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昨年暮れ仕事に追われ調べごとでPCに向かっていたところに一通のメールが届いた。

「savoir vivre 閉店のご挨拶」

五年前、オーナーの宮坂さんが急死して以来、お一人でギャラリーとショップを切り盛りしてきた外山店長が病に臥せ療養中により、スタッフが代筆と言う形のメールだった。唐突な閉店のお知らせに驚いた。…が、こうなること(閉店のこと)は、宮坂オーナーが亡くなった時から分かっていた自然な流れのように思う。

savoir vivre とのお付き合いが始まったのは40年前。僕の作家人生の大半を占める。僕がそこそこ作家として自立できる様になったのも savoir vivre との出会いがあった故。
 
SAVOIR VIVRE 初個展のDM(1984年)
 振り返るとsavoir vivre は、時代の空気を先取りして、いい意味でも悪い意味でも、バブルに向かう時代の「過剰さ」を充分過ぎるほど演出していた様に思う。
 80年代、六本木という「虚」なる空間は、そういったバブル崩壊に向かうタナトスにも似た虚のエネルギーに満ち溢れていた。


時を同じくして、鎌倉彫という装飾過多で、当時の言い方で言えば「キッチュ」な表現に身を置いた僕は、その伝統的で古臭い過剰さと新たに生まれたコンテンポラリーな過剰さを同調させ、まるで水を得た魚の様に、自由で伸び伸びと奇抜とも言える表現を表出し捲った。幸運にも、外山店長、そして、宮坂オーナー共、二人揃って、そんな僕の作品を、いつも面白がって迎えてくれていた。


六本木 AXIS
時代は未だ雑誌という紙媒体も元気で、家庭画報を始めとする総合女性誌や、様々なメディアにも取材を受け知名度だけは上がっていった。

savoir vivre が最も斬新だったのは、Kisso (左右)という飲食店と連携してsavoir vivre で扱う器をKissoの洋風懐石料理に実際に使ってみせたという点だ。

新しい料理を引き立てる役の器を、実際に目の前にセッティングして見せるという振る舞いは、遊びの要素が多く「飛んでいる」作品も多かったsavoir vivre で扱う器を、一般家庭でもどう使ったらいいかを具体的にディスプレイしてみせることで、新規性のある器を使うことのハードルを下げてみせた。

六本木 AXIS
ギャラリーで企画発表した作品を、併設するショップでも扱うというビジネスモデルは、あっという間に全国に広まり、主要都市には、似たような店が雨後の筍の様に乱立した。今思えば工芸が一番輝いていた時代とも言える。

そして、バブルの波にも乗りsavoir vivre は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していった。その姿を横目で見ていたAXIS (savoir vivre のテナントビル)のオーナーは、当時最もバブリーだった原油の輸送企業主だったこともあり、流行りでもあった多目的運営のひとつとしてsavoir vivre + Kisso というビジネスモデルを、宮坂さんを社長に迎えることで主要都市に展開することになる。

工芸界にいると、派手なアパレル企業やIT企業と違って自分がバブルの渦中に居るといった実感はなかった。
でも、今振り返るとトリクルダウンは確かに存在し、貧しい工芸界にも、その利は降りて来ていた。三十数万する大椀があっさり売れたりするのも珍しくなく、こちらとしてはイケイケどんどんで攻め捲っていった。ただ、それも実感としては、ほんの数年だった気がする。

あっけなかった。
思っていたほど利が出ないと知るや企業の撤退は早く、大きな赤字を出して新企画会社は幕を閉じた。そう、工芸ってそんなに大きな利は出ないのだ。
「savoir vivre の名が世から消えて堪るか!」と、宮坂オーナーは、社長として慰留する様勧められたが、結局、savoir vivre の権利を買い戻し再生・復活の機会を窺っていた。
 
数年を経て、AXIS の3Fにあってクローズしたイタリア料理店のあとに、当時としては最先端だった、近代ビルの中に、古民家の梁を大胆に使ってPost modern なgallery and shop として蘇った。

とは言うものの、バブル崩壊によって大きな赤字を出して身を引いたことは、宮坂オーナーにとっては、人生で最大の汚点だった様で、口に出さずとも、そのことに深く傷付いていることは伝わってきた。

実は、savoir vivre の語源は、フランス語で、「人生を知ること」、つまり毎日の日常を豊かに、そして楽しむこと」。その根底には、遊び心が人生の豊かさを醸成するということと、企業名としては(株)メディア社を名乗った様に、工芸を通して、人と人のコミュニケーションを媒介するということ。まさしく、このことは、外山店長とタッグを組んで見事にやり切ったと思う。


 
ただ、宮坂オーナーの生きた時代は、丁度、高度成長期の只中。世の中には、「大衆」という有り様が厳然としてあって、企業は、質の良いものを廉価で提供することを善とする時代精神があった。このことは正しかったと思う。しかし、バブルが崩壊し、世の中が、modernから post modern へと変容し、ギャラリーを含めて企業は、豊かさの故に生まれた価値観の多様化によって、大衆から分衆・少衆と分散し、最早「マス」という括りに向けて、良質で廉価なものを提供する時代ではなくなった。製造業は、多品種多品目なものを準備しなければ生き残れない厳しい時代に入った。

この新しい時代では、それまでの大量生産から少量多品目生産が必須となり、作り手は、付加価値の高いものを作る指向を持たないとペイできないし、生き残れない時代に経済構造が移っていった。残念ながら、この点がsavoir vivre に足りなかったというか、宮坂オーナーの「質が高く、それなりにこなれた価格帯のもの」を提供するという理念とズレた点だった様に思う。

僕自身は、無意識に、そのことに気付いていたので他の作家に比べ単価は高くシフトしていった。というか、彫りが入り、手の込んだものは、在庫を抱えるリスクが大きいので、概ね他の作家は手掛けない。そういった領域を、僕は楽しんで引き受けていた。今考えると、結構リスキーに見える振る舞いだったけれども、あっさり勇気を持って出来たのは、それまで彫りの入った手間の掛かる作品が、概ね好評で、ほぼ完売だったことが自信になっていたと思う
 
六本木 AXIS
 
  宮坂オーナーとは、未だ若かった頃は、工芸に留まらず、美術や世情について、結構マジで喧嘩したというか意見を闘わせた。後年、お互い歳もとったので喧嘩することもなくなり、住んでいたのが同じ逗子だったこともあり、時々、地元で食事や居酒屋に誘われたりして、これからの savoir vivre や工芸について楽しく話し合った(もちろん宮阪さんの奢りで)。

でも、僕の個人的な事情から、突然 逗子を離れ、遠く兵庫の裏日本へと転居した時には、「何で事情も告げず遠くに行ったんだ!」と憤慨していた。
 でもねぇ、そんな個人的な事情を上手く言葉で伝えるのは、当時の状況では無理だったんですよ。こちらも究極の選択でしたから…。宮坂オーナーにとっては、何とも「水臭せぇ」といった風でした。申し訳なかったなぁと。。
 
 
六本木 AXIS
 
  人生の終わりも、ギャラリーの終わりも突然やって来る。死が避けられないのは人も企業も同じ。企業の平均寿命が30年といわれるが、45年続いたsavoir vivre は立派です。

兵庫の大学院でマスターを修得し充電した僕は、さあ、これからだ!と思っていた矢先、世界はコロナ禍へ突入。savoir vivre の最終章に貢献できず無念でした。

 病に臥せている外山店長、一日でも早い回復を祈っています。長い間、本当にお世話になりました。そして、陰日向でサポートいただいたスタッフの皆様、心の底から感謝申し上げます。

ありがとうございました。

感謝
 
 
AXIS 当初のSAVOIR VIVRE............... katachi 主幹の笹山氏と (1985年)
 
   補稿

アップを急いだせいで抜け落ちたことがありました。savoir vivre が他のギャラリーに先駆けてやったことにボーダレスアートの紹介とチャリティーがありました。これは主に外山店長が積極的に企画していた様に思います。

今では相当メジャーになった鹿児島県にある、主に知的障害をもった方々が集う「しょうぶ学園」。ここで制作されたアパレル、陶器、絵画を、一般で言う作家ものを扱うのと同じ次元でsavoir vivre は空間を提供しました。20年以上前ですから、これは凄いことだった様に思います。このことは、savoir vivre が、間口を広く開放して、いつでも胸を打つ全ての表現を受け入れ、それを多くの人々に紹介するスタンスを継続して持っていた証でもありました。
 
   
しょうぶ学園 nui project
 
  また、SAVOIR VIVREは、ギャラリーという空間を単なる発表の場としてだけと捉えていた訳ではなく、サポートを必要とするハンディーをもった人々にも目を向け紹介することを惜しまなかった様に思います。それは、親からHIVに感染してしまった児童をサポートするタイの施設「バーンロムサイ」が、自立に向けた自前の商品開発したものを、チャリティーとして紹介したこと。これもギャラリーという空間を、従来の使い方を超えて使った新しい試みでもありました。

 
     
  僕とsavoir vivre との出来事だけを見ていたので、savoir vivre には、もっと違った試みもあったことを見落としていましたのでここに紹介しました。   
  SAVOIR VIVRE Archives ........ ただいま準備中

http://urushi-art.net/hitokoto/2010/0213/gallery.html
http://urushi-art.net/hitokoto/2012/0424/savoir.html
http://urushi-art.net/hitokoto/2015/1028/exhibition.html
http://urushi-art.net/hitokoto/2018/0614/news.html
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