5月5日                理解されないということ

昨晩、石原慎太郎に招かれ、逗子の別邸で食事を共にした。
昨年暮れの個展にふらっと見えたときの約束は、社交辞令じゃなかったんだ・・・・・・と、かみさんと出掛けた。 

「いい絵があるから見に来ないか」と言われたのを覚えていたが、正直それほど期待してはいなかった。 
 急な坂道を登り切ったところに石原邸はあった。一緒にフットサルをしたことがある四男の延啓君の出迎えを受け家の中へ。 皆で(殆ど慎太郎だったが)無邪気な政治家への悪口をわいわいした後、氏に見せてもらったコレクションは・・・・・・まあまあだ。〔岡本太郎の釣り鐘と、インドネシアの寺院からかっぱらってきたのをもらった、と言う年代物の木彫(仏像を装飾していた唐草紋)は良かった〕。
 
しかし、何より感心したのは、氏が十代の頃なぐり描きしたデッサン(イラストといってもいい)だ。特に圧巻だったのは、そのデッサンから起こした油絵だった。ベーコンの様でもあり、初期のミロの様でもあったその絵は、正直掛け値無しに傑作と言えるものだ。 戦後間もない頃描かれたその油絵は、一人の理解者も無いまま今日まで来た。
 それを無心に描いていた、当時の彼の様相はどんなだったのだろう・・・・・。
 
 
非理解を背負って生きざるを得なかった彼の才は、その後カオスとなって文学や政治へと向かったが、貧しい日本画壇で生きていたなら、どのみち潰されていたと思えるので、これで良かったのかとも思う。

 もしかすると、彼の無意識が、失ってはならない最も大切なものとして他と峻別し、彼一流のファナティックな言動で、この
繊細な感覚次元を異にしたプリミティブな知性 を守りきったのかも知れない。 今度会ったときは、酒を抑えて(毎晩晩酌をしている割には弱い ^^; )さらに深い話しをしたい。