足利 花火
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今日、渡良瀬川で季節外れの花火があげられた。

丁度、足利市立美術館のミュージアムショップのスタッフの方とお話していたら、今夕、田中橋の辺りで花火がうち上げれられると教えて下さった。以前は、除夜の鐘と同時に打ち上げられたそうで、でも近年は苦情が出てクリスマスになり、それもまた苦情が出て21日という半端な日になったという。ここ足利でも地域のまとまりは難しくなってきているんだろう。。

とはいえ、galleryとか美術館がもつ意味は思いの外大きいので、市民が支えないとある日なくなっていた.....ということもよくある話だ。 
 
逗子に住んでいた頃、市内に一軒だけgallery(たしか「リビングギャラリー・バーン」だったと思う)があった。この小さなgalleryがあるだけで、お隣にお洒落な子供服のお店が立ち、玩具屋が立ち、ケーキ屋さんが立ち......という風に、その区画がひとつの文化ゾーンになっていった。それをみてスズキヤバスケットという高級マーケットが進出してきた......

ところがである。そのgalleryのオーナーが葉山に持っていたレストランの運営に失敗し、やむなく gallery を閉め跡地は薬屋に転売された。結果どうなったのかというと、子供服屋が店を閉め、つづいてケーキ屋が.......という風に連鎖し、結局、相当資本を注ぎ込んで建てられた高級マーケットも撤退し、あとには¥98とか¥980とかの値札がチカチカ目に入る薬屋が残るだけの、どこにでもある風景になってしまった。

足利市立美術館
事程左様に、galleryとか美術館は、商業利益としてお金を落として地域に貢献するといった存在ではないが、社会の「あそび」として機能し、地域全体の文化的香りを醸し出し、いわば社会のビタミンとしての役割をもつ。なので、僕は気に入ったgallery( artspace & càfe )には、歴史講座や上智大学との提携講座(今年は宗教・文学・思想)のついでに出来れば週一で顔を出すようにしているし、美術館も企画が入れ替われば必ず行くようにしている(.....でないと潰れてしまう)

30年以上前にお世話になった(三度ほど個展をもった)「ギャラリーもみの木」さんも健在で、先日も親指の手術の報告を兼ね寄らせて頂いた。お話の最中に僕のHPにあったコメントを目ざとくみつけ「古文書教室なら知り合いがやっているわよ」ということで、高校の頃の親友という方に速攻連絡をとって下さり、足利で最も歴史に詳しいという先生をご紹介頂いた。galleryの役割って、こういったものなのです。

足利市立美術館 ミュージアムショップ&カフェ
先日、美術館のミュージアムショップ&カフェの運営母体(=美術館友の会)の理事長という方とお話する機会があった。美術館やショップの運営の難しさは充分に承知していたので、話の内容は直ぐに核心に触れるところとなった。可成り話し込んだところで「運営側に入って是非新しい風を入れて欲しい」とお誘いを受けた。

片方だけのお話だと偏るので、美術館の運営母体は市、それも文化課なので、さっそく担当課に連絡をとって予算等、今後の構想も含めてリサーチし、いくつかの課題もみえた。
 
 
足利市立美術館 ミュージアムショップ&カフェ
 
大学院では三年間「芸術祭」の研究を深めたが、入る前に数十の論文は読んでいた。入学後に読み込んだ論文や著書は200近かったはず。なので、公私を問わず美術館の抱える課題はある程度掌握している。
 そもそも数十年前、国の財政が先々厳しいということに漸く気付き、ならばと目立った利潤を生まない博物館や美術館を始め、地味な研究機関を国は独立行政法人化し自主運営を強いた。

確かに、天下り先とも思える機関も多くあったので、そういった怪しげな組織を一掃するには効果があった。しかし、元々博物館や美術館の運営に市場原理を持ち込み、高い収益性を求めても土台無理。対抗策として、これは象徴的な成功例になるが、東京都現代美術館のように毎年「スタジオジブリ展」をやって老若男女問わず集客し数字を上げるという振る舞いをみて、どこの館もアニメオンパレードとなるのは仕方がないことだがちょっと寂しい。
 
   
 足利市立美術館は、昨日まで「安野光雅展」が開催されていて期待通りの集客だったようで関係者はホッと一息付けたように思う。年間を通して四本の企画展の内三本は、大手の新聞社等が企画したものを巡回展と称してある意味「のる」訳だが、僕らとしては今回の様に内容が良ければ何ら問題はない。
足利市立美術館の企画のレベルが高いことは工芸評論家の友人から聞いて知っていた。そもそも企画に3000万、維持管理に4500万、計7500万の予算が組まれていること自体この時期立派なものだ。25年間ある水準を保って維持してきたことも評価に値する。当たり前だが、課題もある。それは全国共通。
 
   
地域に限らず様々な組織で新しい風を入れてきた。逗子でも但馬でも、そして、所属したサッカークラブでも地域のサッカー協会でも。ここ足利でもそのスタンスはまったく変わらない。この地に移り住んで未だ半年しかたっていないが、先週自治会長からオブザーバーとして総会に出て欲しいとお誘いを受け、防災の日役の際気付いたことをレジメにまとめて手渡した。前向きな提案に会長は喜んでいたはずだ。

三十年以上前、「漆工芸家なのにテニスですか??」とよく言われた。世間のイメージだと、裸電球の下で暗い顔をして夜なべをするのが工芸家のあるべき姿なのだろう。糞くらえ!だ。職人は仕事以外のことは考えず、来る日も来る日も一心不乱に仕事に打ち込む.....何てことを言っているから美大の工芸科が定員割れするのだ。生活は厳しいは、仕事には縛られるは、多分結婚すらおぼつかないは・・・。これじゃ地域に根付くどころか孤独死に向かってまっしぐら。
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「小俣板碑」.... 県内で一番古い板碑
 人間らしく生きるということの中身は、ヨーロッパ並みとはいかないまでも、自分の住む地域に関心を持って汗をかく労を惜しまないこと、そう決めている。仕事優先で休みもとらず個展準備をしていた頃は、それを格好いいと信じて疑わなかったが、それが僕の所属する尊い伝統工芸であろうとなかろうと、今は何かを犠牲にしなければ回らない仕事は有ってはならない不幸な業態だと考えるようになった。

歳もあるのだろう。それで成立しない関係ならば、それはそれで仕方がないことだ。個展という有り様も何だか時代に応えられていないように思えてならない。そろそろ、ここにも新しい風を入れなければならない状況が整ってきたように思う。
 
小俣板碑「いわん堂」