最近の子はよく寝る・・・・?

・・・・・・とにかくよく寝る・・・・・・・・。

長男(曜介)は、ほっとけば20時間位平気で寝ている。
時々、「死んでるんじゃねーか・・・・・?」と部屋をのぞきに行って息子を突っつくと、大抵生きている。

 自分が若かった頃を思い返しても、そんなに寝た記憶がない。
とにかく、やりたいことが(やらなければならないと思っていたことが)山ほどあったので、寝る間も惜しんで何かをやっていた様に思う。極端なときは「人間、なんで飯など食うんだろう?錠剤でも飲んで済ませられたらいいのに・・・・・。」なんて、いま思えば非人間的な貧しいことを本気で思ったりしていた。

 どうやら、「内の息子」だけではないらしいのだ、よく寝るのは。

 そこで、なぜそんなに寝る必要があるのか、気になったのでちょっと考えてみた。

 まず、思いつくのは、僕らの若い頃に比べ、圧倒的に入ってくる情報量が違うということだ。
必要なものから、必要でないものまで膨大な量の情報が飛び交っている。それらを取捨選択するだけでも大変だと思う。まして、まだ「自分の尺度」を持てずに、ある意味感覚で必要な情報を選ばざる得ない若い世代は、それだけで疲れてしまうだろう。かわいそそうだな〜と思う。

      


      

 上の図の上段は僕の小学校当時の漫画「冒険王」に連載されていた「スペクトルマン」と、当時から発刊を続けている少年サンデーである。

 ご覧頂けば一目瞭然、「表紙」が昔と今の情報量の違いを表している。そして、昔の漫画の表紙は単純明快でとてもシンプルだ。
 それに比べて今のコミックは、画像も文字も重層的に重なり合って、もうぐちゃぐちゃだ。一体幾つの情報があるか数えたら気が遠くなる。

 この表紙を見るだけで疲れる。

 僕らの世代のように、たとえそれが幻想であれ「世界」を統合する視座を一応持っていたし、持とうとしていた。その点とても脳天気に生きていたし、今も生きている。
 でも、今の若い世代には、そんな世界観は、とっくに有効性を失っていて、とても陳腐に思われているはずだ。基本は「好き」か「嫌い」かで判断するしかない。

 先のことなど見通せる術は、誰も持っていないと感じている彼らは、「自己責任」で全てを判断しなければならない。

 宗教も、マルクスも、ニーチェも、サルトルも持てない彼らは、けっこうきついと思う。

 山一証券が潰れ、大手ゼネコンは潰れ、そして、天文学的数字の不良債権を抱える大手銀行は、統廃合を繰り返し延命している昨今、明日がどうなるか誰にも分からない。 

 そんな今は、もう寝るしかないかも知れない。

 とにかく、明日元気であるために・・・・・・・。

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