旧街道で轢き逃げにあって一年の入院後に亡くなったと聞かされた。なるほど『ヨブ記』が気になる訳に合点がいった。そんなこと了解できるはずがない。先日、これでもか!っていうカレーをつくって届けた。翌朝ニコニコ顔で「とっても旨かった~」とタッパを返しに見えられた。僕としては味には自信があったのでニンマリだ。

ひとが自然で無理なく幸せな気持ちになれるのは、美味しいものを頂いたとき。これ基本です

『ヨブ記』。この物語と寄り添って生きてゆくということが「自然」ということなのかも知れません。辛いなぁ。。
 

赤城連山
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