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もうかれこれ20年以上経っただろうか、津田大介という髪を金髪に染めた若者がメディアに出まくって、Twitterなる新しいコミュニケーションツールの登場と、その可能性について熱く語っていた。

140字以内でメッセージを作り、匿名でネット上に上げて不特定多数の他者とやり取りするというTwitterは、当時、ワンフレーズでメッセージを巧みに伝えることで人気のあった小泉元首相と重なり、ある意味、時代の要請でもあったのかも知れない。

複雑怪奇な世の中の事象を、簡便にざっくりと纏め(切り捨て)発信するという手法は、世の中が複雑であればこそ、様々な事例をショートカットして受容する、正しく時代に沿った新しいコミニケーションツールとして、あっという間に世界に広がった。

僕はと言えば、Twitterなるものが生まれてから今日まで一度も使ったことがない。もちろん、その良さは分かる。ただ、当時 2ch なる「ゴミ」ニケーションツールが出没し、不特定多数の者が、大方ストレス発散目的で、社会や政治、マスコミに対して、個人攻撃や誹謗中傷をしまくるという事態が生まれ盛り上がっていた。その事態を受けて、僕自身は、Twitter も、どうせそういった方向に行くに違いないと踏んだ。
僕がPCを使い始めたのがWindows 98からで、世の中のトレンドとは少し遅れていたが、当時のネット社会は、概ね知的レベルも高く、インテリジェンスの高いサイトが多かった。それはある意味当然で、インターネット上で使われる新言語であるHTML言語(Hyper Text Markup Language)を、ある程度知らないとオフィシャルなウェブサイトを立ち上げることが出来なかったということと、それ故、一般の人々にはハードルが高かったということがあった。

しかし、Windows XPが出始めた頃から、HP(ホームページ)は、誰でもが構築できるサービスやソフトも出来(代表的なのがホームページビルダー)HTML言語を全く知らなくても個人のHPを簡単に立ち上げることが出来る様になった。これはこれで良いことだが、当たり前だが、質の悪いウェブサイトも巨万と増えた。

1998〜2000年位までは、例えば、女性問題を扱うサイトや、新しく生まれたデジタルカメラに関しての情報サイト、他にも文学、哲学に関する多様な発言をするサイト等、かなり良質で生産的な動きを持ったサイトも多かった。ところが、2000年代に入ると、それぞれのサイトに設けられた「掲示板」なる質疑応答や意見交換できるツールが、もの凄い勢いで荒れ始め誹謗中傷で溢れ返った。結果、仕方なく掲示板を閉じるサイトも多く、とても残念で失望した記憶がある。
思い返すと当時、先日暴漢に襲われた宮台真司が、ネット社会は、どんどんクズが参入してきて劣化するだろうとラジオや彼の関わるサイトで繰り返し述べていた。僕の最初のネットのイメージが良過ぎたので、彼の意見は理解できたが、一気に劣化が進むとは正直全く想像していなかった。…で、Twitter が登場し、宮台真司が言っていたことが見事に現実化していった。

そして先日、2020年の新型コロナ感染症のパンデミックが始まって以来、毎日視聴し続けてきた YouTube 「一月万冊」の清水有高氏が Twitter のアカウントを削除したという。その訳は、YouTube にしろ Twitter にしろFacebook にしろ、そこに躍る「いいね!」の数は、放映した内容を深く理解したものでもなく、また届けられるコメントに対しての「いいね!」は、必ずしも深く考えられたものに付く訳でもなく、当たり障りのない無難な意見に多くの「いいね!」が付くことに気付いたからだという。

仕事上、Twitter も Facebook も使わざるえない場合もあるだろう。しかし、SNS は、功罪の罪(害)の方が大きいと僕は以前から気付いていた。
  5年程前、但馬に住んでいた頃、隣町にあった知的障害者の方々が働く喫茶店に時々出掛けた。そこの運営母体(がっせいアート)は、年に何度か知的障害者の方々のアート展を企画していて、ある日、そのDM を担当していた若いイラストレーターの女性が、ここ2ヶ月程、仕事が手に付かないと仰る。理由を聞くとFacebook の「いいね!」の数が気になって仕事に支障が出る程だという。

丁度、その二日前にラジオで、確かピューリサーチセンターの論文だったと思うが、SNSを利用する人は、しない人に比べ幸福度が低いということを紹介していた。同じ頃に、ある結婚式場のビジネスモデルに、予約が成立すると「いいね!」を350個付帯するというサービスがあることを彼女に伝えてあげた。つまり、「いいね!」なんて、それ位のもんだということだ。でも、人々は「いいね!」の数に一喜一憂する。仕方ないけれど愚か。

話を戻すと「一月万冊」の清水さん、このSNSやYouTubeに寄せられるコメントや、それに対するリアクションの内容や質が、少しも「いいね!」の数い比例していないことに気付き、アカウントを削除したという。真っ当な選択だ。むしろ遅いくらい。
  実は、YouTubeは、利用者のコメントをAI が監視し「コロス(殺す)」とか、「ギャクタイ(虐待)」とうの音源から判断してダメ出しをする。なので番組進行中は、「にゃくたい」とか、「ギャ」とかで「虐待」を代替して使っている。

AI の進展は、目を見張るものがあるが、そのAI の判断根拠が、どこにあるのか誰にも分かっていない。かつAI は、自律的にアップデートを一時も休むことなく繰り返し続けている。最早、僕らは、その AI をコントロールすることは愚か、指示さえ出せない。

YouTubeを始めとする SNS を利用する限り、それらの新しいメディアが、何を善悪の判断基準にしているのか、僕ら人間に知らされていないので、判断基準が今一つ定かではないAI 様の判定を甘んじて受け入れるしかない。
 
   
  AI が優れているとはいえ、行間とか、文面の流れの微妙なニュアンスの違いなどは、今の段階では判断できていない。

例えば、恋に落ちた恋人同士が、お互いに「ばかだなぁ」と言ったとしよう。この場合、「君は賢いなぁ」という言葉以上に深い愛情に満ちた言葉になりえる。今の段階のAI では、「先生〇〇君が、ばかって言いました!」・・・と言う風にベタに判断するだろう。つまり、「ばか」を有体に解釈したら「判断力の低い能力の劣った者」と回答する。AI は未だその程度だ。文脈を辿るとか、行間を読むという、今のところ人間様にしか分からないニュアンスは、AI には理解できていない。

だとすると、「いいね!」の数が当該事例の本質的な意味での「いいね!」を保証するものではないと言ってもいい。こういったことは、20年前 Twitter が生まれた頃に、既に分かっていたことだ。


・・・つづく
 
   
   とは言うものの、AI に任せた方が、人間様に任せるより遥かに優れた解を出す場合もある。典型的なのが、東日本大震災でメルトダウンした福島原発後の対処になる。科学立国日本が、原発をメルトダウンさせコントロールできないことを見てドイツのメルケル首相は脱原発を打ち出した。ドイツ人も日本人も同じ人間だと言いたいところだが、残念ながら大きな違いがある。僕ら日本人は、原発を止めるという判断を下せなかった。

恐らくAIなら科学的かつ総合的な判断で「今のレベルの日本人には、原発をコントロールすることは無理」と結論づけたに違いない。この時点で、僕らはAIより怖い狂った判断をしたことになる。

 
   
2023 初日の出
 
  SNSにおけるAIの判断根拠の分からなさについて触れてきたが、どうしてどうして、僕ら日本人の分からなさもAIに劣らず分からないことだらけ。AIのことをとやかく言う資格はない。そして、SNSの限界について言及したところで、行き着いた先が人間様の限界だったと言う、何とも皮肉な結論に至ってしまった。

ただ、言えるのは、SNSは、web2.0 の後に来るWeb3.0という新しい段階のネット社会では、明らかに一極集中した利権や、一方向性の運営方法から脱し、より民主的で双方向性のある運営を相互扶助的に共有し合いながら展開する一次元質の高いネット空間になるはずだ。

もちろん、バラ色のネット空間だけで成り立つわけではなく、新しい高次な犯罪や詐欺まがいの負なる領域も生まれるに違いない。それはネットが普及し一般化する前に、僕自身が夢みた世界とあまり違わない構造を人間社会は持っていると思う。悪貨が良貨を駆逐するのも世の常。そういった事態も充分あり得ると自分に言い聞かせつつSNSの終わりを感じる今日この頃です。
 
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