(『落書錫研きTable』..........縁)
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先日、来年新たにオープンするgalleryの空間演出に関しての打ち合わせが目黒であった。僕のテーブルを囲んで大手建設会社の設計事務所スタッフを始め、遠くは京都からgallery space に敷設するトイレをデザインする陶芸家も交え、茶室他各部署での大凡の詰めをすすめた。



オーナーが個性豊かで、ものをハッキリ言う方なので、各持ち場は、それぞれなかなかまとまらないところが案外楽しい。



この空間が、華道などの教室にもなるという多目的空間でもあるので(茶室もある)僕は、そこで実際に使われるテーブルを制作する。昨年、オーナーの新居に納めた『落書錫研きTable』を気に入って頂いたようで、同じコンセプトの Table を単体でも使えるし、8個組み合わせても使えるという使い勝手の構想を期待されている。

(『落書錫研きTable』........Y邸)
オーナーの希望で脚は鉄製で、作家は佐藤忠というファインアート作家だ。普段、あまり工芸的な仕事はしないらしいので、微細な細部にわたって話込みが必要に思え、離れたサイドテーブルで彼と話し込んだ。



お互いどんな制作姿勢をもっているか確認の意味と、先方がかなり若く見えたので(実際は、44才ということだった)話しに入りやすいように、最近のファインアート状況の話を振ってみた。



彼は、鉄を使った抽象彫刻の作家なので、単刀直入に「売れる?」と聞いたところ「売れません」と返ってきた。所謂、単体の従来型の抽象彫刻は、恐らく80年代で終わったのだろう。そう言えば、先々週、かみさんと熱川に湯に浸かりに出かけた折り、ここまで来たらやっぱり箱根の彫刻の森美術館に寄らなければ・・・と久し振りに寄ったが、二人して口に出したのは「懐かしいな~」というフレーズ。つまり、自然の中にモニュメントとして単体の金属製の彫刻が展示されていることその光景が懐かしいのだ。
しかし、どうなんだろう、台座にのっていなくても単体で彫刻という有り様は本当になくなってしまったんだろうか・・・・。流石に装飾過多な額縁はないかも知れないが、今売れっ子の村上隆や奈良美智の作品は、従来の絵画と同じ矩形におさめられているし、数億円で取引されている中国の現代絵画も、言ってみれば昔ながらのスタイルに治まっている。所謂抽象彫刻も、”今”を練り込めば、形態として古いスタイルをとっていても、決して終わってしまった表現ではないのじゃないだろうか。



そもそも村上隆や奈良美智の作品が、嘗ての現代美術と称されたファインアートの範疇に入るのかどうか微妙だ。最早、アートという概念も根本的に変更を迫られているのかも知れない。ただ人には、「描きたい」「形作りたい」という根源的な欲求がある。それを”職”として成立させる術があるかどうか、あるいは描くと言うことを職として成り立たせる物語を作れるかどうかが、コンテンポラリーな美術(敢えてアートとは呼ばない)を成立させる能力といえるかも知れない。



日本人のネックを突いたスパーフラットなるスタイルで売れっ子になった村上隆の”逆輸入版手法”が、今もって”外国で売れた”ことを金看板にして日本国内で「すごいでしょ♪」的売り方が、通用する{欧米>日本}という構図が有効性をもつ情けない現状だが、グローバル化がもう少し進めば、僕ら日本人も目を覚まさざるを得ないのでないのだろうか。。。
全ての領域で、世界に冠たるブランドをもたなければ日本の未来ない。美術も例外ではない。


そう、今年美術関係で一番ショックだったことがある。それは足繁く通った京橋エリアに、銀座から移った昔ながらの伝統的?現代美術の画廊が、相次いで閉廊してしまったことだ。馴染みの画廊も経営難で、借金を残したままオーナーが自死するという痛ましい不幸があったことも先日ネットで知った。こうなると新しい美術を見たくなったとき、どこに行けばいいのかオジさんには見当がつかない。



そこで、今回テーブルの脚を制作する佐藤氏に聞いてみた。「最近の若い子は、ファインアートをどこで発表するの。そして、どこに行けば観られるの?」。彼が言うには、定番としての画廊での発表は依然としてあるが、嘗てのような流通が存在しないので、アートフェアなる、あまりオジさんさんには馴染みのない発表の場があるらしいのだ。地価が高く賃貸料が高い銀座の貸し画廊は、最早リスクが高すぎてペイできないと、今の若い子らは賢く見切りを付けたようだ。
もしかするとgalleryという形態も、最早美術を紹介展示する場として十分ではなくなっているのかも知れない。galleryという形態は、やはり超資本主義社会以前の産物なのだろう。そして僕らは、美術を展示する場も、その方法も、今までとは違った空間とシステムをもたなければならなくなっていると実感する。



来年末オープンする art space が、今の社会の実情に沿ったものになるようオーナー始め関係者ともども、きっちり話し込み、今後を見通した内容になることを願っている。僕自身は、意外とあっさり出来てしまうかも知れないと密かに思っている。というのも、そういった新しい art space を時代が要求しているからだ。そして、日本をへりくだった”逆輸入”を超えて、自前のマネージメントを推し進められたらと思う。



僕らは、日本のアート・工芸が、世界Aクラスであることの自覚と誇りを持って、「いいもの」と「いいシステム」と「いい環境」をしっかり整備すべきだ。これが出来なければ、政治経済と列んで、他の業態と同じくアートや工芸は沈下していくだけだ。それがグローバル化の中身だと思う。
そもそも従来の絵画や彫刻の形態を離れてインスタレーションなる表現形態が生まれたが、それは、もっと自由な”表現形態”を壁・床・天井その他、表現の場全体で演出するという手法で80年代に登場した。いまもって若い層には支持されているようだが、現状では旧来型の絵画や彫刻にリバウンドしているようにも見える。そもそもインスタレーションなる表現形態では、まさか部分的に切り売りすることも出来ないので、作品として流通に流すことも出来ず、作家として自立するには、そのスタイルはそぐわない。



将来を見据えた若い連中は、僕らが右肩上がりで未来は真っ赤晴れという脳天気さゆえ、お金のことなど気にもとめなかった時代とは違って、先のまったく見えない未来の人生設計は自己責任で!という社会に放り出されている。なので現状では、自由度が、僕らの時代と比べて気の毒なくらい低い。生活を保証しつつ、自由な表現をすることは至難の業だ。そういった事情もあって、今の若い連中は既成の表現スタイルに退却しているのだろう。



ヨーロッパの先進諸国のように、ベーシックインカム(国民の最低限度の生活を保障するため、国民一人一人に現金を給付するという政策構想)を体現できている国々では、芸術家と呼ばれる人種が、その生命の危機を感ずることなく制作にあたれる。今年中に、中国にGDPを抜かれるとはいえ、まだ世界三位の経済大国にもかかわらず我が国は、”世捨て人”を覚悟しなければ、芸術家になることは出来ない。悲しい現実だ。
  
 
そうは言っても、出来るところから始めなければならない。社会保障が整備してても、していなくても、僕らのような人種は、ものを作り続けなければ自己確認出来ない。当分ベーシックインカムなるものが、日本に成立するとは思えないので、その間、新しい art space なるものを提供できる環境にある方々が、ここは踏ん張ってもらいたい。



日本社会全体が、グローバル化の波にさらされている中、工芸・アートだけが、その波を避けられるはずもなく、他のあらゆる業態の人々が、付加価値性の高いものを生み出す工夫や努力をするのと同じ程度、否それ以上のエネルギーを注がなければ工芸やアートが社会的承認を得られる訳がない。そこは、他の職業同様厳しい。
 
 
何れにしても厳しい世の中であることには違いない。



ただ、一つ重要な指摘がある。確かに東京は、日本の文化の発信地だけれども、そこで商売をするのは極めて難しいというデーターだ。最近評判の『デフレの正体』の著者・藻谷 浩介氏(日本政策投資銀行参事役)曰く、商業施設の床効率が・・・・・東京は、地方都市の3倍だが、地価は10倍~20倍。ということは、同じ商品を東京では、地方の10倍~20倍の単価で売らないと商売が成り立たないということになるという。これでは、工芸などという、あまり利の多くない商売は、テナントではない自社ビルでの運営でなければ極めて難しいということを意味する。



この辺の詳しい話は、ネットラジオ・ビデオニュースドットコム(マル激トーク・オン・ディマンド)第497回(2010年10月23日)を是非聞いて頂けたらと思います。様々なジャンルの質の高い旬の話が聞けます。ただし、有料(525円/月)です。
 
  
すべての経済領域で、付加価値性の飛び抜けて高いものを生み出さない限り、日本が生き残る道はない。それは、僕の生きている伝統工芸の世界も同じだ。この伝統工芸界にとって、先程紹介した藻谷氏が、とても勇気づけられる指摘をしている。それは、みなさん大きく誤解しているのだが、目覚ましい経済発展をしている中国や、液晶パネルや携帯電話で、とっくに日本を追い越したと思える韓国が、対日輸出で赤字であること、つまり、中国・韓国に対して日本は、貿易黒字だと言うこと。勿論、アメリカ・ドイツに対しても黒字だ。



意外にも、世界の殆どの国々で我が日本は黒字なのだ。

じゃっ、赤字なのはどの国かというと・・・・フランス・イタリア・スイス・デンマーク・スエーデンなど、一次産品の乳製品やアパレル、そして伝統工芸としての革製品・精密機器を超付加価値を付けてブランドを確立している国々になる。これら日本の対赤字国は、ほんの僅かな国々だが、それらの国々は、例外なく、もの凄い手間を掛けて生産性の低い伝統工芸をスーパー付加価値を付けて売っている。そして、成熟した日本の生きる道は、最早これしかないようだ。飛び抜けて優秀な伝統工芸の再生。これに、しっかりと付加価値を付けられるか、そのマネージメントが日本の将来を決める。
   
 どうですか、工芸を愛する方には、ヨダレもんの話でしょ。勿論、今まで通りの工芸で良いということではないのは言うまでもありませんが。要は、手間暇掛けて付加価値を付けて売るという手法が、日本の生きる道ということになります。日本国内で言えば、一番資産をもっているお年寄りに、魅力あるものを提供して買ってもらうために、それに見合った空間と情報発信が鍵を握ると思います。


来年生まれる新しい art space が、これらの条件を満たすものになるよう、僕個人としても出来る限りのことをしたいと思います。


では、では。
 
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