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この六月の第三回厨子展が迫ってきた。

厨子屋さん(本社は会津若松の ALTE MEISTER)とは2005年からのご縁で15年のお付き合いになる。あっという間だった。縁結びは何時ものように山田節子さん。
 当初、本社の方でも厨子の位置は低かった様に思う。15年経って世の中は大きく変わり「送る=(送葬)」の意味も、その内容ばかりでなく「型」も変わった。

今では、家具調仏壇も珍しくなくなったが、僕自身は、当時も今も「死」を排除しているようで好きになれない。つい「厨子は、白物家電じゃありません!」と言いたくなる。逆に言って、縄文の人々のように死を日常の風景に溶け込ますということなら良いと思う。実際は、死を存在しないかのように振る舞っているだけに見える。
今回の厨子展のコンセプトを整理してみた。

継続して流れている考え方は、成るべく良い意味での俗っぽさはなくしたくないなぁということ。違った言い方をすると、普段の生活には、ケとしての振る舞いを、そして亡き人との交信では、ハレとしての振る舞いが出来るようなものであったらと思う。

加えて、僕らの存在が<点>で終わるのではなく、僕らが生まれるずっ~と前から、死後を含め、ずっ~と先まで<続く>ということを繋げる器物でありたいと思う。
デザインは、何十年振りになる蝶紋(修行当時の考案です)を凹の彫りで表現したものから手掛けてみた。

マイナス(-)の空間、あるいは虚の空間は、凸の出っ張った彫りとは違った見え方がする。人の眼は、平滑な面を基準として、そことの関係で凹凸の違いを判定する。条件に寄っては凹の方が強く感ずるということもあり、その配し方次第で空間の演出(表現)の妙が立ち現れる。
 
4月4日 
こういった見方は、いわゆるデジタルな見方ということになるが、行き成りこういう風に見ているかというとそうではない。中抜きと言うか、大前提があってそこを踏まえての凹凸視座になる。その大前提とは何かと言うと、一番始めにアナログでのデザイン構成という段階がある。

先ず、全体を見渡してのバランスと言うか、敢えて「空間の偏り」をつけるところから始める。この辺は、日本的と言うかシンメトリーに構成しようと進めることはない。何処かに重心と言うか軸になる箇所を設定し、その後碁を打つように花紋や蝶などの要素を入れ込んでゆく。

このことで空間がざわめくと言うか活性化する様に思う。
 
そう、今回使う蝶紋や放射状の花紋と酢漿草紋は、僕が鎌倉彫宗家博古堂に入門した翌年か翌々年の創作展に出品して受賞した盆に盛り込んだ意匠だ。この作品は、後日盗まれてしまい今は手元にない(誰が盗ったのか分かってはいるのですが…)。思い起こすと、椿梅椀をはじめ中也詩椀など結構作品を盗まれていて作家冥利に尽きるかな;;

この意匠を生み出すにあたっての原図案は、先輩が彫っていた博古堂の古典意匠(ナンテンと鳥)からインスピレーションを得ている。当時も多分今も余り注目されていないのでは。。その意匠の刀法が凹(-)で全面呂色(上等な黒漆)で仕上げられる地味だが何ともシックで品のある皿だった。
 
こんなことを四十年も繰り返してきた訳ですが、毎回新しい発見があって感心する。今回は、花紋の刀法が今までになくふくよかに仕上げられている様に思う。今まで、どうしてこうしなかったんだろうかとも思うのだが、人っていくつになっても成長できるもんなんだなぁとも思うし、気付くところまで来ないと気付けないことでもあるのかなと。。

今回は、いつになく砥石やら彫刻刀やら、今まであまり気にかけてこなかった、でも僕の生業を支えて来てくれた大切な道具を改めてメンテナンスした。名倉砥(仕上げ用の砥石の表面をを整え、砥をスムースにする研ぎ汁を出す砥石)の購入は40年振りになる。世の中変わって名倉砥も人工砥石が大半になっていた。そして、研ぎ汁もよく出て具合がいい。

砥石と言えばここ但馬は鉱山で名高い。テニス仲間の一人が言っていたのだが、昔は良い砥石が地元で取れたそうな。今でも埋蔵はしているようだが摂る人がいない。お隣は京都の綾部市には有名な砥石の鉱脈があり、ほそぼそと家業としている方がお一人いることをTVで知った。でも刀鍛冶でもない限り人工砥石で十分なのだ。
 
此の歳になって、漸く仕事の段取りや手順など、当たり前の環境づくりに多少目が届くようになってきた。ベテランの職人さんのように。。
 
「蝶紋彫厨子B」
 
 鎌倉彫宗家博古堂彫刻部に入門して四十年、彫りをしているとどういう訳か心が落ち着く。そして、この仕事に就けたことの運命と幸運さを素直に感謝する日々だ。