そりゃ、死ななきゃ治んないよ........

数年前、僕は役所に頼まれて、わが町「ずし女性プラン推進会議」の議長に就いたことがあった。この推進会議は、所謂「男女共同参画社会」実現を目指した、当時総理府(現在の内閣府)指導の下、各自治体に下達されたもの。

月一回の会議ではラチがあかないので、雄志を集って週一回夕刻に分会を開いた。そこで女性委員からよく聞かされたのが.......男性職員の理解が全く足りない!........という言葉だった。

仕方がないので、僕が繰り返したフレーズが........そりゃ、死ななきゃ治んないよ........だった。
そう、人に無意識があると言われるように、男には男の、そして女には女の無意識の分厚い歴史がある。DNAと言ってもかまわない。それくらい意識ではどうしようもない、生理的感情を引きずりながら男も女も生きている。

なので柳沢厚生労働相の「女は子供を産む機械」発言は、70才を越えた日本人男性の無意識を正直に言ったまでだ。

8人兄弟の末っ子で、父親を早くに亡くし、身を粉にして働き続けた母親は、厚生労働相が高校時代に他界。苦労の末東大の法学部に進んだ彼の女性観、そして母親観は、「女性の本質は、子供を産み育てること」となることはある意味仕方がない。そういった彼の無意識に流れる女性観を根本的に変えることは不可能に近い。

こういった現実を前にして出てくる言葉は......そりゃ、死ななきゃ治んないよ........だ。男女の無意識の歴史は、それくらい深くて重い。

日本政府の少子化対策をみると、これじゃ〜女性は子供を産もうと思わね〜よ、とすぐ分かる。

先進諸国は、総じて少子化傾向にある。そこで、どこの国も少子化対策をたてなければならない。しかし、闇雲に子沢山の旗を揚げても人はついてこない。

EUの少子化対策優等生のフランスも、嘗てご多分に漏れず少子化傾向にあったが、いくつかの対策を講じた結果、今は少子化に歯止めが掛かり出生率が高く維持されている(80%の女性が仕事に就いているにもかかわらず)。
 その対策とは、子供を持つ家族に対しての補助金や産休や育児休暇の徹底他、年金の割り増し支給など、若い家族に向けて具体的に目に見える形でとられている。

(読売新聞hpより)
実は、我が国日本でも一部の地域では、有効な少子化対策がなされフランス同様な成果を上げている地域もある。そして、そこから見えてくるのは、人が子供を育ててみたいと思う環境とは、決して少子化対策で唱えられる金銭的支援ではないということだ。

一見すると経済的なサポートがあれば、人は子供を産んで育てて見ようと思うような気もする。しかし、それはまったく違う。本質は、その地域や国に住んで生活をしたくなる様な気分になるかどうかということ。つまり、そこに住むことで、将来的に納得できる充実した生活実感が得られるかどうかが少子化対策の本質だ。それさえイメージ出来れば、国も地域も結果として手厚い経済支援策を自然ととろうとするようになる。

人が人とコミュニケートすることの内実は、意識と意識のやり取りではない。それは、無意識と無意識のやり取りと言っていい。コミュニケーション能力とは、人の意識を掴むことではなく無意識を感じ理解することを言う。そして、このことは、国との関係にも当てはまり、表向きの少子化対策の裏(無意識)に、国がどんな理想や理念を持っているか、そこを人は見ている。

いくら「美しい国」と唱えていても、その先に専業主婦を基本とする家族像をもった、所謂男は外で仕事をして、女は家庭を守るといった、アナクロで陳腐な家族像が透けて見える安倍首相の理念の下では、人は家庭を持ちたいとは思わない。柳沢さんをはじめとする各大臣の顔ぶれを見れば一目瞭然だ。

(1984年4月 産湯 耕介)
僕自身は、フランスが少子化対策に成功したことの中で最も重要で本質的な施策は、非嫡出子と嫡出子の区別をなくしたこと、つまり私生児のハンディーをなくしたことだと確信している。

因みにフランスにおける非嫡出子の割合は44%。スエーデンに至っては56%を越えている。我が国は、たった19%に過ぎない。これは、社会の無意識を表している数字と言っていい。残念ながら日本は、差別と偏見に満ち満ちている国と言える。中国の猛追があるとはいえ、未だ世界二位の経済大国にも関わらずだ。

国の予算をどこにどう使うかは、国がどういった社会を理想とするか、そして、その社会でどういった生活がおくれるかという世界観で決まる。アメリカ追随しかイメージしていない今の日本では、とてもこの先いい時代が来るとは思えない。

ポピリズム(人気取り政策)政治の小泉さんから引き継いだ安倍政権だが、支持率が落ちたとはいえ未だ50%近い水準にある。

いつから日本は、こんなに駄目な国になってしまったのだろう。元々駄目な国だったのだろうか?戦争に負けてしまうとは、こういうことなのだろうか。

(1884年 曜介・耕介)
と、ここでまったく筆が進まなくなる    。

何だかぼやきばかりが出てくるが、この民度の低い日本から出発するしかないんだよな........。

段々袋小路に入ってきた;;;
それまでは、気の遠くなるような長い道のりが続くのであった。

本当の意味での「男女共同参画社会」は、次の次の世代位に何とか出来上がっているよう、今から地道に身近なところから修繕していくしかないのかな。そして、その鍵を握るのが教育なのだが「愛国心」を声高に叫ぶ安倍さんじゃ期待薄。

次の参院選に期待したい。