「はい!......?」。。。。「はい!......?」

     ??

先日、セルフのガソリンスタンドで灯油を給油したときのこと。

かみさんが「領収書もらう?」と聞くから「うん」と答えた。満タンになったポリタン2つを運ぼうとしていると、給油機の前でかみさんがブツブツ言っている。

何いってんの?と聞くと

「領収書を必要な方は『はい』をお選び下さいって言うから」と、給油機のモニターに向かって直立不動で大きな声で『はい』を繰り返しているのだ。。。

毎日のように認知症について話し合っている相手が、まさか。。。とよくよくモニターを見ると、大きな文字で『はい』と『いいえ』をお選び下さいとある。

「りつどん、何言ってんの。ここ押すだけだよ!」っと僕がモニターを押すところでやっと気付いたらしく爆笑。

これがホントの指キタスなんちゃってね;;;;
世の中かなり便利になっている。でも何か変。

我が一般消費は、優先順位で『安い』が最上位に来る。そうなるとモノを買う時に対面するのは例外なく機械だ。
 ラーメン丼に親指を入れて、どすん!とテーブルに運ぶ店員より機械が運んでくれた方がましだが、でも人間関係が希薄になり過ぎるのも寂しい。

僕らが生きている今の社会は、人件費が一番かさむ構造なので益々ロボット化は進む。仕方ない。 のか?

(1995.2.17 ドイツ レバークーゼンの街)
阪神大地震のあった年、僕はドイツで個展を開いた。フランクフルトのルクソールホテルに泊まった晩8時頃だったか、やたら喉が乾いた。小さなホテルだったので売店もなく、外に出て飲み物を買う羽目になった。

意外だったのは、町中には自動販売機は全く見あたらない。おまけに店という店は7時前に閉店。日本人の感覚からすると、うそだろ〜という感覚。でも、何故かこういった事情にドイツのインテリジェンスを感じた。

意識して、不便さの代わりに何かを選んでいる、あるいは何かを守っているといった深い見識を感じたのだ。

昨今巷では、ホワイトカラー・エグゼンプションなどというあまり耳慣れない横文字が飛び交っている。平たく言えば「サービス残業一般化法案」ということだ。
これを受け入れている国は世界でアメリカだけ。EU各国では、この様な悪法はナンセンス過ぎて議題にも上がらない。

我が家では、二人の息子が「就職」に直面している。

宮台真司が言うように、団塊の世代は、いたずらに元気なだけで今の社会に有用なことを何も残さずに「おいしい引退」をしようとしている。耳が痛い。

彼が言うように、最近の若者はニートは多いしアルバイトも多く、なっとらん。。。。と団塊の世代は嘆くが、若年労働者の三分の一が非正社員を超えた現在、僕ら団塊の世代は、フランスやドイツの団塊の世代のように、将来に希望を持てるような労働形態や雇用法を何ら残していないのだ。これは恥ずべきことだ。

最近、つくづく思うのは、若い世代に僕ら世代が残した誇れるものは何もないと言う現実だ。とても申し訳なく感じている。

気付けば、彼ら若い世代の三分の一が非正社員になっているばかりか、その不安定な労働形態を彼ら自身がしょうがないと思って受け入れているということが重大だ。

(五霊神社 手水舎 pm 1:43)
どうしてこんな事になってしまったのだろう.........?

敗戦。安保。オイルショック。日米構造協議。冷戦構造の終焉。湾岸戦争。バブルの崩壊。オウム事件。阪神大地震。IT革命。9.11同時テロ。アフガン・イラク戦争。ブッシュ・小泉政権。・・・・

僕らは、どこかでボタンを掛け違えてしまったのだ。

さて、残された人生の中でどれだけいい社会(環境)を残せるか.......これが僕のこれからのテーマになりつつあります。

夢中で生きて来ちゃったので、あまりいい世の中を残そうなんて考えて来ませんでした。地域、そして何よりも工芸界がよくなるよう、微力ではありますが少しでもお役に立てればと願う今日この頃です。