SAVOIR VIVRE 宮坂オーナー 1997年 Spring
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この秋のSAVOIR VIVREでの個展のことに触れていたところですが、そんな矢先SAVOIR VIVREオーナーの宮坂一郎氏が亡くなったという一方が届いた。享年72歳。

大分以前から持病の心臓を患っていたことは知っていました。僕が逗子に住んでいた頃、僕は不整脈、宮坂さんは痛風とかで葉山ハートセンターにそろってお世話になっていたことがありました。

上の画像は、1997年春、僕が中判カメラに凝っていた頃、確か写真家で料理もなさる方の個展会場だったと思います。会場いっぱいに桜がディスプレーされてとても華やいだ空間でした。

この一枚だけです宮阪さんの写真は。未だ若く持病が出る前でしたのでふっくらとしていますね。

SAVOIR VIVREへの道 「永坂」 2010年春
結局、大阪震度6弱の地震で、山陰本線、特急、新幹線がストップし通夜も告別式にも参列できませんでした。天災は、どうしようもないことですが今でも残念に思います。

親父が亡くなった時にも「落ちる」ことはなかったのですが、今回は風邪の勢もあって二日間寝込みました。自分でも意外でした。

宮坂さんとは、本当によく喧嘩しました。というより喧嘩のできる仲だったということでしょうか。その内容は100%これからの工芸がどうあったらいいのか、あるいは、これからのSAVOIR VIVREはどいった方向性をもてばいいのか…といった極めて真面目な❝”工芸界の今後❞に関して正面からぶつかってのことでした。
 SAVOIR VIVREとのお付き合いは35年以上経つわけですが、前期・中期・後期と分けますと、前期でのケンカ?は、主に抽象的な工芸観だったように記憶しています。僕は、工芸の現場に現代美術を併存させていましたので、そこに突っ込みを入れていたのが宮坂オーナーで、面白がってくれたのが外山店長でした。でも、僕は渋谷から六本木に移って、当時最も「ナウイ」環境で作品を発表できたので、思いの丈すべてを表現へと表出でき、自由に伸び伸びと作品を作ることができとても幸運でした(それは今でも変わりません)

六本木ヒルズ(永坂からの眺望)
 中期のケンカは、バブル真っ盛りだったので、主に納期に関しての突っ込みだったでしょうか。今では考えられませんが、SAVOIR VIVREからのオーダーは、全て買い取りでした。

当時は気付いていなかったのですが(最近ようやく気付きました…遅い!)僕は、相当作品作りに関して拘りを持っていて、どうしても自分の納得のいくまで作品を煮詰めたり、手を掛けたりするので納期とかを、まるなかったことの様に振る舞うのでした。それは、ほとんど今も変わりません;;困ったものです。

宮坂さんは、そういう意味では常識人でしたから「納期」は守るべきものという常識を疑わないというか社会人としての当たり前の振る舞いを要求してきました(当然です)。でも、僕は、基本経済効率や等価交換として作品を作っている訳ではないので(たぶん)気に入るまで手を掛けるのは自分の中で常識なのです。当然、社会規範としての常識と、作家個人としての常識、というか誠実さの次元の違いでしょうか、そこがまるで違うのです。

外山店長は、ものを作るタイプの人間は、そういった社会常識から外れたところ(疎外されたところ)で生きていることを理解されているので、作家と宮坂さんの間に入って塩梅して下さっていたと思います。それがあったお陰でケンカ後も、お互いの関係が壊れずに今日まで来ていると思います。

AXIS ビル裏手
後期はバブル崩壊後で、galleryという業態に限らず、日本全体が歴史上初めて巨大な経済的ダメージを受けた特別な時期と重なります。

六本木というところの特殊性は、いわゆる実業と虚業の隙間(矛盾)を埋める業態というか、広告などの様に実業と虚業の周辺で回っている事業所が多いところなので、日本の経済状況が悪くなると最初にカットされ一気に経済が縮小する‟場所”でもあります。当然、SAVOIR VIVREもバブル崩壊の余波を受け、同じAXISビル にあった西洋骨董の店に鞍替えして凌いだ時期もありました。

その後、 AXIS の3Fにあったイタリアン・レストラン撤退後の大きなスペースに、今では当たり前になった古民家の梁を再利用した、外見はモダン内装は古風といった時系列を錯綜させることで異空間(異化効果)を演出するgallery and shop として再出発しました。

食と器が、それぞれ分かれて商いするのが当たり前だった時代に、日本で最初(たぶん世界で最初)に洋風懐石の店「Kisso=吉左右」で使われる器を、隣のショップで売られているというスタイルを生み出したのもSAVOIR VIVREが先駆けだったと思います。その後、同じ様なスタイルの店は全国に乱立しましたが、今ではほぼ一掃されました。
 
AXIS  LE GARAGE
(いつも、お洒落なビンテージカーのディスプレーがあります)
 暫くして六本木ヒルズが生まれ、六本木の文化・商業の中心地は AXIS からそちらへ移っていきました。でも、 AXIS は今もってモダーンな空間を演出していると思います。そして、時代はインターネットというメディアを生み、それまでとは全く違った世界が展開し始めます。

SAVOIR VIVREは、今でも現代工芸の実用的な器を扱うgallery ではモダーンさを失っていないと思います。そのSAVOIR VIVREは、十年ちょっと前に未だ official web site をもっていませんでした。これは、僕のなかでのSAVOIR VIVREのイメージとは大きく乖離するもので、事あるごとに宮坂オーナーには、早急にスタッフの皆さんとタッグを組んでHPの運営するべきだと意見具申していました。

その辺のことは、ご本人も十分承知していて、こっそり HTML でのHP構築をしていた様ですが、一番痛いところを突かれるのはあまり愉快なことではなくプライドも傷つきます。ここでぶつかりました。
  
2010年春 SAVOIR VIVRE
歴代のSAVOIR VIVREのスタッフの方々は、皆さん良い方々ばかりで、HPの構築の提案の際も、とても協力的でした。思い返すと結構しんどかった時期だったので、巻き込んでしまい申し訳なかったなぁとちょっぴり苦い思い出になっています。
 結局、僕の紹介したウェブデザイナーによってHPは立ち上がり、当初懐疑的だった宮坂オーナーのオンラインストアも順調に展開し今に至っています。

当時の僕は、自分でもHPを運営していたこともあって、インターネットの可能性を肌で感じていました。そして、地価の高い東京でのgalleryやshopの運営は難しくなるので、それに代わってネットでの販売が広がるものと予感していましたが、今では予想を超えたものとなっています。宮坂さんとのケンカ?も無駄ではなかったなぁと、今では懐かしい思い出になっています。

宮坂さんとのことは、どういう訳か僕の場合、順調だった頃よりバブル崩後のしんどかった頃の方が印象深く残っています。そして、僕自身、そこに誇りを持っていますが、次の機会は、バブル崩壊前の大盤振る舞いの、今では信じられない頃の楽しいお話が出来たらと思います。

いつでも個展前は、少年の様な笑みをもって「どんな新作が出てくるのだろう…」とピュアな期待をして下さった宮坂SAVOIR VIVREオーナー。

お世話になりました。そして、ありがとうございました。

合掌
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