梅雨の晴れ間  
中原中也 file index
「中原中也」のこと
小林秀雄
 長谷川泰子 
盲目の秋
梅雨の晴れ間
春の予感
中也詩椀 
 
家の裏が、あまりにも雑草でうっそうとしてきたので、強い日射しはあったけれど忘れないうちに・・・・と刈ることにした。

狭い庭の隅にも、かなりの種の雑草が茂っている。「この雑草好きだよな〜」。。一々そう確認しながらだと、まるで大掃除の時に雑誌を読み始めてしまうのと同じで草刈りは進まない。

大雑把に草をむしっていると.........ささっと何かが動く””””””

蟹だ。   沢ガニが裏に住んでいるのだ。そう言えば去年も見たっけ。
今年は親子3匹。穴蔵には、他にも未だいそうだった。急いでhp用のデジカメ(casio QV 2000)でシャッターを押そうとしたが・・・・モニターを見ると電池切れ。肝心な時に限ってこれだ。。。F2.0のレンズを積んだCASIOは、200万画素ではあるが手ぶれもなく色も自然で、600万画素&1000万画素のSONYやMINOLTA一眼を抑えて一番活躍している。
 

(五霊神社境内 pm 1:02)
 
やっと梅雨らしくなってきた。でも、今年の梅雨は、カラ梅雨気味。けっこう真夏日のような晴れ間も多い。そんな晴れ間をぬっていつもの場所へ。。。

日射しも大分きつくなってきている。ずっと昔、美術に関心を持ち始めた頃、木漏れ日が好きだった。どうやったら、モネのように光を捕らえることが出来るか必死になった。そして、どう撮れているか、その場では全く分からない銀塩のカメラで光を追うのは、とても難しかった・・・・・。

テクノロジーの進化は、僕らの感性までも変えてしまう。一部のプロのカメラマンは、こういった事態を嫌っているようだが、僕は文句なく素人でもクリアーな画像に撮れるデジカメの普及は凄いことだと思う。要は「何を」「どう」撮るのかが重要なのだから。

確か、鎌倉彫の修行中、源平池の水面に揺らぐ陽光をカメラで追ったが、出来上がった写真には、まったくイメージとは離れた間抜けな風景が残っているのみ。

デジカメとPCによる画像処理ソフトの出現は、僕らの内面にあるイメージそのものを、欲しい画像に限りなく近づけさせてくれる。優秀なカメラと全てが整った現像所の両方を一遍に手に入れた様なもの。いい時代だ。

こうなるとあまりスリリングな写真が撮れないので、逆に上からファインダーを優雅に覗く二眼レフや中判カメラをやってみたくなるから不思議、と言うより臍曲がり?
 

(五霊神社境内 pm 1:01)
 
悲しき朝  (中原中也)


河瀬の音が山に来る、
春の光は、石のやうだ。
筧(かけひ)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(をうな)にさも肖(に)てる。

雲母の口して歌つたよ、
背(うし)ろに倒れ、歌つたよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いはほ)の上の、綱渡り。

知れざる炎、空にゆき!

響の雨は、濡れ冠る!

・・・・・・・・・・・

われかにかくに手を拍く……


 

(五霊神社境内 pm 1:01)
 
春の光は、石のやうだ。

こんな微妙で際どいイメージでも、デジカメなら撮れそうな気がする..............。

 
 
今日、梅酢を作ってみました。1.5kgも。

昨年の夏、かみさんの介護施設の利用者の方から頂いた梅酢で、弱かったお腹の調子がとてもよくなったので、今年は自分で漬けることにしてみた。

甘い梅の香りは、お茶やコーヒーの香りと同じように、どこか癒しの効果がありそうです。

これで猛暑になる気配のこの夏を乗り越えたいと思います。

鬱陶しい季節です。ご自愛のほど。。。
 

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